第30章 アンコール
話した人 沢田 研二<1976年8月6日>
不安なんてない
北海道の空はぬけるように青い。モントリオールオリンピックは華やかに幕を閉じたが、ぼくのツアーははじまったばかり。今日は札幌から函館に向かう。各地でファンの人々がどうぼくを迎えてくれるか楽しみである。
「久しぶりのステージで、ファンの反応はどうですか?」
とよく聞かれるが、1ヵ所や2ヵ所の公演で決められるものではない。
「まだわかりません」
ときわめて正直に答えておこう。
7月30日、ぼくは深い眠りからさめた。1ヵ月ぶりにステージに立つ不安はない。いつもの睡眠時間と同じだ。鏡をみる。
「近頃目つきがかわってきた」
と家族にいわれていた。鋭くなったのだという。ぼくがみる、ぼくの顔にそんな感じはみられない。よほど謹慎中にだらしない目つきをしていたのだろう。いや自分では平然とかまえているつもりでも、やはり初日に向かって緊張状態が体のどこかにあらわれていったのか。
渋谷公会堂の入口には巨大な立看板が立てられ、ステージには銀のツリ物がセットされ、すべて準備は完了していた。
音合わせは午前11時定刻通りに開始。誰もいない客席に向かって歌う。午後2時を20分まわってやっとアップ。念には念を入れたつもりだ。開場の時間までまもない。楽屋4号室がぼくと井上バンドの部屋。花が届けられている。もう一度、進行表に目を通す。曲順はすべて頭にたたきこんでおいたはずなのに、確かさを次第に失っていく。新曲の歌詞は覚えているだろうか。ますますあやしくなっていく。
「ワァーッ、ごちゃごちゃになってしまった」
堯之さんが笑いかける。
「すこし腹にものをつめておいたほうがいいよ」の声。
「もうこうなったら出たとこ勝負だ」
弁当のおかずだけをハシでつつく。
そこに満員の客席
一ベルがなった。この合図で井上バンドはステージに板付、舞台監督のキューを待つ。客席のざわめきがわかる。ぼくは背中に鳥をあしらった白のスーツに身をかためると、鏡をみてもう一度髪にゆっくりクシを入れた。さあ、いくぞ。
暗ヤミの中でキューの懐中電灯がふりおろされた。同時にバンドの生音がスピーカーをついた。観客の叫び声が一層高くなった。ドン帳が静かに上がる。照明がさしてくる。ダークブルーからライトブルーへ、そのボルテージがあがる。スローのインストルメンタルがドラムをきっかけで、ハイテンポに変わった。突如照明はフルライトのまぶしいステージを作りあげた。
出番だ。思いきったような足どりで下手からおどり出た。満員の客席がそこにあった。ぼくはこの瞬間、1ヵ月の月日が、自分の胸から消えていくのがわかった。久しぶりの感情などどこにもない。まさしく昨日の出来事なのだ。それでなければ客席とぼくの心がこんなにうまくとけ合うはずがないじゃないか。
「レインフォールスオンザロンリー」
を一気に歌い始めた。ジュリー!の声と手拍子がぼくを包む。全身が歌になったようにぼくはゆれる。あんまり飛ばしすぎたら、あとがつらくなるなんて計算はたたない。ぼくはもう歌そのものだ。
エンディングの音でぼくの体も止まった。それから静かに客席の前にはりだした舞台に進み出た。拍手は続く。ぼくはゆっくりしゃべりはじめた。
「ファンのみなさんには、いろいろとご心配をおかけしました。でもぼくはもう元気です」
元気です。この言葉だ。あとはなにもしゃべることはない。なにをいっても歌よりまさるものはない。いけ!二曲目「キャンディ」
自作曲も弾き語り
アンコールの声に呼びもどされてぼくはギターを手にとった。このツアーのために用意した自作の歌を弾き語り。やがて、そのギターを弾く手も休めて、会場と一緒のコーラスだけになった。やっと最初のステージを終える。さよならはいいません、またおあいしましょう・・・・。
おもむろに帰りかけた足を観客の拍手に止められた。井上バンドをふりかえる。よし!「ロックンロール・ブギウギ」この曲ではじけて別れよう――。
それでも拍手はなりやまなかった。ぼくらは楽屋で汗まみれのコスチュームを洗いざらしのジーパンに着がえてしまったというのに。「ジーザスクライスト・スーパースター」ついにふだん着で3度目のアンコール。
「おまえ、イレ込んでないんだな」
内田裕也さんは初日を見た印象をこう語った。素直にうなずく。いつもとかわりなく見られたことがうれしい。そう、1ヵ月前とかわりなくぼくは歌っていくだろう。
体調が案じられた。2日目の朝であった。重いのだ。やはりなれないステージだったのか・・・・。ダメ出しの音合わせに立会う。耳に生音が呼びかける、歌え、歌え。するとぼくの体はまた歌心をおぼえたように、軽やかに動き出した。そうだ、その調子だ。旅はこれから長い。
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