宝島86年8月号

JULIE
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宝島クローズ・アップス 沢田研二 
バック・トゥ・ザ・バンド
沢田研二、38歳、長い時を経て、彼がバンドに戻ってきた。
アルバム『夜のみだらな鳥達』をひっさげて。
ボーカリスト沢田率いるバンド、CO-COLOの旅は、今、始まったばかりだ

「気楽に複雑」だった独立

3年前のことだ。JULIEがナベプロを抜け、独立したと言う話を聞いたのは。大きなプロダクションを抜けるというのは業界を敵に回すことだ、という噂も聞く。もちろんトップ・スターの道を歩んできた彼が、業界の敵になるとは到底、考えられないけど、彼の脱出の第一歩は、”大きな賭け”と私の目には映った。

「あまり”賭け”っていうつもりはないんだ。例えば、同世代で独立した人たちって、それぞれの理由で『男だから一ぺん一人でやってみよう』みたいな事を言ってたようなんだ。
でも、僕の場合はね、そういうことより、『原点に戻ろう』と思ったのね。足元を軽くしたかった。もっと、より自由にできるように。僕はもともと地道にやってきたんだけど、もっと地道にやろうと。

 やりたいことがひとつ見つかったら、それに好きなだけ時間をかけて、大事にモノが創れるようにしたいって思ったのね。それに会社のしがらみや人のしがらみをかぶらなければいけなかったりすることが、もうしんどくなった、っていうこともあるんだとも思う。賭け、っていうんじゃないよね。こうやれば、これだけの事は確実にできるな、っていうことが一番大事な事だった。

 『これだけの期間でやりなさい』『何で?』『そういう具合にやった方がいいんだ』『だけど僕らは別にレコード出したくなかったら出さなくていいんじゃないの?』『出さないでどうするんだ。お金を使う必要もないかもしらんけど、入ってくることもないぞ』『だから、もらわないからいいじゃない?』って言うと、『そうはいかん』(笑)って。そういう場合も全部自分で背負っちゃえば文句ないでしょ、っていう感じだった。そこまで真剣に考えているっていう事を、なかなか理解してもらえないとこってあったね。どうせタレントは馬鹿だからすぐ調子に乗って、おだてりゃ木にも登るし、みたいなところがあるんじゃないのかな。

 僕は別に、辞めたからって大きく変わることなんかちっとも期待していないよ。”簡単なことは、本当に簡単に出来る”っていう気持だけだった。そのために、独立したわけで。そういう僕の気分を理解してくれる人たちに集まってもらわなくてはいけなかった、それこそ賭けだよね。この人ならやってくれるんじゃないか、っていう賭け。

 要するに、面倒臭い事は少ない方がいい、っていうだけの話で独立したわけです(笑)。周りを説得して『大丈夫です。頑張りますから』って言わなきゃいけないって事の方が、何か不思議だよね。一生懸命説明するのもしんどいな、ってとこあるよね。何だか気楽に複雑ですよ(笑)」

重厚なロック・バンドCO-COLO

「今度のCO-COLOのメンバー、皆、頑固だよ。自分を持ってるし、何せ出てくる音が違う。納得!っていう音を出してくる。本当に凄い。それにね、決して俺たちは、お前のバックをやるんじゃない、っていう意識が凄いあると思うね。『お前は俺たちのバンドの一員だけど、まぁ、派手にやるならやればいいじゃない。そのかわり、歌、ちゃんと唱えよなぁ、大丈夫だよなぁ』(笑)みたいなノリ。

 もともと僕は、バンドから始まったし、かといってバンドの音づくりやバンドとしてどう生きていくかなんて事、考える暇もなかったし、そのうちに終わっちゃったでしょ。後はPYGをやったけど、売れるという意味では全然売れなくて、バンドの良さが出る前に空中分解しちゃったようなもんだから。でも、やっぱり沢田のバックをしに来てるんだっていう意識は、良くも悪くも皆、持ってただろうし。じゃ「一緒にやろうよ」と言ったところで、やっぱり沢田はもっときらびやかにやれよ、っていうことになる。じゃ、皆もバッと派手にいかない?って言うと、照れる人もいるし。そういうことっていつもあったよね。これはしょうがないね。

 で、CO-COLOはね、そういう事情も知ってて、いろんな事を経験してきたうえで、やっぱりバンドをやろうって集まった。『でも、沢田のバックじゃない。お前の為にあるんじゃない。俺達自身の為にやるバンドだ』っていうことを解ってやってくれてるし。だからこれまでとは全然、違うよね」

 と彼がうれしそうに語るCO-COLOは、ドラムスにロック・アレンジの第一人者チト河合(元ハプニングスフォー)。彼はプロデューサーも務めている。同じくドラムスに、PYG、ドンジュアン・バンドをやってきた原田祐臣、ギターは、フラワー・トラベリン・バンドの石間秀機、キーボードは同じフラワー、トランザムを経た篠原信彦、ベースはクリエーション出身の竹内正彦。そしてボーカル沢田研二。日本のロック史を動かしてきた、かけ値なしの最強ユニットのひとつだ。

ストーンズとビートルズと長髪

 「最近は曲を書いてるより、詞を書いている方が面白い」と沢田さん。ニューアルバムの中の1曲、ロック・ナンバー、「無宿」の中に、<自分を誉めるエセな奴らばかりさ>という面白い一節がある。

「名前のある人達の話を聞いてると、なんだ結局、自分自身を誉めてんじゃない?って思うことばっかなんだよね。僕ら、CO-COLOのメンバーって自分のこと『ダメだ、ダメだ』って口癖みたいに言ってるの(笑)。だって、言葉にして言わないだけで、自分のことは自分で充分に誉められる。だけどそれを人前で言ったら、それは美しくないでしょ。他人を餌にして、結局、自分を誉めてるの、『ヤダネェー』って思って、歌にしようと。で、結局、歌の中で馬鹿にしたんだけどね(笑)。

 20年やってきて、その時その時を素直にやってたと思うんだ。面白いと思えば面白がってやり、かといって時間に追われるようになると、『楽しいとばかり言ってられません』ってなことも言いながら。『じゃ、なんでやってるの?』って言われると、『人が喜んでくれるのが嬉しくて、喜んでくれたり、びっくりしてくれるのが嬉しいから。ほら、今度、どう?』って言って、楽しむところが少しずつ変わってきたんだろうね。歌を唱ってるだけが楽しかったのが、今度はやれ化粧する、女装する、つけ毛する(笑)。皆、どう思うんだろう?みたいな楽しみ方になって。で、飽きられちゃうと、ウーンて考え込んで、休憩したりして。休憩した後って、歌を唱ってるだけで楽しくてね。」

  あなたにとって、ロックとは何ですか?と私は抽象的な質問をしてみた。
「難しいねぇ。それは、”真面目に不良する”っていうことだと思います。”やめたらアカン!”。キマリすぎかなぁ、いけないっ(笑)」

  例えば無人島に・・・・・・。「宝島に?」と沢田さんが笑う。ええ、宝島に。ウォークマンとカセットをひとつだけ。沢田さんは何を持って行きます?
「うーん、難しいけど・・・・・・。2つになんない?OK? あのね、ストーンズの『スティッキー・フィンガー』と、ビートルズの『ホワイト・アルバム』!
 あの辺から進歩してないのね、全然(笑)。最近のレコードをずーっと聴いてると、最後にはそれを持ってきて聴いちゃうね(笑)。やっぱり、いいなぁーと思いながら。

 髪はずっと伸ばしてる。60年代に『10年、20年後、髪を切ってるかなぁ』『いや、伸ばしてると思う』って言っててね。一時、角刈りまでやっちゃったけど、あっ、似合わねぇや、って思ってやめた。唱ってて、髪がなんともなんないって自分でも腹立ってくるね(笑)。汗がジトーってひっかからなくて、つるつるすぐ落っこちてくるでしょ。ああ、つまんないって思って。短くすると知的になるけど、知的な事って似合わないんだよ。

 内田裕也さんの力って凄いよね。僕なんか彼に強引に(笑)ニュー・イヤー・コンサートに引っ張ってもらったってとこあるしね。あの人、いつも言ってる。『お前は、ロックだとか言ってTV出て、レコード大賞。それもいいけど、絶対、この場所を忘れるな』って。裕也さんみたいな良い強引さを持った人がいないと、なかなかそうならないね。
 僕は先頭に立つの好きじゃないから。僕は、一兵士。駒でありたいね」

  最近のコンサートで「めちゃ楽しかったのはキッド・クレオール」と彼。「あのオッチャンの方が、ひょうきんにいろんな事やるじゃん?ああいうの好きなんだよ(笑)。落語好きだし、漫才好きだし。フラメンコ観に行っても、コミカルな踊りする人の方に、僕はさらわれちゃうね。」

  インタビューの間、オフィスのTVでは阪神×巨人戦が放映されていた。高校時代、野球選手であり、チームでは完投ピッチャーとしても名高く、阪神ファンでもある。
「本当に好きな選手って、癖のある人ばっかり。張本さん、藤尾さん、江夏さん、鈴木さん、落合でしょ。最近では近鉄の平野って好きだったのよ。
 そういえば、ロッテの村田さんが腕を手術して再起パーティをやったことがあって。休んでた頃だから、髪、ぼうぼう伸ばして行ったわけ。わかってくれないと困るから、自分で(笑)『沢田研二と申します。頑張って下さい』って言ったらステージで挨拶させられたのね。で、『2桁勝利を目指してぇ』なんて言ってたらさ、後から挨拶する人が皆、『とにかく1勝、とにかく1勝』って言ってるわけ。俺は何てモノを知らないんだろう、恥しいな、また芸能人の馬鹿、って思われたんじゃないかなって。皆はもっと厳しく見てて、もう終わった人間なんだみたいに思ってたのかもしれない。世代的には同じだからね。で、そのシーズン、村田さん、10勝以上したじゃない?ほら、見ろ」

  このインタビューの2週間後、彼はTVでクリームの『ホワイト・ルーム』、ベン・E・キングの『スタンド・バイ・ミー』を熱狂的に歌った。それはまるでロックン・ローラー沢田の復活を予感させるようだった。

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