ザ・スター 沢田研二15

JULIE
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第15章 人・人・人

動物よりは人間

 人はともすると人間不信におちいったりすれば、犬や猫の方がよほど情が通じるのではないかと思ったりもするのだろうが、ぼくの場合は動物ぎらいときてるから、自己の中で解消するしかない。いや矛盾やうその要素を含んでいる人間の方が、動物よりもずっと好きだといった方がいい。
 なにより動物とは言葉が通じない。彼らとのフィーリングなんてものは、人間の一方的な誤解だったりもする。だからぼくと動物との関係は主従関係にしかならない。ぼくは主というのがにが手である。
 4月、歌手の仲間入りする人がいる。ぼくにあいさつをする。よろしくご指導を・・・・というところなのだろうが、はたしてぼくに教えるものがあったのだろうかとふと思う。歌手が習うものなどあっただろうかとも思う。
 新人歌手がどこまで本心でぼくに言葉をかわしているかは怪しい。マネージャーの意のままに動くのが大半である。そして古くからの芸能界のしきたりを早く覚えなければと、あせったりもする。
 はっきりいおう。きみ達(新人歌手)は本当にぼくに礼儀を尽くさなければいけないと感じているのか。ぼくを先輩だと思っているのか。もしも疑問を持っているなら、せめてぼくら世代からでも古い芸能界にしばられるのはやめよう。きみ達よ、意思を持て!

欲しいなら盗め

 郷ひろみ君、西城秀樹君、野口五郎君らはぼくとちがったプロダクションから生まれた。
 よかったと思う。沢田の弟分としてよろしく、といったような一種、抱き合わせ的なデビューだったら、今の彼らはなかったかも知れない。スターになるためには他人の名を借りてはいけない。
 たとえばアラン・ドロンのファンがいたとする。ドロンがぼくをすばらしい歌手と評してくれたとして、それを売り文句に歩いても、ドロンのファンはやはりドロンが一番好きなのであって、ぼくは良くて二番目にしかならない。
 ぼくらタイガースは、渡辺プロダクションよりのびのびと手足を伸ばしてデビューした。頭の上がつかえるような似かよった歌手がいなかった。ワイルド・ワンズは同じグループサウンズでもちがったタイプであった。
 そして現在、森進一さんにしても、布施明さんにしても、まったくジャンルのちがった人達と並んで仕事をしている。ぼくは自分の歌を歌える場を与えられている。
 ぼくと同じジャンルの新人歌手が渡辺プロダクションからデビューしたとしたら、ぼくはきっと冷たい。先輩と呼ばれることも拒否するし、弟とかわいがることもない。そんなに甘いもんじゃない。欲しいなら盗め!ただそれだけだ。

無関心がつらい

 ぼくは神様じゃない。博愛主義者じゃない。誰も平等に愛することなんか出来ない。一番目に大切なのは自分、二番目は仕事仲間、三番が友達、四番目が家族・・・それぞれと対等にむかいあうことにしている。
 平等という並列的なむき方は好きじゃない。人という字は二本の棒がつっかえ棒をして出来上がっている。並列に並んでいてはひっくりかえってしまう。つっかえ棒をした接点で相性良く行くか、トラブルが起こるかは知らない。しかし、それをさけて人は成り立たない。
 誰かがいった。きらいだ!という言葉も相手を感動させる手段だと。無関心がなによりもつらい。そうして愛しあって、憎みあって人は生きていく。
 だからぼくと新人歌手は対等にむきあっている。

妻は僕の”部分”

 ぼくの大切なものの中に妻という言葉をあえていれなかった。この人は全部の中に何らかの影をおとしている。一つのジャンルや数の中には入らない。無機物であって有機物なのだ。
 その人が三月末に腰の痛みを訴えた。二人ともねんざだと思っていた。風邪をひいてて熱もあった。ただのねんざではないと思い、慈恵医大にいったのは日が過ぎてからだった。
 腎膿瘍(じんのうよう)という腎臓からウミが出る病気だった。お医者は以前から持ってたもので、目立たなかったのだろうと説明してくれた。
 すぐに入院が決まった。ぼくは春のコンサートツアーに出かけていた。電話でも明るい声をあげていたし、命に別状ない病気であることが気持を楽にしていた。
 病室の彼女を見舞ったのは神戸から帰った日だった。大勢の見舞客に囲まれながらにこやかにふるまっている妻がみえた。ぼくはこれでも主人なのだろうか、すみの方に押しやられるようにして、ただそんな姿の彼女を安心しながらみやっていた。
 言葉をかわしたのはしばらくたってから。
「申しわけありませんでした」
「いいんだよ」
「でも役に立たないし、お金もかかるだろうし・・・・」
「悪いと思ってるんだったら、おまえの小づかいから入院費を払っておけよ」
「そんなのいやよ」
「だからいいんだよ」
 この人と対等にむきあいながら、ぼくはつかの間の時間を過ごした。だが妻であるこの人は入院費をぼくに払わせるという。やはり対等ではないのだろう。ぼくのある部分なのだろう。
 だがお金は共有出来るとしても病気はそれが出来ない。4月14日、手術は成功した。二週間後には元気な姿で退院できる。これからはぼくよりも自分が大切なことを自覚してほしい。

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