喪主として③

つぶやき
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また今日からいったん実家に帰って、
おそらく山積みになっている後始末問題をひとつひとつ片付けていかないといけないと思いますが💦

葬儀当日

通夜ほどではありませんでしたが、また父の知り合いの方もいらっしゃったり、
親戚のしばらく会ってなかったような方もいらっしゃったり、
本当にありがたいやら申し訳ないやらでしたが。


通夜では喪主あいさつは私がやったのですが、
葬儀では父のお兄様にやっていただいて。
正直健康な頃はそれほど仲良くなかった印象ですが💦
さすがに病気になってからは、いろいろ頼る部分も多かったみたいです。
亡くなる数日前も病院から電話かけてきて「兄貴、もうだめかもと」泣きながら言っていたとか・・・
そんな父を、まだ母親も生きてるし、これから私に畑とかいろいろ教えてやらないとだめじゃないかとか励ましてくださったんですね。

そう、まだ私からしたら祖母が健在でして。。(100歳)
母より息子が先に逝った形ですね。
本当は私が葬儀も挨拶するべきかとは思いましたが、そんな会話を亡くなる直前にしてたんだなと知ることができました。。

そして、たくさんのお花に囲まれて、父は出棺・・・
火葬場に着き、最後の読経とお別れをし
炉の中に棺が入っていったのですが・・・

棺が傾いて×2・・・

これはツトムさんの最後の抵抗なのかしらん???

多分台座がずれていて、職員さんが裏の戸から入って直したらきれいに入りましたが。

それで、炉の扉が閉まる瞬間だったかな

頭に入ってきたんですよね。

父の声で

〇〇や、ありがとう

って。

もちろん、私の頭が勝手に作り出したのかもしれませんがw
私は本当に父がそう言ってくれたと信じたいかな、って。

多分ね、心配性なので、
いきなりこんな大役を娘がやれるんかいなって?
ものすごく心配してたと思うんですよね。
果たして上手くやれるんかいな?
っていう。

でも、特に人様に失礼なことなく終えられたので、
多分だけど安心してくれたかな?と


そして、いったん葬儀場に戻り、会席を皆さんと食べて、お骨拾い。


新しい火葬場ということもあるのですが、きれいに焼けていました。
想像どおり、父の骨は立派で、
骨壺に入れる時、大抵は顎の骨はすぐ割れるらしいのですが、結構硬かったらしいです💦
家にじっとしているというより、常に日光を浴びながら体動かしているイメージだったからなあ。
骨拾いの時に、実はいつかはやりたかった、映画の菜箸体験をやることになってしまったという・・・
ほぼ同じ菜箸で拾いまして、ああ、これは筍つかみにくいわ💦なんて思ったりして
もう骨になると、あくまでも目の前にあるのはカルシウムの塊で、そこに魂はいないっていう感覚になりますよね。

地域やお寺によるのかわかりませんが、この後はそのまま家にお骨を・・・という流れが多いとはおもう中、今回弔っていただいたお寺さんでは、この後いったんお寺に来ていただいて、本堂にてまたお経をあげていただくという、実に丁寧な所で。
境内も広くて、約400年も続く、由緒正しすぎるお寺さんでした。完全に分不相応ww

初七日は別に今日やりまして、私は学校で同席できなかったんですが。

というわけで、葬儀10時からだったんですが、なんやかやで17時前くらいかな、京都へ出発できたのが。
いろいろ大変といえば大変でしたが、いろいろ人生の先輩方が教えてくださるので、無事に執り行うことができました。

後はいろんな手続きとか、仏壇とか、お墓どうするんだとかありますが、
まあそれも、勉強、ということで自分の糧にしていけたらなあと思っています。


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