第10章 髪を伸ばす時
話した人 安田 富子(ヘア・デザイナー)<1976年3月12日>
18歳の少年達
内田裕也さんには、まんまとのせられた。彼が京都からついたばかりの18歳の少年5人と私を、引きあわせたのは原宿・南国酒家だった。
私の右側にトッポ、ピー、そして研二・・・・。ファニーズと名のった彼らはナベプロに所属、千歳烏山で寮生活を送るのだと話した。私のお店”びようしつ・たぶろう”の目と鼻の先にこの子達がやって来る。とりあえず東京のお母さん役を押しつけられたかっこうになった。
「バンドは最初お金にならないのよ・・・・。安く手に入るものはまわしてあげるわ」
それより気になったのは商売柄か彼らの髪型だった。耳のあたりからプツッとハサミで切っただけのオカッパ頭。
「その頭どうにかならない?」
私にしても男性の頭をいじるはめになるとは思ってなかった。10年前の話である。もしかしたら、ビートルズのヘアを””サッスン”が担当する前なのだから、世界的にもはしりだったのかも知れない。
何でもすばやく吸収するタイプのトップが最初にやって来た。パーマをチリチリにかけられると思っていた他のメンバーもきれいに仕上がった彼の頭をみて安心したらしく、次々に私の店を訪れた。最後におそるおそるトビラをたたいたのは沢田研二だった。保守的なこの若者の髪に、私ははじめてパーマを巻いた。
「京都のおしんこは、おいしいわね」
すっかりタイガースの人気者になった研二君を、鏡のむこうにみながら、私は彼の郷里の話をしていた。
「今度帰ったら持ってきます」
何気ない会話のつもりだった。3ヵ月が過ぎた。その夜お店が閉まったのにブザーを押す音が聞こえた。けげんそうにのぞき込むと青白い男の影が見えた。
「いま京都からもどりました。約束した日から昨日まで、むこうに行く用事がなかったのです。遅くなりましたけど、おしんこを持って来ました」
おしんこひとつのために羽田から車をとばして来た研二君だった。
タイガース解散
「はやくおあがりなさい」
あまりにもひとすじな若者をみて私は手を伸ばした。
「これからタイガースの解散ミーティングがあるのです。急がなければ」
「30分ぐらい時間はあるでしょう。せめて乱れた髪をカットするぐらいの時間は・・・・」
もう声にならなかった。涙がほおを伝わった。
セットを終えた研二君を私の車に乗せて仕事場へ送ったこともある。お店をとり囲むファンの整理も大変だが(その頃群がる女子ファンをめあてに痴漢が出没していた)車をオートバイで追うからかい族もやっかいだった。交差点に先まわりして、わざと悪口を投げかけるのである。助手席の彼は怒りをこらえるので精いっぱい。そんな時、相手にむかって私がタンカを切る。その口調があまりにエスカレートすると、
「まあ、まあ」
と止めに入るのが逆に研二君。
スターであるがゆえに傷つくことがあまりに多すぎる。
「ぼくはコジキになりたい!」
ある日、その傷がたまりにたまって叫びとなった研二君の言葉だった。
「同じよ。あなたはコジキになってもジュリーのコジキにしかならない。ちっともかわりはしないわ」
私は冷たく言ってのけた。
「耳センを買って入れときなさい」
その顔も姿も選ばれたスターのものだとしたら、沢田研二はその傷も覚悟しなければならなかった。
早起きの弱い私に迷惑な午前9時の電話。街ノイズにまぎれて研二君の声がした。
「いまからうかがいたいのです」
間もなくやって来た彼は紺のペンシルストライプのスーツに身をつつみ、隣に女性を連れていた。
「ご心配おかけしましたが、今朝婚姻届けを出してきました。先生にはマスコミに知られる前に、このことを伝えたかったのです。すみません。一部の報道関係にもれてしまいました」
彼はうなだれた。謝りに来たというのだ。ゆっくり私は首をふった。
「お二人さん、長い間ご苦労様でした」
無言で頭下げて
研二君、あなたは覚えていたのかしら。
「いつか結婚する時には、バカでかいケーキと何千万もの費用をみせびらかすみえっ張りの披露宴はしてよね。ファンと一緒のパーティーにしたら?」
と言ったことを。比叡山のコンサートはまさしくそれだった。妻の日出代さんは人目をしのんで京都入り。楽屋でつつましやかに、あなたが声をかけるのを待っていた。ファンの前に彼女は無言で頭をさげると、その足で東京の家に彼の仕事の邪魔にならないようにと帰りを急いだ。すてきな人よ。
今年もランの花が咲きました。私がおなかの手術の際パリに旅立つ直前に研二君が贈ってくれたもの。うちの主人はお陰でラン作りの名人になりました。
研二君のお父さんはまだ小さな車にのってますか?一度あなたが車を買ってやると言ったら、おまえの金はおまえの金、かまってくれるなとますますガンコになったと笑ってましたね。あなたが何かをしようとすれば、まわりの人も何かの反応をしめし、そして私もそんな人達の一コマで生きて行くでしょう。
あなたの髪の長さ、大切にして下さい。忙しさのあまり、すり切れたり痛んだままでほうっておかれるのはしのびないのです。
裕也さんのおかげで、このように最初から「東京のお母さん」に出会えた。人と人との縁・・・
どうしようもなく孤独になってしまうスターにとっては、心を許せる数少ない人間の一人だったことが文章から読み取ることができますね。おしんこのエピソードなんて沢田さんらしいなあ。
コメント