京都に帰ってきて、1日学校に行って、今日は自分の転出届出しに行ったりして
また明日1日学校で、明後日から約1週間ほど実家にいて、いったん京都に戻って、引っ越し準備して、やっとこさ引っ越しちゅう・・・
予定が大幅に崩れた💦スケジュールとなってしまいましたが
何かの参考にしていただければ、、とも思い、こちらにどういう感じだったのかを
書き残したいと思います(多分長いw)
それでも学校以上に日にちを変えられない、引っ越し日に葬儀が重ならなくてまだ良かったと思っています。。
それがせめてもの救いかな。
私も学校で、終末期について習ったんですけど、
がんって緩やかな体調の変化じゃなくて、もう最期がストーンって感じで、
だいたい抗がん剤やめて1ヵ月くらい・・・ということも知識としてあったので、2月の頭からすでに覚悟はできていたし、ただ資格取らせてくれぇぇ・・・だけをずっと思ってきたわけでw
喪主に関しては、ツトムさんががんになった頃から、自分が務めるんだ、という気持ちはあったので特にエッみたいなものはなかったんですけど、
葬儀社さんのことがね。
やっぱ最初にしたのがCMもやっている「小さなお葬式」の資料取り寄せ。
早割りもあるということでwそれも申し込んだりして。
今は家族葬だし、個人的にはできたら通夜は省いて一日葬でいいかななんか思ったりして。
たんですが、
10月に一度帰った時に、ツトムさんから葬儀社さんは指定されて
そこの会員になってて、毎月少しずつお金を払ってたんですよね。
それでもそこはちょっと高めということは調べて知っていましたし、私の中では、返金もできるし、金銭的も小さな・・・でできたらなあなんてすこーし思っておりましたが、私が京都にいる状態で亡くなられたので、もう私の意見も言う暇もなくw遺言の葬儀社さんが来られて家までいったん、遺体を連れて帰ってくださって。
それで、葬儀の準備をやる中で、知ったことですが、
ツトムさんは死期を察知してか、結果的に最後の入院の数日前に、懇意の葬儀社さんの担当者さんを家に呼び、どれだけかかるのかとか、いろいろ聞いたり指示していたみたいで。
それで、その私と同世代ぐらいの担当者さんは、今回が新規の縁ではなく、
これまでも父がグランドゴルフを通して交流があり、(よくある(会社名)杯)みたいなのを主催されたりして、
両親ともに可愛がっていた方で、
もうそうなると、そんなね、、お金がどうのこうのということは関係なくなって、もうそこにお願いするしかないじゃないですかw
もちろん49日まで、その方が担当者となって今回動いてくださってます。
それで自宅に遺体が運ばれたわけですが、
もういろんな物が置いてある状態の狭い家なのでw
「あと2~3日」というところから、いきなりでしたので、もちろん母も片付けている状態ではなく、
おそらく葬儀屋さんと、かけつけた親戚とで、私がレンタカーで実家に向かっている間、いろいろ家を片付けてくださってて、
タンスの位置とか変わってたり、ツトムさんが使っていたベッド(結局使ったのは2週間くらいでした)も折りたたまれていたり、狭い家ができるだけ広い状態になっていました。
私も京都から3時間ちょいかけて帰ってきて、19時半ごろだったんですけど
てっきり葬儀屋さんも帰られて(この時は親戚も集まっているとは思ってなかった)
母1人だけいるのかなと思ったら
10人くらい親戚の人たちがかけつけてくださってて💦
葬儀の打ち合わせまで長い間いてくださってましたね・・・
ツトムさんは、葬儀屋さんの手によって、きれいに布団の上に安置してくださっており、
肌艶も良く、きれいなお顔で眠っていました。。
がんって、最期やせ細って表現あれですけど、ガリガリの方と、浮腫んでちょっとふっくらしている方と分かれるみたいですが、ツトムさんは後者のほうだったらしく、最期まで「痩せたな」という印象は感じなかったですね。
私はツトムさんが、できる限りの「終活」をして、「もう思い残すことはない」という言葉も生前聞いていたので、対面した時に、穏やかな顔というのもありましたが、悲しみはあまりなくって、
(この世から立派に卒業できて)良かったね。という気持ちが強かったですね。
小さい頃から苦労してきたけれども、
定年後は悠々自適というのか、日々楽しみながら生活をしていたようだったので、
良い人生だったな、と思っています。
頭が良く、手先も器用で、字もものすごく綺麗で、人の世話をすることが好きで、人からも愛されて
今思えば、人間的に尊敬できるかもしれないなあ。。
特に人を大事にする心、無償の愛というのか、そういうのは私も見習って身に着けていきたいなと思っています。
生涯、ほとんど心の底の自分の気持ちを私に話すことはなかったですが、
ツトムさんが私が3月に帰ってくるのを楽しみにしていたこと、
新車が納車されたら、自分が一番に乗るんだと楽しみにしていたこと、
そんなことを人から聞いて
それだけが・・・きっと心残りだったのかなあと。
だから、49日までは父も一緒に家にいると信じているので、
半月ばかりですが、一緒に楽しく過ごせたらと思っています。
コメント
ご愁傷様です、そして、
ツトムさんもnasia さんもお疲れさまでした。
四十九日までゆっくり過ごして下さいね。
私はあちらのブログやツィッターをずっと拝見してて、何よりライブレポは誰よりも一番早くて楽しみにしてたnasia さんファンの一人です。
2・3度投稿させて頂いたことあるんですが、一度お会いしたかったです。
いやきっとお会いする日はやってくると
何故かそう思っています。
どうぞ、ますますご活躍下さいね。
コメントありがとうございます。
四十九日までは、父の死後処理や、私の引っ越しも重なり、おそらくゆっくりは無理でしょうがw
ライブレポは状況的にいろいろ忙しくなると思うので、詳しく書くことはできないのが申し訳なく思います・・・が、沢田さんに対する想いは一切変わらないので、これからもこのブログを読んでいただければ幸いです。