ザ・スター 沢田研二5

JULIE
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第5章 コンプレックス

話した人 沢田研二<1976年2月6日>

ほとんど”5″

 鉄棒の逆上がりが出来なかった。マットの上で倒立が出来なかった。例えば、幼いその日にクラスメートに痛いほどひやかされたのだろうか、その思い出はぼくには遠い。人は誰でもいずれかのコンプレックスを持っているものだ。
 中学2年の2学期、野球部のキャプテンになってしまった。ぼくにひとつの立場が出来た。同時に立場を維持しなければならない義務が出来た。キャプテンはチームの先頭に立ち、時として象徴にもなる。一挙手一投足をみつめる人の数がふえた。
 運動部の連中は性格はいいが頭が単純で・・・という概念がつらかった。ある立場に立ったがゆえに出来るコンプレックスがあることを知った。嫌いな勉強を始めたのである。
 結果は数学と音楽をのぞいてオール5で占める通知票をいただくことになった。つまりコンプレックスを先読みしてこちらから手を打ったことになる。これは夏の大会後、キャプテンを務め終える3年の1学期まで続いた。立場が消えるとぼくはまたもとの成績にガタ落ちしたのである。

 歌がヘタだーーよくいわれた言葉である。ぼくはその時歌手でなければよかった。しかしタイガースのジュリーだったのだ。歌手の立場として生まれたコンプレックスである。どうやら近頃、上手になったといわれることもあると、しかしぼくは、十年も歌っているのだものと思う。
 いつのまにか、ぼくのまわりはティーンの歌手がとり囲んでいる。彼らは、ぼくの昔と同じように歌がヘタだといわれる。
 そうかと、ぽかんと思っちゃいけない。エネルギーに還元出来るかどうかなのだ。とりあえず彼らは歌手として生まれてしまった。もしも歌謡界が歌の上手さだけを重視する世界であれば、もっと歌唱力がついた何年後かに彼らは登場しただろう。
 しかし今の彼らを必要とする歌謡界の今日的状況があって、はからずも歌手として選ばれた。マスクがよかったり、セクシーであったり、アクションがハデだったり、それぞれのチャームポイント歌手としての登場。
 だが歌手なのに歌がヘタだ、の一言は容赦なくつきまとう。どれほどのコンプレックスを身につけてくれるのかそれが問題なのだ。

誉め言葉は好きじゃない、むしろ批判というコンプレックスをエネルギーにして、芸能界とある意味闘ってきたジュリー。やっぱりそういう精神ははるか中学生時代からとっくに備わっていたことで、モチベーションというのか、キャプテンという立場がなくなると中3にもかかわらず成績ガタ落ち💦というのは、らしいのからしくないのか面白いエピソードではありますね。

“NG”を要求

 TBSテレビ「サウンド・イン”S”」で初めて歌う曲「ボラーレ」のサビのメロディーがどうしてもとれない。NGを自分からいい出す。再度VTRカメラがまわる。まただめだ。しかし多くの出演者とスタッフを待たせる時間には限りがある。無理にOKのサインを出して、ああまた大きなコンプレックスを胸の中にしまいこむ。

 状況劇場公演「唐版・滝の白糸」に出演した時をおぼえているだろうか。にわか役者のぼくがどれほどコンプレックスにかかったかというと、実はほとんどなかったのである。
 麻布の青俳のけいこはおよそ1ヵ月続いた。関西弁でゆっくり話すくせのあるぼくは、ハキハキしたセリフのいいまわしのダメ出しに悩みはしたが、歌手のぼくは役者の立場として苦しむ必要があえてここになかったのだ。
 ただ、あまたいる役者を外して、ぼくに出演依頼をしてくれた唐十郎さんらへの期待に対する責任は重く、けいこ期間中は歌の仕事を大カットして毎日6、7時間そこに費やした。役者になり、もがくことは肉体的苦痛がともなっても、未知の世界への挑戦であって喜びでもあった。
 大映撮影所での6日間公演が連日満員で終わった時に新たなコンプレックスが起きた。1ヵ月のけいこを唐さんは少ないといった。土煙をあげて体当たりの演技で迫った役者にも冷たかった。ショーとして完ぺきな仕上がりを企てる彼だった。同じショーマンとしてぼくの歌の世界と立場をひとつにした時、それはあまりに開きすぎていた。

 立場を持つぼくは、常時不安を持つ。自分の言葉に対しても自信がなくなってくる。
「今回のショーはどうですか?」
 取材記者に対して、
「ぼくはまあまあがんばってると思ってますが・・・」
 と答えれば、紙面は、
「彼は、はりきってますと答えた」
 になる。
 確かに国語的な大意はそうなのだろうし、彼の感覚キャッチは一般的にまちがっていない。しかし<まあまあ>と<・・・・>が、ぼくにとっては重要なのである。そんなに自分に対して決めつけたことがないのだ。
 もっと自信をもてとよくいわれる。自信をもったらコンプレックスをなくしたら、ぼくは終わりになるのを知っている。

ヴォラーレは、この動画の最後のほうですが、サビをソロで歌う部分でしょうか?
この時だけでなく数々そういうことがあったんだろうな。

自分の本来の立ち位置じゃない部分までコンプレックスにしていたら、キリがないですよね。

ちがう、ちがう

 NHKホール楽屋4号室、まもなくステージに立って「我が良き友よ」を歌わなければならない。ものおぼえの悪いというコンプレツクスを持っているぼくには、5日前に台本を渡された日から不安になっていることだ。
 だがマスコミを媒体にする歌手であるならばこの時失敗は許されない。コンプレックスをみじんも出してはならない・・・・。
 歌い終わり、またコンプレックス人間にもどり、あいまいな言葉でインタビューを続けるぼく、ほらコンプレックスを素直にだしていった<・・・・>言葉が、紙面でふくらんで自信にあふれたぼくになり、一人歩きしはじめる。ちがう、ちがう、ちがう。

「歌のゴールデンステージ」のことだと思われますが、昨年の12月23日放送のものなので、違うかもしれません。
ものおぼえが悪い???という印象はないんですが、休みがほぼない中、一体どうやってセリフや歌詞など頭に入れてこられたのでしょう・・・もうこれが不思議。
他の能力は別にいらないですが、「記憶力」だけはほしいと思って生きてきました(笑)

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