ザ・スター 沢田研二26

JULIE
スポンサーリンク

第26章 静寂

話した人 森本 精人(沢田研二マネージャー)<1976年7月9日>

そってないヒゲ

 沢田は謹慎初日からヒゲをそっていない。もともと、あまり濃い性質ではないが、それでも指でつまめるほどに伸びた。このヒゲを晴れてそれるのはいつの日だろうか。手の甲のケガは完全になおったらしい。体重は変わりがない。相変わらず米は口にいれない。どんな状況におかれてもコンディションを狂わすわけにはいかない。精神のバランスまでこわれてしまう。
 早朝マラソンを続けている。何も考えずに無心に走る。朝の冷気がホオをなでる。自然と沢田だけの時間。生きていることの証が、やがてひたいの汗となってあらわれる。
 6月25日、沢田は28歳の誕生日を迎えた。例年ならば友達と陽気なパーティーを開いたものだが、今年はそんなかけらもない。ごくあたり前の1日を迎えたにすぎなかった。自分の生まれた日を、生まれた意味を、沢田は静かに考える・・・・・。
 誕生日を祝ってもあげられなかったという、いたわりなのだろうか。井上堯之バンドの面々が酒でも持って沢田をお見舞いしようと計画した。

カゼで寝込んで

 本人にはあらかじめ知らせないでおどかしてやろうと、7月3日、
「沢田、元気か。これから行くよ」
 と全員、意気揚々電話をかけたのだ。受話器の向こうから聞こえた声は沢田ではなかった。
「せっかくですが、昨日から風邪をひいて寝込んでいます。熱が40度もあるので・・・・・」
 としばらく連絡もとだえている中で、沢田は病床にふしていた・・・。熱は5日には平熱に下がった。
 沢田はゆっくりとした時間の中で詩集を読む。急に規則正しい生活のリズムの中で、今まで経験しなかった単調な時間に、当初はうろたえもしたが、いまは時の流れをゆっくりとみつめることが出来る。使い古しのギター、そしてチェンバロが一台、沢田に歌え!!と部屋のすみでささやきかける。
 沢田は、いまの素直な感情を歌にしようと思った。作詞・作曲の歌が3曲。メロディーだけの歌が5曲できあがった。
 ぼくが謹慎後の打合わせをかねて沢田宅を訪ねたのは、そんな時であった。
「忙しいのに遠いところまでわざわざ、ごめんね・・・・・」
 沢田の口から、スタッフのぼくに対する感謝の言葉がもれた。
「変わったな」
 それがぼくの直感だった。いままではたとえそう思っていても、なかなか口に出せない沢田だった。

素直に甘えろよ

 沢田はてれくさそうに、
「歌を聞いてくれ」
 とカセット・テープのボタンを押した。ギターがコードをきざむ中に、久しぶりの沢田の歌声が聞こえてきた。なつかしい声に耳をたてて、一言も一音も聞きのがすまいと耳をたてた。
<あなたの愛するように愛されたい>沢田の原詞に正確かどうかは分からないが、ぼくはこの言葉があざやかに残った。
 そうだ、沢田、きみはあまりにも全責任を自分で負いすぎて来た。ぼくらはきみのスタッフだ。きみのためにあるチームなのに、なぜいまままで素直に責任のひとつもあずけてくれなかったのか。全部きみがかかえて、それでどうなったというのだ。もっと心をぼくらにゆだねていいんだ。
<あなたの愛するように愛されたい>なんとすてきな言葉なんだ。
 ――曲が多少ヘビーなのが気にかかる。やはり謹慎という重い状況の中で、素直に歌を作ったとすれば、こういうメロディーラインになるのだろうと思う。いまにきっとハッピーな歌を作らせてみせる。きっとだ。

忠告にうなずく

 謹慎中であるがゆえに、コンサートやレコーディングの打合わせに、沢田はいっさい参加しない。スタッフが検討した結果の報告をするために、ぼくがたまに沢田宅を訪れるだけだ。
 沢田はぼくの話を聞いて、7月30日渋谷公会堂からスタートするロックンツアーを自分の頭に描いて夢みるのが精いっぱい。積極的に舞台効果を考えたり、具体的に衣装をデザインすることは許されない。
 だからこそ、いまはスタッフを信じるしかないのだ。ぼくの報告を聞き、スタッフの一人々々が沢田のために努力している様子を、今度ほど彼が身につまされて知ったことはなかっただろう。誰かがこんなアドバイスを言ってるよ、と言えば、沢田は一回々々うなずいた。
 沢田研二はいま静かだ。動かない。彼に関する記事の載った雑誌や新聞だけが動いているだけだ。その情報の動きを沢田は、じっとみつめる。その目だけが燃えている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました