ザ・スター 沢田研二24

JULIE
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第24章 加瀬邦彦の手紙

話した人 加瀬 邦彦(作曲家)<1976年6月25日>

芸能人という立場

 パリのドゴール空港でひとり便を待っていたら、エールフランス社の日本人が、ぼくに声をかけた。
「先日、沢田研二さんもその場所でポツンとひとり飛行機を待っていました。右手に包帯を巻いて、ひどく考え深げな寂しそうな姿でした。何かあったんですか?」
 ぼくは何も答えなかった。沢田、きみは今、謹慎を命じられたが、ずっと前からこの責任をどう表そうかと、自分で考えていたのではないか。覚悟は出来ていたように思う。
 実際、同行したパリでは、きみの気持ちが痛いほどわかったから、ぼくはだまっていた。事態の重苦しさとは反対に、渡欧の成果はすばらしかった。世界の一流シンガーを集めたラジオの公開録音でも、きみは同等にあつかわれていたし、車にしがみついて追って来る熱狂的な固定ファンの数も増えた。
 突き放した感じになるが、ぼくは自分の仕事でロンドンに飛んだから、きみはひとりでプロモートしてまわらなければならなかった。招かれたパーティーでの英語はどうだったろうか。ぼくがそばにいると、二人だけの日本語の会話になってしまっていたが・・・・。そうしてきみは見事に仕事を終え、東京にたったひとりで向かった。

 今回の暴行事件を耳にしても、どうして!?とぼくは思ってしまう。誰よりも芸能人という立場を気にしていた性格のきみだから。列車の中でテープ・レコーダーを鳴らすぼくに、
「他のお客さんの迷惑になるから・・・・」
 とヘッドホンを貸してくれた時もあった。メンバーと一緒に騒ぐのも嫌った。どちらかといえば、融通のきかない堅物で、歌手じゃなかったら、銀行員が似合うと思ったりもした。

相性が合ったなあ

 10年前に初めてきみと会った時を思い出す。実に印象は薄かった。たしか、ぼくはワイルド・ワンズを結成したばかりで、大阪のデパートに出演中、きみ達ファニーズ(タイガースの前身)が見舞ってくれたのだ。4人のメンバーのかげにかくれるようにきみはいた。きみを色鮮やかに覚えたのは、ステージを見た時だ。なぜ日常のきみから、あんなにも華麗なジュリーに変わることができるのか、ショックだった。
 無趣味なきみをテニスや釣りに誘った。
「どうもぼくには合わないなあ」
 答えはいつも決まっていた。いつのまにか、ぼくは無理にきみを誘わなくなった。それでもきみとぼくとは相性が合った。理由もなく夏の海にいたり、水割りを飲んだりしていた。どうしてきみと一緒にいたいのか、どうしてか・・・・・。

 沢田、きみは気になるヤツなのだ。ヒット・チャートにのぼる歌手だからじゃない。アイドルだからじゃない。きみの著名さなどまったく知らない外人と食事をとった時、黙って食べるきみに、
「おいしいですか?」
 などとまわりがなぜか声をかけたがったのを覚えているか。沢田、それは天性の存在感だ。相手が気をつかわずにはいられなくなるのだ。きっと、すばらしいことにちがいない。
 だが、きみが黙れば黙るほど、まわりは気をつかう。ここにきみの欠点が同居しているのも事実だ。相手が気にしすぎて、いいことばかりをならべたてるとも限らないからだ。
 沢田研二はもはや大きな存在だ。だんだんと、まわりがきみを否定しなくなって来る。きみは、自分の考えだけに頼らなければならなくなる。頭が固くなる。もっと吸収するものがあるはずだ。その努力は自分でしなければならない。

きみはいつも受身

 きみは人をのせようとしたことがない。かたくなだ。
「与えられたものは絶対にいいものに仕上げる」
 きみは言葉通り、いつも期待以上の成果をあげる。だが、きみが一言自分から意見を言っていたら、もっとすばらしいショーが、レコードが、出来たかもしれない。受身なのだ。外国アーチストで成功した人達は、ステージ以上に、ふだんの人づきあいや話術がたくみだと聞く。一度相手をのせてみせてはどうか、その上にきみがたてばいい。

 この1ヵ月は、きみのスタッフやぼくにとっても、ひと息つくひまを与えた。沢田、ぼくらはいそがしすぎたのだ。本来なら、今日はきみのLPの録音にたちあっていたはずだ。
 沢田研二の音楽というものをみつめなおす機会が生まれた。某日発売というローテーションに流されて、あまり風俗的すぎる沢田不在の音楽を作っていたのかもしれない自己嫌悪が起きる・・・・。
 きみも詞や曲を書けばいい。ぼくにはみつけられないきみの色がきっと表れるはずだ。アルバムとはそういうものだ。

燃焼する日はそこ

 7月30日渋谷公会堂でオープニングする、サマーツアーの音楽構成はだいぶ出来た。一層アクチブに、速いテンポのリズムものが主流をしめる。ステージ衣装も考えている。きみのダイナミックな姿が見えてくる。7月24日から合宿は開始する。きみは誰よりも速く汗をぬぐいながら走ってくるだろう。
 パリやロンドンで買い求めた30枚ものレコード。きみはその一枚一枚を家で聴いてる頃か。胸にこみあげる歌の数々を、そうだ、もうすぐ燃焼出来る日のために。

加瀬さんらしい、率直なジュリーへの言葉ですね。
文中、なんで受身なのかな?というくだりがでてきますが、これは私の想像ではありますが、自分の意見を出してしまうと、やはり地味=売上につながらない、ということを想像したのではないかと。楽をするのではなくて、人から見て、「ジュリーはこれが似合っている!」とその意見でもって輝かせてくれるほうが自分にとっては、自分を含めたチームにとってはいいものとなるのだろうと分かっていたんじゃないかと。そしてもっと将来を見据えた時に、出来る限り歌い続けたいという気持ちがあるのだから、今はこのみんなが持ち上げてくれている神輿の上に乗れるだけ乗っているほうが、長持ちするという考えもあったんじゃないかと。水戸黄門的なね(笑)そんな気がします。

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