この回は、神の声=松浪先生🌟ということで、
もうこんな声ならいくらでも欲しいですよね。特に今のような先が見えない状況下ではですね😅
灯りともしてりんからしたら後ろ向いているシーン描いたんですが、修正しようとしたら原画を別画に上書きしてもた模様><
この回も、松浪先生ファンとしては神回のひとつですね。
普通なら、「You、嫁っこ行くのが嫌だったら、学校行っちゃいなよ」と薦めてしまいそうなところですが(笑)あくまでも、おりんに考えさせて、考えさせてその自ら求めた答えを大事にしなさいと。
そして、その過程において、松浪先生の悲しい過去も告白されるという・・・
亡くなられたお子さんが生きていたら、ちょうどおりんと同じくらい。
だから、松浪先生はおりんちゃんを厳しく見守りつつも、自分の子供のように可愛い存在だったんでしょうね。
それでは「不協和音」VOL.1より少しだけ続きです
そうやってバンドも出来あがっていって、いよいよ7月9日を迎えるわけですが、前夜の気分はどうでしたか?
前夜ゲネプロ(通しリハーサル)やった時、PAの調子が悪かったり色々あったんだけど、前日にこれだけ悪い事があれば当日はきっと大丈夫だろう、とか思って。スタッフなんかが当日はあがったほうがイイ、とか言ったりして色々仕掛けてきたけど、僕は全然。まァ自然に帰って来ました、みたいな感じでやればいいと思ってたから。
だから本当にあがったのは舞台に上って拍手を聞いてから、うわァヤバイって(笑)。
そうして東京のステージを終えて、大阪のあと、真夏はステージもなく、わりと自分の時間を楽しんでいましたか?
そうねェ。ミーティングもあったけど、自分の時間もあった。
曲作ったり、読書したり?
いや、読書は仕事の合間にするから。曲もチョコチョコと。
これから創作期間ってのは多くなりそうですか?
多少は多くなるとは思うけど、そんなに急ではないと思うのね。何でもかんでも自分でやろって気は勿論ないし。それに歌手・沢田研二と作家とを比べると歌手のほうが絶対大きいと思うんだ(笑)。その歌手・沢田に見合うだけの曲が自分で出来てるかっていうと、たまにしか出来ないもの。もうちょっと詞を書くことは多くなると思うけど、曲創りより詞を書き始めてからの方が長いもんナ。
「灰とダイヤモンド」は詞・曲、同時に?
そう、あれは同時くらいに創ってたんだナ。あ、李花幻さんがね(笑)。
この年は、7月に新宿厚生年金、大阪フェスティバルホールでまずやって、9月27日までほぼオフやったんですね。
その間に「灰とダイヤモンド」が発売されたり、事務所開きがあったり。
私はその時小2で、ちょうど父の転勤で8月に広島から引越たんだった(笑)
引越してすぐに日航機の事故があったので、そのあたりよく覚えていたりします。
もちろんジュリーのジの字も知りませんがw
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