行きたいと思ったところに行ってみよう
2015年の3月にやっとこさ会社を退職して💦
じゃあまた会社員という立場はご免だった。ジュリーのファンになっていなかったら別施設への異動願いを出していたかもしれないけど、会社員でしかもサービス業とくれば、御存知のとおり自由に休むことはままならない。最後の1年なんて、休み希望出せるのが月二回でしたからね~そんなんとてもじゃないけどジュリ活できないじゃん。
というわけで、年収的には下がるかもしれないけど休みたいときに休めるフリーターの道をたどることにしました。当初は一年くらい、今まで働きまくっていたので休もうかなと思いますが、そこは貧乏性。1カ月くらいしか持ちませんでした(^-^;その後、わりとスムーズに仕事が見つかり今のところおかげさまで同じ職場に勤務させていただいていますが、このたびの世界的なウイルス性肺炎でどうなるかわかりませんね。
とりあえず2015年以降から今まで遠慮することなく、行きたいなと思うところには行けるようになりました。もちろん全部は無理だから、関西圏はすべて行くとして西日本の地域で興味あるところは行こう、という感じです。
そして初めて飛行機に乗る🛫
2014年までは、飛行機まで使って遠征しようなんて思いもしなかった。わたしにとって飛行機に乗るという行為は雲の上に近い行為で、ありえないと思っていたから。たぶん地が田舎者ゆえ~(笑)
それが2015年、ちょうど誕生日の時と新潟富山LIVEが重なり思い切って飛行機で行こうということになった。もちろん一人では無理なので、ジュリ友さんに先導してもらってという感じ(笑)初めて乗った飛行機は小型機だったせいもあったんでしょうが、ひどくうるさかったです。
それ以降、自信を持ったわたしは短い時間で簡単に地方に行ける飛行機を使うことで、一気に行動範囲を広げ、古希LIVE(2018)には北海道にも沖縄にも行くまでに。かつて否飛行機派だった人間だったのにこの変化は我ながらスゴイと思っています(笑)
ジュリーも元気いっぱい
2014年の末にああいうことになってしまいましたが、2015年の加瀬さんの死を境に歌い手として何か意気込みが強くなったような気がします。加瀬さんの分まで頑張って歌おうという気持ちもあったかもしれませんが、改めて前を向いて我が道を全うしようという強い意志と、迎える50周年、古希に向けてのワクワク感なんでしょうか。とにかく歌声が戻られたなという印象がありました。(高音もよく出ておられましたし)。
2018年の古希LIVE最中にはいわゆる「ドタキャン」騒動がありましたが、今ではそれをも味方につけて人生の最終盤に向かって走っておられる最中です。
この13年、振り返ればいろいろありましたが、心の中には常にジュリーがいるような感じで一日たりとも忘れたことはありません。この先どうなるかわかりませんが、できる限りは見届けさせていただき、そのたびにこういう場で書くことで共有できたらと思っています。
ここまでは自分のことを書いていきましたが、折を見てジュリー視点で、想像も含め、実際にその時おっしゃられたことなどを振り返っていこうと思います。
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