今回は主に「ジュリー祭り」のことを
2008.12.3 東京ドーム
そして「ジュリー祭り」in 東京ドーム本番。
開場早々に中に入って、スタンド席にしばらく腰かけてしみじみと眺めていた景色を思い出します。そしてはじまって、まだ昼間だから天井が透けて明るいんですよね。なんだか不思議な空間でした。
わたしが想像する以上に、いろいろと大変だったでしょうし集客もどうなんだろうと全然分かりませんでしたが、蓋を開ければ3万2000人。十分成功でしょう!いつも来るファンだけでは無理なので😅ジュリーの望んでたとおり「ファンよりもファン以外のたくさんの方々に観に来てきただきたい」という願いが叶いましたね。
そして、わたしはこう思いました。(当時のブログより)
ホンマ、この方は大きなハコが似合う人なんや。と。
一人で十分じゃん。
ゲストいらんし、
余計なバンド編成もいらんし。
チャラチャラセットもいらへん。
あの4人のメンバーだけで、スバラシイ演奏とコーラスを奏でておられて。
シンプルな照明で十分。
安心して観れたのは、
ジュリーは必ず護られているからトラブルなんざ起きるはずはないと確信していたからね。
本当に「沢田研二ただ一人でいい」って思ったものね。
最低限の機材と照明と、気ごころ知れたバンドさんたちがいれば十分という。
もし自分がスタンド席であれば、もっと要望があったかもしれないけど、もうあれで十分だったなあ。
ただ何も不満がなかった・・・といえば嘘で😅あのラケットでサインボール投げるイベントはあまりに小範囲だけが盛り上がって大範囲ぽつーん・・・みたいになってしまったから、前にも書きましたけど、あれをするんだったら、お酒解禁だと言って一杯だけワインを飲んでウオーッ!!てしてほしかったなあ(笑)
80曲歌わないといけないから、終了時間も決まっているしもうタイムスケジュールはかなりシビアだったはず。なので、還暦ツアーであれだけ喋っていたMCもほとんどありませんでしたが、第2部の衣装チェンジから出てこられた時に短めでしたがしっかりと語ってくれました。
本当に無謀なことをしてしまったと後悔半ばでございます。
もうこんなことは二度としまいと・・・まできもしないでしょうが。
それにつきましても本当にお付き合いくださいましてありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。昭和41年に上京して、昭和42年にザ・タイガースとしてデビューしました。そのザ・タイガースの時代というのは私にとっても本当に宝物です。まさに夢でした。
僕は夢見る男ではありません。でも、みんなに夢の中に連れて行ってもらいました。それからずっと今も夢の中にいます。夢の中にいましたから、僕はその上に夢を見ることはできませんでした。現実をひとつひとつ踏みしめてきました。現実を見ることだけをしっかりとやろうと思ってやってきました。そして日常を、日々の暮らしを一歩一歩歩んできたら、また今日夢の中に連れていってもらいました。
この夢が早々長く続くとは思っておりません。当たり前のことではありません。本当に皆さんのおかげで夢が見れました。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。60にもなって、3万人もの人の前で歌えることは、本当にうれしさの極みです。
また明日からしっかりと日常を暮らしていきたいと思います。一日も長く歌っていたいと思います。今日は本当にありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。(ジュリー祭りMCより)
謙虚なジュリーらしい御言葉・・・
ファンにとってみたら、「いえいえこちらこそジュリーに夢の中に連れて行ってもらいましたよ」ということで、ファン歴とか年齢性別関係なくあの時はみんな現実を忘れて夢の中にいる感覚だったと思います。わたしも振り返ると、いろんなことを経て東京ドームに来ることができたんですから、視界に映っていることが何か現実として受け入れきれないまま、演目が過ぎていく感じでしたね。2013年に同じく東京ドームでザ・タイガースの公演がありましたが、あれとはまたまったく違いました。
そして、「ジュリー祭り」をきっかけに、何か空気感が変わったような気がします。「新たな展開に一歩踏み出す」と言うんですか。その一番は、ほぼ音信不通であった瞳みのるさんがまさかの「ザ・タイガースのメンバーの中に戻ってきてくれた」ことでしょう。
毎日新聞 2008年10月11日
人生は夕方から楽しくなるより抜粋。阿久さんの歌に対する意外な心境
「今だから言えるんですが」に続いた言葉は、さらに意外だった。
「ぼく、個人的な好みで言うと、阿久先生の詞に魅力を感じてなかったんですよ」。昨年亡くなった作詞家、阿久悠さんは、沢田さんの多くのヒット曲を手がけた。「『時の過ぎゆくままに』もそう。もしも二人が愛せるならば窓の景色も変わっていくだろう、ってかっこよすぎる。『サムライ』にしても、男は悲しいサムライ、と断定する詞はぼくには合わなかった。男はサムライって言うけどさあ・・・・みたいなのが好きなんです」。フフッと笑った。
「だからぼくは感情を入れずに無味乾燥な歌い方をして、強い力で圧倒してくる阿久先生に『負けへんで』って立ち向かっていた」。個性がぶつかり合って、まるでけんかのような二人三脚。「喜んで歌っていたら、売れてなかったと思う」
正直好きでない阿久さんの歌詞を、「ボクこの歌詞好きじゃないから別の人に頼んでください」って言えたと思うんですよね。当時のジュリーなら。「好きじゃないけど、オラやったろか!」みたいな反骨精神をお持ちだから(笑)歌の世界を素直に受け入れるのではなく、歌い方でもファッションでも自分流を通したからこそ、阿久さんの創り上げた歌の世界以上の世界を世に放つことができた。ジュリーの勝ちですね(笑)
だからといって、自分の中の大切で愛しい歌たちには変わりなく、それを証拠に今でも阿久さんの歌を歌い続けるジュリーがいます。
そして2009年に続きます・・・
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