今だから自分の「生き方」や「役割」に気づくとき

つぶやき

ちょうど一年前くらい、桜の季節、なぜかわたしの心は晴れない日々が続きました。
桜の季節なのに、少しで歩けばはっきり言ってよその土地の人たちからは羨ましがられるような京都の名所に行けるような場所に住んでいながら、なぜかまったく見に行こうとしせんでしたし、見に行きたくなかったです。なので昨年の桜の写真は一枚もありません。今から考えると海外からの観光客が多すぎてゆっくりと桜を愛でる状況ではないところに行っても疲れるだけだという「負の気持ち」が先行していたのかもしれませんね。いや、それなら観光地外れたところでもたくさん咲いている、そこにも行こうと思わなかったのだから、単に軽い鬱だったのかもしれません。

そうして、一年が過ぎようとして神社の参拝を通して清々しい気持ちになり、自分のやりたいことはこれだったのだと気づいて約4ヵ月、その間世界の情勢は急速に変わりました。そしてそれはやがてわたしの仕事にも影響が及びました。勤めているホテルのレストランの外来営業が停止し、宿泊客への朝食の提供はやるが、昼夜は当面の間営業はしないという判断。当然給料も大幅に減ります。

しかしなぜかわたしはまったく不安感はなく逆に「チャンス」だと思い、この空いた時間でどう別の道を開いていくのか考えました。どうすれば、自分も喜び、人の役に立てるのか。
そもそも「人見知り」という性格や、性質もあって介護や看護など直接的に人とかかわって役に立つということは難しい、それならばまだ自分でも好きで没頭できる動画とかこうやってブログで発信することで自分でも人の役立つことができるのではないか。

時期もちょうど桜が咲く時期、よしこれを撮って編集し動画として世に出すことで、こんな世の中ではあるけれども、桜はいつもどおりに咲いているし、こうやって人の動向に関係なく優しい姿を魅せてくれている。この「安心感」を日本だけでなく、世界中の人に与えることができないかと考えたわけです。意識は世界・・・大げさですが、それぐらいの気概がないとと思っています。

先日、京都御苑の桜を撮りにいきましたが、行きのバスの中でなぜかワクワク感が止まらなくなり、集中して撮ることもできました。家に帰って編集後の達成感とドキドキ感。言い換えれば、出番でステージに上がって照明が暗転状態のドキドキ感というのでしょうか。それに似たような感覚になりました。そして実感します「これがわたしが本当にやるべきことで間違いないのだと」

連日ニュースでは、経営的に負担を背負ったり、仕事を失ったりまさに不安だらけの人々が映されていますが、それに比べたらわたしの状態なんて無傷に近いものです。しばらく食べていける貯蓄は一応あるし、何より健康であるし。そういう人間こそただ空いている時間を無駄に過ごすのではなく、自分の気持ちに合った新しいことをはじめる。そうすることで気持ちよく生活することができ、そうやって表現したものが人の役に立つかもしれない。その第一歩を歩みはじめたばかりです。

まだまだ写真技術もないし、動画も努力の余地がある。でも写す時の気持ちだけは「世界の人が幸せでありますように」という想いを持ち続けながら撮影しようと思っています。

皆さんも、それぞれが大変な日々だとは思いますが、これを機会に「新しい生きるやり方」「自分の役割」について考えてみませんか?

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