2015年を振り返る

JULIE
スポンサーリンク

一般瞬殺

というわけで、これを書いている4月25日は、LIVEの一般発売日だったのですが、
私もどんな状況か知りたかったので、ぴあで取った席的に一番後ろだったw愛知にチャレンジ。
ぴあとeプラス両方で入ったんですが。。
そしたらまあ・・・もう1、2分ですよ。

予定枚数終了

ほかのところは??と思って調べると、なんとフォーラムも同じで、
フォーラムがこんな瞬殺するて???どうなん???
と、
そりゃ、沢田さんはある意味今一番気になる歌手じゃないかと思うんですよ。
もうあんな行方不明説まで書かれ流されたらねwww

にしてもさすがになぁ・・・
一方で思ったのは、もしかしたら、敢えて一般発売してないんじゃないか?
(ツイッター見る限りは一般でゲットした人は見つかってないし)
そんでもそれで急遽中止にはできるよなぁ・・・
いや、緊急事態宣言で劇場への指示もぎりぎりだったから、こちらの方の発売取り消し連絡も間に合わなかったかもなあ・・・
なんぞ思ってしまってもいます。


あと、1か月近くに迫ってまいりましたが、
延長なら中止(もしくは延期)、解除されていたら開催
という考えでいらっしゃることと。

本当は予定通りの日程で歌っていただきたいですけどね・・・

「ジュリーがいた」で加瀬さんのこと

文春が木曜日に発売されて、この感想というか、私なりの振り返りをしたいと思っていたのですが、ここ2日、月一の体調不良に当たってしまいwウ~ウ~と布団でうなっておりました・・・
(私はいつも目の奥がひどく痛くなります・・・)
ちょっと頭と吐き気くらいで全身の気力取られるんですからね、こういう時つくづく健康であるありがたさを感じてしまいます。

というわけで、やっともとに戻り、加瀬さんのことを。
もちろんファンとして、知りえた2015年の加瀬さんがお亡くなりになられたツアーのMCの一部を取り上げて振り返ろうと思います。

短期集中連載「沢田研二を愛した男たち」ということで、これまで久世さん、裕也さんと取り上げてこられましたが、今回の加瀬さんが一番読みごたえを感じましたね。
多分、沢田さんにとっては前お二人よりも身近で深い恩を感じられる存在だからだと思います。
たまたま安井かずみさんの取材で島崎さんが加瀬さんの元をたずねられたことで、その時に沢田さんのことについて語られたことをそのまま載せておられるのでとても興味深かったです。

こういうことも島崎さん本当は沢田さんに直接取材したいんでしょうが、ちょっとそれは難しいかもでしょうね😓

自分の本音は、わざわざ見に来てくださったお客さんの前だけで話したい、というのが沢田さんのスタンスですから。

それでも、もし沢田さんがこれをご覧になっても十分納得できるというか、嬉しい文章だと思いますよ。そんな気がします。
あっ、「京都一ケンカの強い男」だけはメチャ否定されるでしょうがw

というわけで、加瀬さんが亡くなられた2015年当時をMCとともに振り返りたいと思います。

初日までの経緯

少し前の経緯から話しますと、2014年のツアーの千秋楽同じフォーラムで、沢田さんが客席の掛け声に嫌気がさし、それまでため込んでいた不満をぶちまけてしまう・・・という出来事がありまして(終わった後もうみんな放心状態ですよ)私はその時「歌手をやめようと思った」という言葉に非常にショックを受けたわけですが。
で、2015年の正月LIVEは予定通り開かれましたが、なんていうのかファンと沢田さんの間に
ヘンな緊張感
が流れていたことは確かですw

ケンカ別れしたけど、すまんなぁ、元のよりに戻りたいなぁ・・・でも素直になれないなあ

みたいなw
なので、MCも固め、短めという感じ。
「今年は不言実行でやります」とな。
その言葉どおり、歌は相変わらず一生懸命で気持ちはちゃんと伝わりましたよ。

でもね、ファンの複雑な気持ちを見越していたのか、渋谷ではちょうどサリーさんの誕生日と重なって、サリーと二人抱き合う姿💗を魅せつけられたりww先の千秋楽でやらなかった一本締め(三本締め)をやってくださったり、それなりにファンサービスをしてくださった沢田さん。
すこーしずつ、心を開いてくださったかな?という矢先にもう終わっちゃった。という感じでした。

そして、音楽劇「お嬢さんお手上げだ」が上演されていて、
加瀬さんがお亡くなりになられたのが4月20日で、19日までやっていた大阪公演が終わった後だったんですよね。
そして、告別式が名古屋と北九州公演の間にあった記憶があるのですが、そこには参列されてなかったと知り、行けたのだろうけど、行ってしまうと精神的に仕事に影響が出ることを考慮されたのかなと思ったものです。名古屋以降はつらい中で演じておられたのだろうなと思います。

そして7月からツアー・・・のはずでしたが、GRACEさんがご病気で入院せざるを得なくなり、約1か月延期されての初日でした。

8月17日 東京国際フォーラム

加瀬さんが亡くなって、阿久さんが亡くなった時「次は加瀬さんだな」なんて言っていてそのとおりになったんですけど。
加瀬さんはまだ死にたくなかったと思うんですけど、まあしょうがないわね。
亡くなられた時期が時期だけに、今回は新曲以外は加瀬さんの歌でやろうと。
そうしたら、私が光り輝いていた頃の歌ばかりになって、こんな頃もあったんだなあと歌いながら思ってたりしたんですけど。

初日は、加瀬さんについては短く語られたのみでした。
(後々、初日はマスコミが来ているのでそれほど語らなかったと述べられておりますw)
オープニングが「僕たちほとんどいいんじゃない」でね、
これも後にエピソードがあるんですが、
本当は都会wではこの曲をかけて、地方では「FRENDSHIP」をかける予定にしていたんだけども、「FRENDSHIP」をかけようとするたびに、なぜか「僕たち・・・」が流れてしまうという

加瀬さんのイタズラに遭いwww

結局途中から「僕たち・・・」が定番になってしまったというwww
そのほかでも、ツアー中、数々の怪奇現象が起こってましたね・・・
沢田さんはそのたびに「加瀬さんのイタズラ」とおっしゃってましたが、もうそれ以外何物でもありませんw

8月20日21日 北とぴあ、立川

これは私行ってないのですが、
久しぶりに漫談全開!!だったと聞き、
ああ、やっとジュリーは心を開いてくれた、加瀬さんが心をほぐしてくれたんだ。ありがとう!
と思ったものです。
加瀬さんのことも具体的にお話しされていて

・昨夏くらいに加瀬さんの体調が悪いと聞いて、「また一緒に呑みましょう」とメールをしたものの返事が来なかった。その時ちょうど入院していたみたい。

・訃報は鳥塚さんからの電話で知った。
(ちょうど大阪と愛知公演の間でしたね)
 母親の時は泣かなかったのに、その時は歳のせいかさすがに・・・鳥塚さんと二人で泣いた。

・加瀬さんはもっと生きたかったと思っていたと。僕は信じている
(ジュリーも自殺だとは信じていないということだと。想像ですが)
 本当に、本当に大切な人。残念でたまらない。

・通夜告別式は音楽劇(小倉)があったため行けず、行こうと思えば行けたけれども、あの人もこの人も行くだろう。僕と加瀬さんとの間には特別なものがあると思っている。行かなくて、大丈夫だね? と。 念じて・・

世間的には加瀬さんは自死されたことになっていますが、私も沢田さんと同じ、そうではないと思っていますし、じゃなかったら、あんな陽気なイタズラしないよ~なんてね。思いますよ(笑)

僕と加瀬さんとの間には特別なものがあると思っている

もうこの言葉がすべてですね。

9月22日 神戸国際会館

その後何回か行かせていただいたのですが(行き過ぎw)
私が千秋楽をのぞいて一番印象に残ったのが神戸。
ツアー初日から16公演目ってけっこうたってるんですけど、目をうるませながらに加瀬さんのことを語っておられた沢田さんが印象的でした・・・

世間では自死と言われているけれども、加瀬さんは生きてもっとステージに上がりたかっただろうと信じています。
亡くなってしまい、しょうがないけれども、こんなにもボクにたくさんの良い曲を残してくれ、若かった頃、共に歩んできた月日が本当に愛おしく思ったし、亡くなったと言う一報が鳥塚さんから携帯にかかってきて、ジュリーに知らせるのが自分の役目だと思って電話したと。
 電話口で二人で大泣きして・・・・ごめんね・・・

このあたりでね、ジュリー声を詰まらせてしまって、
訃報を聞かれた時に受けた悲しみがよみがえっておられる気がしました。
涙を流されるまでではなかったけれど、目をうるませながら、話を続けられ、、

年賀状は元々やりとりをしていたようで、ジュリーがお歳暮を贈って、その返しということで年賀状をもらって、ジブンは後出し、という流れできてたようやけど、
今年の年賀状には、何も言葉が添えられてなくって、ジュリーはもちろん加瀬さんがどんな状態なのか知らないので、「近いうちに呑みましょうよ!」というメッセージを添えて年賀状を送ったけれども、その返事もなくって・・・

その前の年も、確か鳥塚さんと会った時に、加瀬さんの状態を尋ねたら「あまり元気がないみたい」ということで、加瀬さんにメールをしたジュリー

「加瀬さんの元気が、元気に、元気を、元気です」

というわけのわからない(J談w)文章で。

それにも返事が来ずに、そのことを気にしつつ、ジブンも忙しくしているうちに亡くなってしまったと。

母親の時は悔しいとは思ったけれども、泣きはしなかったけど、
加瀬さんの時は泣いてしまったと。

で、今も少し泣いてしまって・・・

で、こうやって他では加瀬さんのことは軽く取り上げておられた印象でしたが、神戸では特別に・・・思いがこみ上げてというのは、どういった理由かわかりませんが、
この後、逆に加瀬さんのイタズラではなくて「助け」が入るわけです。

実は神戸の時から熱があって、
神戸の時もそのことを告っておりましたが(ぼーっとしていたので、加瀬さんのことを逆にまじまじと語って涙しておられたのか・・・)
22日が神戸、25日が札幌。
札幌行く前日、こじらせてしまって、なんと38.9度も熱があったそうですorz
そしておそらく家のベッドの中で唸りながら「加瀬さん、熱下げて!」と加瀬さんにお願いをされてなんとか札幌公演をこなされたという・・・

これはもう加瀬さんに助けていただいたんだな、というエピソードでした。

11月3日 東京国際フォーラム

そして、千秋楽
私たちは、1年前とはまるで違う光景を目にすることに・・・

加瀬さんが亡くなるとは思いもしなかったので、当初はヒット曲は小出しに、後は自分の好きな歌を歌う予定だったけれど、加瀬さんが亡くなられて、思いもかけず大泣きして、非常に重かったと。
加瀬さんが亡くなるなんて、想像だにしてなかったから、亡くなってから改めて思い知らされたと。どれだけ加瀬さんが僕にいろんなことを教えてくれたか。知らしめてくれたか、
見せてくれたか。思い返せば、いっぱいいっぱい思い出がある。だから、今回は新曲以外は加瀬さんの曲を歌いたいと思った、と。

改めて聴いたら、ジブンが元気な頃の歌がほとんどで、今は元気じゃないというわけではないけれどもw遊び散らかしても元気な頃で、加瀬さんは惜しまずに、ボクのためにいっぱいいっぱいいろんなことを考えてくれました。20年以上にわたってプロデューサーとして加瀬さんは僕にしてくれたことを思うと本当に感謝の言葉しかないし、こうやって好きなことをしていられるのもあの時代があったからだろうと思っています、と。

賛否両論の中でやっていたこともあるけれど、それさえも楽しく、「いいんだよ。やっちゃえやっちゃえ」と言っている加瀬さんの声が今でも聞こえてきます、と。

そして、すべて歌も歌い終わり、今年のフィナーレはどんな感じで?
と思っていたら、ポケットから自らのガラゲーを取り出しw
「想い出の渚」を歌いますと。
ファンとともに合唱して・・・
というか、もうあの時の沢田さんのボロボロさといったら😢
当時の私が表現していますが、レコ大の新人賞をとって、涙でろくに歌えない女の子のような感じです。
あんなに歌いながら泣き崩れる沢田さんは、おそらく後にも先にもなかったのではないでしょうか・・・

そんな中、なんと途中で鳥塚さんと島さんが出てきてくださって、
沢田さんを真ん中にして両端から支えるように一緒に歌っておられた姿は、
今でもぼんやりと記憶の中に残っています・・・

きっと加瀬さんは、今の状況を心配しておられることでしょうが、
沢田さんが予定通りではなくても、ちゃんとステージ上で歌える日が来ることを見守ってほしい。
そう思いながら、〆させていただきます。

JULIE
スポンサーリンク
シェアする

Nasia's blog

コメント

タイトルとURLをコピーしました