ザ・スター 沢田研二32

JULIE
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第32章 ホームラン

話した人 沢田 研二<1976年8月20日>

再び幕が開いた

 もしも目に見えない幕があったとして、ぼくはその幕が開いている限り、ずっと長い間歌っていたのだ。夏が終わり秋がきても、冬が去って春風が吹いても、ぼくはステージに立って移りいく季節を、人々をながめていた。
 ぼくのまわりは走馬灯のようにめぐるのに、ぼくを照らしたピンスポットだけはなぜか一点そのままに・・・・。
 そんなことをホテルのベッドに横たわりぼんやり思うのは、もう半分以上を消化した今回のツアーで出会うファンの人々が、実に新鮮に映るからだ。1ヵ月の謹慎は明らかに幕なしの歌手生活に突然幕をおろしたものだった。
 そして再び幕が開いてステージから見えるのは、いままで体験出来なかったまるで新しい客席であった。
 ステージのぼくを見る人々の顔色がちがうのだ。はずんでいるのがわかる。手拍子の音もちがう。楽しそうに見てくれているな、といった実感が伝わってくる。
 突然の幕が作った空白の時間の中で、きっと人々とぼくの間にあった何かがふっ切れたのだ。ビートルズ・メドレーのコーナーは、客席からリクエストを受けるアットホームな雰囲気のステージ。出来る曲もあれば出来ない曲もある。そしてそのアドリブを客席と楽しむ。心のどこかがあたたかい。ぼくがステージであいさつする。
「このたびはファンのみなさまにご心配をかけて・・・・」
 といった文句も、なぜか不似合いなような感じさえする。渋谷公会堂で1ヵ月ぶりに再びステージを踏んだ時のあいさつは、まさしく当時の気持ちをそのままにはきだしたのだが・・・・。ことさら野外のステージなどで開放的な気分で集まった人々の前では、いいだしにくいものだ。あいさつをやめた時もあった。
 ぼくは順応性が強いだろうか。喫煙量も謹慎中の40本から半分に、すっかりもとにもどった。体調良好、旅は続く。

9回裏の大逆転

 夏の全国高校野球大会は決勝も間近になった。ぼくらの夏季ツアー野球大会も2回戦が行われた。対戦相手はMBS毎日放送。大阪公演後、敵地MBSグラウンドで激戦が展開された。
 11-8で迎えた9回裏、打順はぼくから始まった。スタンスを肩幅に開き、投手をにらむ。打てそうな気がする。打撃より守備に自信があるぼくにしてはめずらしいことだ。一瞬ボールが止まったようにみえた。ためていた腰のバネをその一点に集中してバットをたたきつけた。ボールは完全にミートされ青空高く飛んだ。その放物線は頂上を知らないかのようにどんどん伸びる。ぼくは全速力で走りだした。一塁から二塁をけっても返球がない。三塁・・・・そしてホームを踏んだ。ホームランだ!どうしようもなくうれしい。
 ぼくのホームランは反撃の口火となった。ついにこの回4点を返し、12-11の逆転勝利をおさめた。しかしなぜホームランが打てたのか、あくる日悪いことでも起こるのではないだろうか・・・・。
 8月14日零時、姫路文化センターでは昨日の勝利に酔いしれながら音合わせが開始された。楽屋にもどると森本マネジャーの顔が見えない。彼は同点の殊勲打を打った人。もう一度ほめたたえようと思ったが・・・・!?
しばらくして楽屋のトビラが勢いよく開き、ぼくは森本氏から逆に声をかけられた。
「沢田君、検察庁の処分が決定した。不起訴になったよ!」
「!?」
 ぼくはふいをつかれた。彼は一気にいい終わると昨日の勝利にもました微笑をぼくに見せた。その瞬間緊張がほぐれた。
「・・・・・・」
 肩の力がぬける。終わったのだ。これで終わったのだ。ぼくはゆっくりとうなずいた。すぐに井上バンドのメンバーが聞きつけて、
「本当によかったね」
 とやさしくとりまいた。
 長いもうひとつの旅だった。人にはいえないもうひとつの旅だった。ツアーがいくらアンコールの連続で成功の日々をおさめていたとしても、もうひとつの旅は深く心の奥に潜行して暗いかげりをぼくにみせていた。しかしまぎれもない不起訴という結果が、その旅を終了させたのだ。

不起訴で旅終了

 本ベルが鳴った。幕が開く。ことさらに新鮮に客席の息吹を感じる。知らせなければ、暗い旅の終わりをみんなに知らせなければ。その勢いで一曲を歌い終わった。一歩進み出る。ノドに言葉がからまる。客席の拍手が高まる。

 よかったですね。ジュリー・・・この後姫路のステージで「不起訴になりました」とおっしゃられたのかしらん。。
 

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