喪主として②

つぶやき
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亡くなった当日夜

前回の続きですが、
親族が集まっている中、葬儀屋さんと大まかな打ち合わせを

それで、例えば棺はどれがいい?とか決めるんですが

正直、人がいる中で決めるのは

いろいろ気が引けますなww

人が見ている中で変にケチってもなあ・・・なんて余計な神経使いますしね

一番難しかったのが

お花の量

私は、自分の人生でお葬式に出たことなんて数えるほどしかないので、
この金額だとこれくらいのお花で・・・というイメージがまったくわかないんですよね。。
少量で全体的にあるくらいでいいという人もおられますし、
華やかなほうがいいという人もおられますし、
と言われてもw
もう普通でいいです。という返答しかできなくって(約10万)

知らなかったんですが、葬儀で遺影の周りに飾るお花
あれが、出棺の最後のお別れの時に切り取られて、参列者がご遺体にお花を添えるっていう流れなんですね。。(完全に社会勉強不足w

なので、ある程度参列者が多いかなと思ったら、それなりの量は必要なんだな
なんて思っちゃいましたね。少ないと、あれ、私お花置けない💦みたいな人が出てくるでしょうし。。

後は、湯灌(ゆかん)(約6万)

湯灌 とは、棺に納める前に故人の体を洗い清め、旅立ちの身支度として、白装束や好みの衣装への着替え、メイクを施すこと

ということで、この世の穢れを払って、新たな世界へ行ってらっしゃい的なね。
私は正直最初聞いた時は、そこまではいいかな・・・なんて思ってしまいましたが、
着てる服が病院から帰ってきた状態の浴衣のままだし、着替えさせるとすると、湯灌しないとできないと言われたので、やはり好きだった服で送ってあげたいということで、やっていただくことに。

この打ち合わせの前に、手配していただいた和尚さんにも来ていただき、弔っていただいて
お布施のことも教えていただきましたが、
この点に関しては、金額的に良心的なお寺さんだったのでとりあえず安心しました💦
(49日まで含めると約20万で済むようなので、かなり良心的だと思います)


そんなこんなで、遺影の写真とか決めきれなかったのもありましたが、もう夜遅かったので
皆さんにはお帰りいただき、家族3人、同じ空間で最後の夜を過ごすことに・・・

私も母も霊感はないので、特に何も「現象」は起こることなく過ごしました・・・
さすがになかなか眠れませんでしたが。

自分の家に別れを告げ

亡くなった直後は、とにかくレンタカー借りて行こうということで、
借りる期日も葬儀屋さんと打ち合わせしたら、すぐに帰る算段で、明日営業時間ギリまで借りて返そうと思ってたんですが、実家に向かう途中電話があって、PAで電話をすると、通夜と告別式は明日と明後日にすでに決まっていて💦レンタカー屋さんにも延長の電話をせんと。。みたいになり。

でも、今思い返せば、それなりに最後の時間を過ごせたり、父の状態が良い間に荼毘に付せて良かったと思います。私としても日が空くと、授業の関係で京都とまた往復することになってしまっていたので。

通夜の朝は、とりあえず遺影に使う写真を決めないと、ということで
父も生前これで、と決めてはいたのですが、カメラから遠いため、顔が小さく引き伸ばすとぼやけてしまうのは想像に難くなかったので、もう喪主の私がw独断で決めて。

父はグランドゴルフが晩年大好きで、ある程度強かったこともあり、居間にバアーッと表彰状を飾ってたんですよねw
で、表彰状だけではなく、その時に撮ってもらった写真も額に入れられていたので、その中から一枚。
ま、帽子は被っていましたが、表情もはっきりしているしこれでいいんじゃないかと。

結果的にこの写真が皆さんから「いい写真ですね」と言われて好評だったので、良かったと思います。

そして、湯灌をしていただく方も到着され
驚いたのは、男女お二人だったんですが、明らかに20代前半の人たちで。
こんな大変な仕事をこんなお若いのにしっかりおやりになるんだっていうね。
もちろん、やっているところなんて、見たことがないので、
遺体を布団ごと移動させ、長細いお風呂みたいなものを運び入れ。
へえ~こうやってご遺体をきれいにしていくんだと思いながら。。

やっている途中は黒い着物みたいなものを掛けながらやっていて、
しっかりした体をされてますね。と
私も内部は見てませんが足元とか胸元までは見えたので、浮腫んではいるけれども、肌もきれいだし、本当にいい状態で亡くなったんだなあと。
最後はお化粧までやってもらってね。
きっとツトムさんも、私たちと同じようにほほう・・・みたいな感じで自分を見てたんじゃないかと思いますw

これもやってもらって良かったなと思いますね。
なんかこっちまでも気分がスッキリとした感じというのか、遺された者にとっても良い影響を与えるもんなんだなと。

棺には、そのツトムさんが獲得してきた表彰状20枚くらいと、帽子と入れ歯を収め。
帽子は母に選んでもらおうと、母は特に考えずにw持ってきたのですが、
その帽子は偶然、10月に帰った時に、(抗がん剤で髪の毛が抜けていて)冬用の帽子がないからということで、私が一緒にお店に行って選んであげた帽子だったんですよね。。
ちょっと高かったので、「高いな・・・」と言いながら買ってたっけ。
そんなことを思い出すと、さすがにね・・・父と対面後、初めて泣いてしまいました。。

そして、葬儀場に向けて自宅を出発。。
私の家の所は、班長さんがあらかじめ、その出発時刻を近所の人に伝えて集まってもらうという習わしで、棺を家から運ぶのも何人かで手伝っていただきました。

そこで、簡単にご挨拶を・・・と言われてしまったのでw
私も即興で考えてた文言をやねえ💦
出発する瞬間、父の使っていたお茶碗を割るという「茶碗割り」
これも初めて知ったなあ。。

喪主なので、もちろん霊柩車に乗り、葬儀場へ向かいました。

亡くなる日は故人でもどうしようもないけれども、
2月ということで、それなりに寒いので、来られる方には申し訳ないなっていうね。
雪はほぼなかったので、それだけは救いでしたが。


そして通夜

ツトムさんは5人兄弟の2番目で、
がんになる前は一番元気だったのに、一番早く亡くなってしまったという・・・ことなんですが
4人のご兄弟とそのお子様たちも来ていただいたりして、
家族葬ではありましたが、式の間は一般の方も参列していただいてよいということでやっていったので、父のグランドゴルフの仲間がたくさん来てくださいました。
本当は元気だったら、今年はそのグランドゴルフの会長的な役割も務める予定だったようなので、いろいろ慕われていたんだろうなって。本当にありがたいですね。。

で、偶然にも和尚さんの娘さんご夫婦が父が勤めていた会社に勤めているということで、娘さんにメール送ったら、ご存じだったということで。
そんなこともあるんだなと思いました。

それで、喪主から焼香をするわけなんですが、
もうしきたり的なこともちっとも知らないのでw最初にツトムさんに向かって礼をしてしまい、
その後に続く人を見ながら、
ああ、遺族は最初に参列者の方に向かって一礼するもんなんだなと思ったり💦
参列者は終わったら、ご遺族に一礼するんだなとか思ったり💦
またまた勉強をさせてもらいましたね。。

一通りの式が滞りなく済み、
親戚の方たちに簡単な食事をし。

この時、沢田さんファンとして役に立ったのがw
「献杯」という言葉。

デイヴ平尾さんが亡くなられた時、
その通夜の時に沢田さんやサリーさんとか何人か並んで献杯したという写真付きの記事を当時目にして、ああこういう時に献杯って使うんだと学んでた私。
皆さんにそれぞれ飲み物持ってもらって、私もツトムさんに大好きだったビールを入れてあげて
簡単に挨拶して献杯と言ってやねえw

とりあえず、無事に一日を終えることができました。

喪主やってると、葬儀ってこんな流れなんだと・・・といろいろと勉強になりますね。
きっとこういう機会がめちゃくちゃ多くなると思うので💦

夜は私と、京都から来てくださったツトムさんの弟ご夫婦と一緒に葬儀場に泊まる感じで。
ちょっと話をしたりして。
弟さんは、23年生まれと知り、沢田さんと同じ年だなとか、
ということはツトムさんはその2つ上なので、それも沢田さんとお兄さんと年の差が一緒だなとか、内心w思いながら。

ちょうど重なるもんね、私の親世代と沢田さんとそのお仲間の世代がね。

たまにお線香をあげにツトムさんの顔を見にいきながら、わりとぐっすり寝ることができました。
我ながらこういうところは肝が据わっていると思いますww


また文章が長くなってしまったので、その後はまた次へ


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