夏が終わり

つぶやき
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昨日、ツトムさん(私の父)が入院している神戸の病院へ。

治療を行うにしても、患者だけでなく家族の同席の元でどのような状態で何をするのかということを知らせないという決まりがあるらしい。

ツトムさんには久しぶりに会った。

以前会った時と変わらず、とても病人とは思えない。。

しかし、面談でCT写真を見せられた時は、その表面上の様子とは一変して、内臓は大変なことになっていた・・・

膵臓の尾部のがんとそれによって転移した肝臓に見える無数の腫瘍・・・

あと1ヵ月、このままの状態だと危なかったという。。

8月頭に撮られたCT画像と見比べても、ガン細胞の異常な増え方に目を見張る・・・
進行がとても速いらしい・・・

本当は、地元に戻って抗がん剤をやるならやったほうがいいが、
もう時間がないので、やるならすぐにやらないといけない。

ステージ4だと、もう術はどこの病院でも同じらしく、抗がん剤しかないそう。
大きな病院に行けば、術がまだあると期待をしていただろうに、
そんな父の気持ちを思うといたたまれない・・・


17時からは、CT画像を見ての所見や、細胞診を行った結果などを告げられた。
18時からは、抗がん剤についての説明。

18時まで少し時間があったので、ツトムさんと少し話をすることができた。
財産の状況や、家の状況など。。。

そして1万円札をそっとくれたツトムさん。。こんなんいいのに。。

最後に、買ったばかりの携帯を取り出し、カメラの使い方がわからないというので、
少し教えてあげた。
メール機能もあるけど、もう教えるのは無理かな・・・

18時からの抗がん剤の説明はどういうものを使うのか、副作用などを十分熟知させた上で、
最後同意書を書くというものだった。

とにかく時間がない・・・
ツトムさんの選択は、副作用があっても抗がん剤を受けたいとのことだった。

こういう場において、
先生たちも場数を積んでおられるので、
非常に言葉選びも慎重に伺えた。

ただ、父は表面上は健康そうにまだ見えるので、しっかりされておられると判断されたのか、
率直に、厳しく現在の状況を伝えた。
余命についても。

はっきりいって、いつ亡くなるかわからない状況で、
抗がん剤がある程度抑えたとしても最長2~3年。
余命としては1年と思ってください。
もちろん抗がん剤が合わなかった場合や、つらくてやめた場合はもっと短くなります。

私は、だいたいは想像して病院に来ていたので、
ああ、想像通りだなと。
ただ、肝臓にあんなに転移しているとは思わなかった。という気持ち。

とりあえず9月いっぱいは神戸の病院に入院して、
退院できたら、地元に帰って、地元の病院に通うということに。


希望を持ってこちらに来て、
その希望を叶えることはできなかったけれど、
せめてまた家に戻って、できることをやらせてあげたいです。

終始、重苦しくなってしまい、申し訳ありません。。

でも、私は横浜で沢田さんに「頑張るから」と誓ったので、
ちゃんと現実を受け止めて前に進んでいこうと思います。

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