ふりむくなジュリー(1975)後編

JULIE
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かつて、愛らしいジュリーを見て、誰が今の姿を想像しただろうか?
ここに至るまでには幾多の栄光苦しみが背中合わせについてきた。

芸能界に入ったきっかけというのは、遊び半分が高じてっていうのかね。
なりたくてなったっていうようないうことでもないような気もするんですけどね。
僕ら苦労もなしにとんとん拍子に進んできたから、途中で色気も出てきて変わりましたけどね。ま、最初のタイガースの1年、2年ぐらいまではもうなんとなくっていう感じですよね。その前に東京へ出てくる、来ない時はやっぱり「だめでもいいからちょっとやってみようか」ということはみんなで相談したことはあるけれども、「どうしてもなろう」と「これしかない」と思ってなかったしね。どういうことが適しているのか、何がうまくいくのか分からんなというのは今ふりかえってみた実感ですけどね。

タイガースの解散後、ジュリーは好きな仲間とPYGというバンドを作った。

PYGをやって、まあPYGというのはあまりうまくいかなかった。
でも、僕にとっては、
タイガースにいた時よりも重要な時期だった思うわけです。
というのは、いろんなことを考える、またいろんなことをたくわえる、いい時期だったと思うんですよね。なにもかもがむしゃらにわかんなくてもいいから何かやってれば何かの結果が出るということを僕は知ったつもりだけどね。

「あなたへの愛」発売パーティー

PYGは見事に失敗した。
しかし、ジュリーはソロシンガーとして、再び自分の道を歩みだす。

比叡山フリーコンサート

ファンの祝福と恨みの織り交ざった歓声は、今でもジュリーの耳の奥に残っている。
しかし、結婚そのものは、ただ単に自分の人生のほんの一コマに過ぎないと信じている。



ジュリーにとって今一番大切なのは、決して自分の後ろをふり向かないことだ。
思い出は思い出として胸の奥深くに残しておき、目の前の大きく広がった世界のエンタテイナーの道をまっしぐらに進むだけだ。


自分の進むべき道をはっきりとつかみとった今、一歩一歩自分で確かめながら進むしかない。ある時は無我夢中で走り、またある時はじっと静止し、人の話に耳を傾け反省をしながら・・・

ジュリーが常に耳を傾ける相手の一人に加瀬邦彦がいる。
彼はデビュー当時から影になり日なたになりしながらジュリーを見守ってきた。
そして今、ジュリーの成功を一番喜んでいる一人なのだ。
しかし、ジュリーのとって友人とは大事な栄養素である。
一見珍道中に見えるこの光景も、自分にないものを求める姿であろうか?

この世界に入ってからの友達になった人は全部先輩なわけですよね。
加瀬さんにしても然りで、僕らから見れば大スターだったわけで、会った頃は「おはようございます(お辞儀)」とこうやったのが今は「加瀬さん加瀬さん」とか「クンちゃん」とかそういう感じになってますけどねえ。

加瀬邦彦がいつも口にし、またジュリーも胸にしっかりとしまっている言葉がある。
人の真似からはじまるが、真似は真似でしかない。

現在、日本の若い歌手のほとんどがなんらかの形でジュリーに影響を受けている。それだけに、歌手・沢田研二の責任は本人が考えている以上に大きなものがあるだろう。

これから先が大事なんであって、今までこうだったからっていうことに奢れず、そういった意味ではフランスで新人歌手と同じようにやってるということが、改めて日本でやっている自分のこととか、「あ、これはいけないな。もっと素直にならなきゃいけないな」とか、意外と愁傷になるいい材料になったりもしてるし、まあそういった意味では本当に恵まれた環境の中でスクスクとやってられる運のいい星の下に生まれた人間じゃないかなと思ったりもします。

世界に羽ばたこうとするジュリーにとって、その道のりはまだまだ長く、けわしい・・・

けわしい・・・
結果的にはこの直後なんですよね、2度騒ぎを起こしてしまって、謹慎ということになってしまうのは。
もうこの映像見るだけなら、PYGで商業的な挫折はあったにせよ順風満帆な感じなんですが、そうは順調にいかなかったというね。
個人的にはフランスの音楽界に足を踏み入れたからには、どこかのタイミングで今まで発売してきた曲でLIVEを開いてほしかったなあ。それはジュリーの願いでもあったですしね。

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