ザ・スター 沢田研二28

JULIE
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第28章 晴れ

話した人 沢田 研二<1976年7月23日>

解禁・・・音がふらつく

 空がまぶしい、こんなにもまぶしいものなのか。白いスーツを着ても、それより夏は輝いていた。
 7月20日、1ヵ月ぶりの外出。謹慎が本日で解けたことを報告するため、各新聞社を訪問。
「少しやせたみたいだね」
 といわれる。確かに体重は3キロ減った。風邪で寝込んだ日から変わらない。しかし体調は良好、伸ばしたヒゲもそり落とした。
 四谷スタジオで、「ジュリー・ロックンツアー’76」の初リハーサル。井上堯之バンドの面々はいつもとかわりなくぼくを迎えてくれた。いまのぼくにはかわりないことがなによりもうれしい。
「何からいこうか・・・・・?」
 そうだ、この言葉、この感じさ。1ヵ月の空白が瞬時にしてもどる。腹にしみわたるバスドラム、エキセントリックなギター、アドリブするキーボード・・・・バックの生音に体がふるえる。
 ぼくは帰って来た。歌う世界に帰って来た!声が新しい。いつもより高いキイまで行けそうな気がする。音がふらつく。まだ歌うことになれていない。あと7日でステージの幕はあがる。急がなければ。
 それにしてもこのうれしさは何だ。ぼくは本当に歌が好きらしい。いままでは好きで歌を歌ってるなんて、はずかしくていえやしなかった。仕事として歌ってるといった方が、どんなにか説明がついた。だが、いまときめかずにいられないこの胸は、歌が好きだと叫んでいる。ぼくは歌が好きです。

喫煙量が倍に

 長い1ヵ月だったと思う。初めの1週間はベッドに入っても目がさえて眠れなかった。何を考えているのか、その考えさえもわからないのほど頭がフルスピードでまわる。
 電気をつけて起きあがる。タバコに火をつける。1日の喫煙量がいつのまにか倍になっているのに気がつく。だが他に気をまぎらわせるものがみつからない。
 やがて夜が明ける。空腹感は覚えない。朝刊が届けられる。すみからすみまで読みつくす。いままで見ることもなかったテレビ番組、NHK「政治討論会」にチャンネルをまわす。意外におもしろい。むずかしい言葉が不思議にすっきり頭に入る。
 もうすっかり昼、人のにぎわいが感じられる。なぜか安ど感にも似た脱力感が体を走り睡魔が襲う・・・・。 
 じっとり汗ばんだ体が眠りから覚めると、もう外はヤミである。そしてまたひとりの長い時間が始まるのだ。
 早朝マラソンを深夜マラソンに急変した。どうしたことだろう。まばゆい光の中をなぜか走れない。いつも午後10時をまわった頃に、ぼくは人通りの少ないコースを選んで走り出した。見知らぬ人がすれ違う。するとぼくはうつむいて走っているのだ。なぜ顔を上げられない。いつから孤独なランナーになってしまったのか。
 悪いことばかり考える。もしやぼくは自分らしさがなくなってしまうのではないだろうか。ぼくの自我、その強さが引き起こした今回の事件であった。しかしその自我にぼくのなくてはならないはずの精神的な強さや男らしさも含まれているのだ。
 大分弱気になっている。肉体はこの間過密なスケジュールを抜けだして人間的に回復しているのかもしれないが、その一方でなくしていくものはないのだろうか。
 そんな予感をまぎらわすためにもギターを手にする。歌を作る。フレーズが出て来ない。以前はその理由を忙しさのせいにしていた。この1ヵ月はありあまる時間があるじゃないか。きっと才能がないんだ・・・・。それじゃいったいぼくは何をすればいいんだ。

30日、渋谷公会堂

 また眠れない日が訪れた。謹慎が解ける3日前からである。ステージで歌う自分の作った曲。その音符が頭の上で跳びはねている。まさしく興奮状態である。その状態は7月20日にむかってエスカレートしていった。きっと歌いたい体が熱を増していったのだ。

 その日は晴れるだろうか。ぼくは7月30日渋谷公会堂で久しぶりのステージをどうつとめればいいのだろう。新しい気持ちでのぞみたい。
 しかし変にかわりたくはないのだ。ぼくはそんなにぎくしゃくステージを踏むことは出来ない。いままで通りのぼくの歌、そのぼくの歌を好きな人のために堂々と歌う。あなたの拍手は聞こえるのだろうか。

この時からさらに10年以上たち、「我が名は、ジュリー」にて改めてこの時のことを振り返っています。

――そうやって少し仕事を離れているときというのは、どんな感じですか。やはり、後半のほうは、焦るとか・・・・。

それはありましたよ。正味1ヵ月だったけど、今日から休むというのが決まって、それからしばらくは、自分のせいでなんてくだらんことしてしまったんだろうと。

――自己嫌悪もあるしね。

それから、はたと気がついたら、いままでちゃんと休んだことがない。時間を盗んでひそかに休むというくらいで。だいたい休むということがよしとされない時代でしたからね。休暇をとるとか、充電期間だとか、そんな習慣はなかったもの、当時。だから、こんなに休んだあと出ていって、みんなが受け入れてくれるんだろうかと、不安でしたね。・・・・・朝から晩まですることないわけだから、一日じゅう、テレビばっかり見て、テレビなんか見てると、結構、気がまぎれるんですね。

――それまでは、まとまってテレビを見る時間なんか、当然なかったわけだし。

それこそ、暇だからなんでもかんでも見るわけですよ。そうするとね、いままでだったら、こんな番組くだらんというふうに、自分のなかで決めていたところがあったんだけど、くだらんとか、くだらなくないとかいうことよりも、どういうぐあいに楽しむのかということが、みんなにとっては大事なんだろうと思いはじめた。

――見る立場に立ってね。

考えたら、僕なんかは落語だとか、漫才だとか、関西吉本喜劇だとか、好きだったし、ずっと好きなんですね。ただ好きで見てる。そう考えてみると、自分がこれをやったらどうなんだろう、けっこう人は意外性が出ると喜んでくれる場合もあるだろうし、え、あの人がこんなことやるのみたいな。気取ってないとか、気さくな人だみたいな言われ方をすることもあるだろうし。僕たちがこう思ってほしいと思うとおりには、けっしてならないんじゃないかと。いやな言葉で言えば、トチったことを喜ぶ人だっているだろう、みたいなことを、なんかのきっかけで思うようになったんですね。じゃあ、こんど復帰というか、謹慎が解けて出ていくときには、どういうぐあいにすればいいか。ひそかに復帰するのはつまらない。どうせなら、華々しく復帰をしなきゃいけない・・・・。

――そこからすでに作戦を練り始めるわけだ。

あとは、残りの一週間ぐらい、曲を作り始めたわけですね。スタッフたちが、うちへ来てくれまして・・・・・。

――謹慎1ヵ月たって、結局「紅白歌合戦」なんかも、その年は辞退したんですね。そこで見る側に回ったこともあって、また一つ腹がすわったのかもしれないね。

そうですね。新聞にああいう事件が出てしまったら、もうこれ以上の恥ずかしいことはない。親戚にも迷惑かけて。だから仕事でもってやることは、多少の恥をかいたって、あれに比べれば大したことはない。それから、イヤリングをつけ始めたり、いろいろなこと始めましたけど、べつにいいじゃないの、仕事だからと、割り切るようになりました。

――それが、派手派手路線というか、華やかなシリーズへの転換の、精神的な伏線になってるわけね。

本気になりましたね。結果的にはあの一件で、自分でいままで積み重ねたある種の信用とかいうのを、自分でつぶしてしまったわけだし、それはなんとかして自分の力で取り戻さなきゃならない。

長い1ヵ月の謹慎生活を経て、それを糧にジュリーはますます精力的に芸能活動に挑んでいったわけです。

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