はね駒余韻(7)

はね駒
スポンサーリンク
スポンサーリンク

緊急事態宣言が全国的に解除されても、しばらく仕事行けずどうしようもないワタクシではありますが😅その間はお絵かきをし続けようと思いますw

はね駒16話はおりんが女学校に興味を持ち始めた、ということで女学校の説明をする松浪先生ですが、こんな松浪先生直々に聞かされたら「行かない」という選択肢は見事になくなるわけです(笑)

女学校に興味を持つりんに語る

りんは河原で女学校エエなあ~とボーッとして女学校に興味を持つりんに語るいると、たまたま松浪先生を殺す算段を話している男の声が・・・・そんなにはっきり聞こえるのかw
松浪先生に知らせたい一心でまた集会所に戻って

わたしは大丈夫だから

その夜、おりんは心配して、集会所の前に居座り、そのおかげで・・・
ではなく、松浪先生の美しい目力🌟によって、見事に男たちは退散💦
というこれまた少女漫画的な流れ(笑)

村人の前で教えを説く
眼力で悪者退散💦

男たちが退散後、ほっとしてその場に崩れるおりん。そのりんに駆け寄っていく中で足をすべらせてる瞬間を視聴者は見逃さないのであった( 一一)



今日は「ジュリーの本音」ということで、「不協和音」VOL.1で語っておられる、休養期間について途中まで書かせていただこうと思います。

’85冬——MEETINGの日々
では、1年前の冬頃は何をしてましたか?
ミーティングとか、レコード創りの準備とかだよね。

毎日人と会ってました?
わりと皆で会ってたネ。一緒にやって欲しい人たちを決めて集まってた。

どんなミーティングを?
まず僕が、”ちょっと本気でヤバイと思ってるんだ。ってこと言って。じゃいろいろ考えてみようと。皆、あーでもない、こーでもないって言ってくれるわけ、まあその中で皆が言った事ってのは沢田研二に対する熱いメッセージだったんですねェ(笑)。それを自分で言うのって何か変だけど、”沢田はスゴイ”って言うわけよね、要するに。でも本人は皆が思ってくれる程そうじゃないと思うヨ、みたいなところから始まって・・・・・・。

そういうブレーン・ストーミングは、春ぐらいまで続いたんですか?
そう。ずーっとやってたからネ、それは。
自分から言い出した事だけど、僕自身はそんなに長くは休めない、と思ってた。でもみんなは「いくら休んでも大丈夫」って言って。それでざっくばらんな話したり、色んなもの見たり、又さん(山本又一朗氏)と「MISHIMA」の試写見にカリフォルニアに行ったり。そうやってるうちに少しずつ形になってきたって感じ。

春―—レコーディング開始

そして4月からレコーディング開始。その時点で予想と違っていた事ってありますか?
開始時期は僕の思惑とズレちゃったけど、レコードを創る事に関しては最初から白紙に戻してやろうとう大原則があったから。
今回はレコーディング期間中、表立った仕事をしてなかったから毎日スタジオにいて少しずつ変化をみてたから驚きもなかった。今までは加瀬さんや木崎さんに任せっきりで歌入れの時だけスタジオ入りするって感じだったからね。
で、今回レコーディングやり始めた当時だと「指」とかそういうバラードの歌はクサイなァ、とか思ったりもしたけど(笑)、逆に新鮮だとも感じられたし。何よりも歌うこと自体、”これは快感である”と。今まで10何年間そんなに休まないで歌ってきたから、歌に対してここまで飢えた状態になった事はなかったからね。

レコーディング終えてから、すかさずツアーリハーサルに入ったんですか?
いや、リハ始まった時、まだレコーディングやってたナ。レコーディングのアレンジ決まってないうちにリハ入ってた曲あったけど、レコードとステージとは違っていいんだ、とか言って(笑)、臨機応変に。

新メンバーで音出してみた時、まずどう思いましたか?
クマさんのベースのビートがスゴかった。でもチトさんにしても石間さんにしても最初は恐る恐るって雰囲気で、なかなか始まらないんだよ。それに皆、1回やっては休み、また1回やっては休み、って感じで回数はあんまりやんないんだよね。”こんな調子で厚生年金に間に合うんだろうか”、とか”これでは歌詞も覚えられないゾ”とか思ってた(笑)。今までは何10回もやって体で覚えてしまおうってやり方だったから。
でも自分の意にしぐわないことばかり気にしてたり、何かオジンくさいバンドだなァとか思うとイヤになってきちゃうからね。やっぱりこの人たちの出す音はこれまでなかった音色だし、その中において自分の心地よいところを見つけ出して、彼らのペースに乗っかっちゃおうって思った時点からラクに出来るようになった。それはお互い様のことだったと思うよ。ま、そんな中においては結果的にすごくうまくいった方だと思ってます。

歌に対して飢えている状態、というのは今まさにそうなんだろうし、そういう状態がいつまで続くのか分からないという、沢田さんにとっては人生初めてのことになるわけで。じゃあカラオケで歌えばいいじゃないか、とか他の歌手のようにリモートでネット利用して歌うとか、ジュリーはそんなんで飢えは解消できるわけないじゃない、とファンならよーく知っているわけで、そういう部分が心配なところではあります。さすがにずーっと声出さないと、年齢的にいろいろと弱っていくでしょうしね。

85年の年表を見てみると、ツアーが先行して、レコードはその最中に発売になっていたので、お客さんは新曲の予習ができないままLIVEを見ていた状態だったんですね😅
まったく趣が違うバンドさんとの合わせていく中で、なかなか進まなかったんでしょうね。しかしながらそんな中で出された『架空のオペラ』は名盤中の名盤です。私ほんとこれ好きで、最近もちゃんと聴いたんですが、波動が高すぎて途中で聴いてられなくなる(笑)、一旦休憩しないと・・・という素晴らしい曲の数々です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました