2007年のJULIE語録

JULIE
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ここからは、不定期になるとは思いますがわたしがファンになって以降の印象的だった直にジュリーを観た「JULIE語録」を中心に、あっちのブログか

らひっぱってきて時系列に沿って大まかに書きまとめていこうと思います。

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2007.4.23 ビストロSMAP

これは、わたしがファンになって間もなく放送されたものですね。ちょうど「桂春団治」の公演が控えているということで、その宣伝で藤山直美さんと出演でした。

その中で、草なぎ君が、自分のコンサートかなんかでTOKIOを歌ったんだとジュリーに告白した直後の言葉。

  「本当はね、自分の歌を歌われるのは嫌なのよ」

これがファンになって初めて「ヘエーッ」て思ったことかな(笑)
そうなんだ、ジュリーって自分の歌を人に歌われたくないんだって。

ジュリーにとっては自分が歌ってきた歌というのはヒット曲関係なく皆「愛おしい存在」で、毎年ツアーのセットリストを決めるたびに曲の引き出しをそっ開けて「これやこれや💖」とひそかに愛おしむ感じでしょうか?もちろんこれは妄想入ってますが(笑)ジュリーのみならず歌手の方みなさん、自分が歌ってきた曲は愛おしいと思うのでしょうが、それを他の人が歌ってもOKなのか、嫌なのかはそれぞれの気質によるんでしょうね😅 あっ、確か死んだら歌ってもいいとどこかのツアーDVDの中のMCで聞いたようなw

法テラス 2007年6月1日号

“巻頭インタビュー”にて。印象に残った一部を抜粋

―デビュー以来、ずっと第一線で活躍されていますが、心がけていらっしゃることはありますか。

沢田 僕らの世界は上昇志向がないとだめだと言われますが、ある程度のところまで行ったら戻ってくる、そういう冷静さを持つことが必要だと思います。僕らの世界でいえば、レコード大賞までとったときに、それより上を目指そうとしたら、あとは外国に行くしかない。かといって外国に行って本当に通用するのか、立ち止まって考えられるかどうかということです。僕自身、何度か天狗になったこともありましたが、もとを正せば「電車通りから3軒目の沢田さんちの次男坊」というのが自分の根っこなんだということをふと思い出すんですね。築いたものがなくなったって別に困りゃしないんですから。何かにしがみつくのではなくて、どこかであきらめる。そういうほうが、他人から見ても気持ちいいと思うし、その判断ができないと、どこかで無理が生じます。

これって誰にも通じる大事なことをお話されていると思うんですよね。いわゆる「執着を捨てる」何かに捉われすぎてしまうと、そればかり考えてしまって苦しくなって、前に進みづらくなってしまうものです。わたしなんて昔は仕事において、今しなくていいことなのに「これをしないと気が済まない」という「執着」ばかりがあって、自分で要らない仕事を増やしてしまう傾向がありました。だからそれが積み重なって倒れてしまって、入院して人に迷惑かけるということもありました。

あと「自分の身の丈に合った展開をする」ということでしょうか。特に勢いに乗っている時こそ冷静な判断が必要ですよね。ジュリーは絶頂期にいても、他人軸で見た時に、自分がどういう立ち位置にいるのか自分で分析できていたんだと思います。だからいわゆる芸能界で「消える」ということもなく今まで芸能活動を続けることができたのだろうと。

2007.9.2 京都会館

人生で初めての沢田研二さんLIVEに参戦。
「まいど!」を見た時のわたしの思ったこと

1曲目と2曲目の最後だったかな、に。「まいど!」って言いながら足に片手指を丸にした状態で、お金をあらわしていたんだろか・・・

そうだったんだ(笑)ちゃうちゃうちゃう・・・初めて見た時はお尻を触るような仕草を💰のイメージとして見てたんですね。

とにかく普通に喋っているジュリーが歌っている時とはうって変わって「京都にいるおっちゃん化」しているのが笑撃的でした。へえ~こういう人なんだって。

MC時の喋り方に関しては、その後同じ京都でもなぜか標準語(イントネーションも含め)だったり、関東なのに関西弁だったり・・・もうその時の気分次第なんだな、と思いました(笑)

あと、まだお父様がジュリーが京都でやる時は楽屋にいらっしゃっていた頃で、この年はわかりませんが以前は京都でやる時はLIVEを実際観ておられたそう。それ以後はこういう話はされなかったので、楽屋に訪れたのはこの年が最後だったかもしれません。

2007.9.30 フェスティバルホール

世間では60になったら定年で悠々自適な生活を送れますが(政治家とか以外は)この仕事は死ぬまで定年ないです

ということで、この時はあと10年はやって、後は細かく区切りながら・・・88までというニュアンスでしたね。70歳のジュリー・・ということが遠いことのようで、考えようもなかったですが、もうあっという間でしたね(笑)

平行移動の話。「ここ20年くらいお客さん変わってない」

かつてはよく”平行移動”って言葉使われていましたね。最近はほとんど聞かないように思います。特にドタキャン以降(笑)若い人も目立つようになってきた印象も(少ないながらも)ありますからご自身にそう言い切れないなあという気持ちがあるのでしょうか(笑)

老化じゃなくて職業上、耳の中がフツーの人に比べて複雑になってしまっている。だから人に「虫が鳴いてるよ」って言われても分からない。でも、「小声でも人の悪口は聞こえる」

いわゆる「難聴」ですね。というわりには、今でもイヤホンやコロガシなんて使うことなく、めったに音階はずすことなくリズムに合わせてちゃんと歌っておられる。本当に驚異でしかないです・・・

この時は来年は大阪で大きなコトをやるけど、オリンピックの関係で日程を調整中だとか話しておられましたが、もちろん京セラドームであんなことやるなんて知る由もなかったわけでした。

接触事故(11月23日)

わたしがじゃなくジュリーが😅

ジュリーが車駐車場に入れる時に、不注意から通りかかった配達のバイクと接触して、バイクが転倒してしまい、乗っていた女性が軽傷を負うという事故を起こされます。
音楽スタジオに行っておられたということでレコーディングの仕事だったのかもしれませんね。ネットニュースで知ったのかな?それで翌日ワイドショーに取り上げられてましたが、その時の顔写真が春団治の記者会見の時の写真だったりで、この頃のわたし、ジュリーがマスコミ嫌いでテレビに滅多に出ない=最近の写真をテレビ局やマスコミが持ってないということに気づいてませんでした。たぶん(笑)

とにかく相手の方が軽傷で済んで自分も書類送検で済まれたようでうまくおさまり良かったですよね。わたしも経験がありますが、こういう事故を起こすと警察署内で時系列をこと細かに聞かれ、わたしの言ったことを目の前でワープロに入力されるんですよね。2008年にお世話になった警察でのことですが、その時はフロッピーディスクを差し替えたりなんやらして聞き取りされました。時代ですね。どうでもいい話でしたw

こういう話は(警察関係)その後たびたびされておられますが、やっぱり沢田研二さんも人間なんだな、って失礼ですがほほえましくも感じます。いや、一般の人よりお世話になりすぎかしら😅 2007年はファンになりたてということで、2回しかコンサートには行けませんでした。

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