2011年のJULIE語録①

JULIE
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2011.1.6 渋谷C.C.Lemonホール

この時はなんと9曲歌った後の10分間休憩という新手を(笑)昨年疲れた疲れた・・・と言われていたので、その影響もあるかと。
でもこの正月LIVEだけでしたので、やっぱりジュリーには合わなかったのかな?

なぜ休憩を設けたのかというと、「お互いのことを考えて」ということと、「インストロメンタルでトイレに行かれるのは不愉快」だということだそうです。

今年もそんなこんなで相変わらずで、5月~7月がえらい暇なんですよ。

去年働きすぎましたからね。ずーっと頭痛持ちみたいになってまして。

今年はゆっくりしたいと思ったんですけど、なんかがんばってしまうんだよね。

この日、サリーさんタローさんそしてピーさんがいらっしゃって、「もしかして再結成発表??」なんて淡い期待を抱いておりましたがMCにあった「相変わらず」ということで、何も発表される気配もありませんでした(笑)もしかつみさんがOK出していれば本当はこのタイミングで発表したかったんでしょうが後で考えれば「いったん挫折」ということで😅

2011.1.8 大阪国際会議場

ここでも休憩の理由を

お互いのことを考えてとインストの時にトイレに行かれるのがくやしくて、行くなら行けや!!

的な(笑)

(探偵が)終わってからすっごいヒマになるんですよ。たまには遊ばんと、酒飲んでばっかりやアカンて。ジジイが行くようなトコロに行って意地汚く遊ぶ

最近は薄暗い歴史のあるような薄汚い場所に行ってジジくさくやってるのが好きだそう(笑)

昨年の紅白は興味がある人があまりいなかったみたいで、蕎麦作ってたりいろいろしながら合間に興味のある人がいたら見に行ってたくらいらしいですが、

人の見てもしゃーないなあ。かといって自分のは見られないからね。(過去の)テレビとかビデオDVDで映ったものしか見れない。
コンサートはいいですよね、皆さんの好きなところを見られるんですから。
(これでわたし変な自信を持ちましたね(笑)

ジュリワンのDVD制作にあたり、自分の映像を見ないといけないこともあり、ショックした部分もあったようですが😅(ずっと見ていると慣れてきたらしい)

年をとるということは残酷なようでもありますが美しくもあります。
みなさんもともに美しく歳を重ねてまいりましょう。

2011.1.19 大阪国際会議場

2011年も明けてしまいました。
今年はどんなことをするのでしょうか?
この正月コンサートをやり、音楽劇をやりコンサートをするという、相変わらずな一年になると思います
が、皆さんと一緒にますます麗しく成長していきたいと思います

もうこんな感じで再結成の話はないんだと悟りましたが😅

(ころがしのこと)
昭和42年のデビュー当時はまだころがしなんてなかったそうで、やがてそんなんが設置されるようになると、うるさくてしょうがない。自分の声にヤカマシィィッ!と叫んでしまうと(笑)

カンペをおいて歌うより、見ずに歌って間違えるほうが立派や。
生なんですから。人間なんだから。

楽の渋谷も行ってますが、調べてみますと同じようなことをお喋りになってたようなので、ほぼ省略😅

月日というものは残酷で、ためいきばっかりが出ますが、ためいきもついとかないと具合悪くなるよ

(風邪がはやって大変ですが)そんなんに負けないでぬくぬくと成長していきましょう!しぼんでいったら病気ですよ

2011年9月12日~22日朝日新聞連載「人生の贈りもの」

ジュリーが珍しくこういう人物伝連載を引き受けてくださいました。そこから印象に残った部分を引用させていただきます。

——絶頂期にトッポ(加橋かつみ)が抜けました
 僕はザ・タイガースでの発言権は無かったから、マネジャーとほかのメンバーが話し合った結果として聞いただけだった。 かつみが辞める理由というのは、芸術的な理由で譲れないことがあったんだと聞いています。僕は自分のことをアーティストと思っていなかったから「言われてできることがあれば、ええんちゃうの」と思っていた。「売れてるんだから、ええやん。何が不満なのかな」と彼の気持ちをまるで分かろうとはしませんでした。

——若さ故ですか
 バラエティー番組の「シャボン玉ホリデー」なんかでは、いろんな人といろんな歌を歌って、何度も録音し直して、ディレクターに嫌な顔されるんですよ。「そんな音やない、お前ら」と何度も言われた。そういう経験をしていると、今の若い人たちのように、自分のやりたいものだけを表現するというのとは違って、自分たちの隠し味になると思っていたんですね。ラジオや雑誌の人気投票では、同じグループサウンズの「ザ・スパイダース」よりも、「ブルー・コメッツ」よりも人気があって一番ということになっていて「何が不満なの?」と思った。

 でも、自分が今、活動姿勢として「これはやります、これはやりません」とはっきり言う立場になって、当時のかつみの気持ちが理解できるようになりました。

人生の贈り物~理解できなかったタイガース解散より~

 けっこう性格が違うジュリーとかつみさんですが、そういうかつみさんへの理解があったからこそ一度挫折しかけた再結成が実現したんでしょうね。なかなか大変だったとは思いますが😅

——テレビから遠ざかった理由は
 2001年に1年だけ出まくったかな。90年代後半ぐらいからは意識的に出ていないですね。こつこつ毎年コンサートをやっていて、お客さんの入りが増えてきたからです。歌手はいっぱいいて、テレビに出る人は一握り。それ以外の人はみんな大小様々なところで演奏活動をやっている。自分もその一員になって「悪くないな」と思うようになった。あとはテレビのテンポについていけない年齢にもなったんですね。今、インターネットがこれだけ広がっても、やっぱりホールまで来てくれる人は減っていません。

——スランプで、酒やクスリに走る芸能人もいますが……
 まじめな人ほどなりやすいのかもしれないけど、僕なんか自主性がなくて、なまくら。それと慎重でしたから。ほめられても調子に乗らなかったし、悪口言われてもなにくそと思っていたし。そういう人間は大丈夫です。それと、タイガースの元メンバーが「なんか変になりましたわ」となったら、やっぱりまずいでしょ。

——新作もコンスタントに発表されていますね
 昔の歌を今風にやる方法もあるんでしょうが、昔の歌は昔の歌のままやるのが自分のスタンスだから、コンサートで何曲かは新しい曲を入れないと、新しいものが何もないステージになっちゃう。

——新曲はどういう方向性で作っているのですか
 昔はどれだけ売れるか、というのが先に立っていたけど、今は受ける受けないは別にして自分の好きな歌だったりメロディーだったりを大事にしています。 世の中の人と僕の感性は違うんですよ。憲法9条のことを歌った3年前の「我が窮状」みたいに、大きな声で言う必要はなく、こそっと言い続けるっちゅうか。レコードが売れなくなってからの10年間にそう思うようになりました。

——ワイルドワンズや内田さんと一緒にコンサートをやることは恩返しと言っていました
 今は恩返しというのは、おごりだった、と思っている。「そんなの誰もされたないやろ」と。自己満足だったんじゃないかと思っています。ただ、やっぱり僕は一つ一つのことに区切りをつけたいんです。それでやっと今年のタイガースのメンバーとのコンサートになった。

人生の贈り物~新曲は自分の感性を前面に より~

 裕也さんや加瀬さんたちと一緒にやって得た結論。そして新曲にも「恩返しなんか死ぬまでできない」とその想いは続いておられます。 

——今回、ザ・タイガースのメンバーとのコンサートはどうやって実現しましたか
 1981年の「同窓会」に参加しなかったピー(瞳みのる)が今回参加する。僕が「会いたい」というメッセージを込めて詞を書いた「30年以上隙間は重いけど今はもう笑いたい」って曲を彼が聴いてくれたみたいで。2008年に再会しました。
 ピーはタイガース解散後、高校で中国語を教えていたけれど、退職した後は、音楽の仕事をしたい、とどこかで考えていたんでしょうね。ピーが参加して「ああよかった」と思ったら、今度はトッポ(加橋かつみ)がダメだって。

——説得はしたんですか
 何回か話したんだけれど、すぐけんか別れしちゃうんですよ。「2人とも大人げないな」って。みんながそれぞれ、タイガース後も生きてきたわけやから、その中で自分の考え方が今となっては、かたくなにあるでしょう。
 内田裕也さんとやってもザ・ワイルドワンズとやっても「僕は僕のペースじゃなきゃだめだ」って思ったんだけど、トッポはそれが嫌なんだと思う。彼は彼のペースでやりたい、と。それはしょうがないですよね。

——来年1月24日がメンバー集まっての最後のコンサートです。そのあとの活動は
 新作をコンスタントに出す、こつこつ態勢に入っていきます。タイガースとして再びやる可能性はゼロではないけれども、しばらくは無いですね。

——今まで一回も引退を考えたことはないんですか
 引退と言っても面白がられるだけでしょ。まじめにいうと死ぬときが引退だと思っている。最近はコンサートで「ジュリーじゃなくてジジイです」なんて年齢なんかもネタにして。40過ぎてから、「人間は変わっていくし、老いるし」と変にカッコつけようと、あらがわなくなってきた。
 これから先もぶざまになっても走り続けます。気力がないとかで辞めることは、ないでしょうな。ただ、年で耳がダメになって声が出なくなることがあると思うんですよね。「88歳までやる」と言ってますが、あと20年ちょっと。もう少しですよ。

——さらにその先の活動は
 若い時、僕の頭の上にはいつももっと売れたやつらがいっぱいいた。だから、「最後もうひと燃えしないかな」って期待しています。テレビで特番を一発やって視聴率が取れたらいいんでしょうが、いずれにせよ思い通りにはいかんでしょう。
 その後、死んだらきれいさっぱり、みんな忘れてくれたらいいですね。変によみがえらされたり、墓とか作りたくないです。みんなに覚えていてもらうことは、うれしいことだけど、死ぬとすっごいほめられるやん。「うそつけ!」ってくらい。そういうのはすごく嫌。心の中に大事にしまっておいてほしいな。

人生の贈り物~死ぬ時が引退、走り続ける より~

再結成はこの時は「しばらくは無い」と言われていたことを考えると、2012年に相当ジュリーは裏で努力されたんだなと思うし、その努力エネルギーの根本ってやっぱりLIVEだと思うんですよね。LIVEで自分が「花の首飾り」を歌うたびに、「これはかつみでないと駄目だ」という気持ちが強くなって、願掛けのように「必ず全員そろってやります」って、宣言されてね。言った限りは努力せざるを得ないじゃないですか(笑)
「最後もうひと燃えしないかな」という期待は今もしっかり持っていらっしゃると思いますし、一ファンとしてなんだか実現可能な気がしています。ドタキャンをやってしまいましたけど、後で振り返れば「ああ、あれって必然的だったかもね」とか思いたいですね。ああいう時期にああなったことに意味があったんじゃないかと思えるような。でも、今からまた燃えちゃったら、亡くなられた時に、余計に忘れ難くなるでしょ、とも思うんですがね(^-^;

   

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