ふりむくなジュリー(1975)前編

JULIE

引き続き1976年前後を回遊しております🐟

放送日は分かりませんが、1975年の10月18日~11月10日にフランスへ行った頃ですね。
フランス盤第3弾シングル「FOU DE TOI」のプロモーション及び東宝映画「パリの哀愁」撮影が目的でした。



ちなみに、この撮影中、日本からどうしても帰ってこいとのお達しがあり、
第6回「日本歌謡大賞」におけるノミネート時、11月3日、フランスから番組出演のため一時帰国、午前11時20分羽田着~夜10時半再びフランスへUターンというありえないwwスケジュールをこなしたのでした。

ジュリーはたびたびヨーロッパに来る。そのほとんどが仕事なのだ。
今度もその仕事だ。
パリでレコーディングした「FOU DE TOI」というフランス語の曲のキャンペーンのため、彼にぴったりとついているのは無二の親友・加瀬邦彦だ。もう二人ともすっかり旅慣れているせいか、改めて緊張するでもなし、当然のスタイルのようだ。

ジュリーがこうしたキャンペーンにも動じないまでになったのは、ただ単に日本の歌謡界の大スターだから、というわけではないだろう。

もちろん今では日本中どこへ行ってもジュリーの人気は絶対的なものである。
しかし、それとてタイガースのアイドルとしてデビューしてからもう10年の道のりがあったのだ。


もう10年もたったのかと思う人が多いかもしれない。それほどジュリーのステージは新鮮さを保っている。

実際、こうふりかえってみたら、10年目なわけですけども、やたらとこう5周年とか10周年とかいってケジメをつけたりとかするよりも、いつまでもなぜかこう若いとか、なぜかそういうことを感じさせないとかそういうことが一番僕らには必要なんじゃないかなと思うし、そういった中でいつも自分自身の気持ちとしてはね、なんにでもこう「俺はこうだからこうなんだ」とか「こうだからいいんだ」とかそういうような気持ちを持たないようになんでも・・・「何かやるとどういう結果が出るかわからない」というそういう恐ろしさも知ってないといけないけど、「なんかやったら10あるうちの1つはいい結果が出るだろう」と思って、「なんでもやってみよう」というような気持ちをいつまでも持ちたいなと今は思ってますけど。


10年目だからといって、ジュリーには特別な感傷がないのかもしれない。
しかし、今ある種の不安感が胸の中をよぎっているようだ。
それは、パリではまったくの新人歌手なのだから。
しかし、その不安もフランスのテレビ出演の直前に消しとんだ。
ファンにサインをせがまれ、こんな風景が日本にいる時と少しも変わらないからだ。

フランスのスタジオで「FOU DE TOI」を歌うジュリー

テレビに続いてラジオのゲスト出演。
アナウンサーの言葉は日本のスター沢田研二がパリでいかに売れているかを強調し、感嘆した。それはジュリーにとってなんとなくてれくささを感じさせるものだ。

ジュリーの新曲「FOU DE TOI」はテレビラジオのリクエストがかなり多いと聞かされ、自分の耳を疑わずにはいられなかった。
本当に売れているのだろうか?「沢田研二」という名前が、パリの人々に知られているのだろうか?

ためしに、パリのあるレコード店をのぞいてみた。


そこで聞いた言葉は異口同音に「KENJI SAWADAは素敵な歌手だ。パリっ子のほとんどはその名前を知っている」ということだった。
中には「ジュリーはフランス人と少しも変わらない親しみのある歌手だ」という声もきかれた。

ジュリーが今回パリにやってきた目的のもうひとつは、フランスの女優・クローディーヌ・オージェとの共演「パリの哀愁」のロケーションのためだった。

撮影は日本のスタッフで行われていたせいか、ジュリーはいたってリラックスしている。外国でロケーションをしているというイメージからはほど遠い。

撮影は順調に進む。
日本のトップスターであるジュリーの表情は堂々とし、その瞬間は俳優・沢田研二としてまさに世界に通じるタレントの名を思う存分発揮しているかのようだ。


ここで共演しているフランスの女優・クローディーヌ・オージェの話を聞いてほしい。
彼はとても勘のいい人である。歌手としても俳優としても世界に通用するタレントだ。
決して外交辞令ではなく、心からジュリーを褒め称えているマダム・オージェの言葉が印象的だった。

長いのでいったん切りますー

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