ザ・スター 沢田研二11

JULIE
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第11章 3.7パーセント

話した人 久世 光彦(TBSテレビプロデューサー)<1976年3月19日>

ほれてしまった

 沢田研二を語ることはぼくにとって容易ではない。言葉にすることが切ない。一口にいって彼にほれている。ほれてしまったものに、なぜほれたか?と問われても答えはない。
「悪魔のようなあいつ」の企画書が彼に対するぼくのラブレターであったろう。結局沢田が主演であれば何でもよかった。出演のOKが出てから阿久悠さんと箱根・湯本に泊まり込み、テーマを考えた次第だ。6、7年もたまっている彼への思いのたけを、三億円事件犯人というスリリングなテーマにジャストミートさせた。
 沢田とは作曲家の加瀬邦彦氏の経営する焼き鳥屋の2階で会った。建てつけの悪いフスマを開けると薄暗い座敷の石油ストーブの後ろで、ジーパンのひざをかかえた彼が待っていた。
 上目づかいにスッと見あげたその瞬間を、いい女に出会ったような感じだったと表現したらおかしいだろうか。外は凍(い)てつくような1974年の暮れであった。

「悪魔のようなあいつ」が終了して、役者として扱った彼を評するならば、最高の主演俳優だったといえるだろう。しかし、まさしくこの言葉が怖いのだ。
 あまたのタレントに対して教訓めいた彼のエピソードはたしかに数々あるが(例えば、自分の出番外のリハーサルにもかかわらず、台本を見てるか他人の稽古を見てるかだけだった)これによって人格高潔とか、いい人とか書かれたり話されたりすることに、ぼくはあまり賛成ではない。
 ジュリーとして生きる世界では次元がちがう話なのである。極端にいえば腹の中が真っ黒でもかまわない。見て、触れてすてきならばそれでいい。
 ぼくは心が高い人が好きだ。気持ちのいやしい人は嫌いだ。腹の中が黒くても心が高いことだってある。ぎりぎりのところでも誇りだけは絶対死んでも捨てない、そんな男を沢田に感じる。
 彼は平気で地べたをはいずりまわるだろうし、泥水も飲むだろう。だけど心は高い。澄んだ水を飲んで心が高いより、泥水を飲んでゲーゲーやりながらも心が高い、そんな沢田の方がぼくは好きだ。

不当でない現実

 男のロマンチシズムの対象としてぼくは沢田を見る。彼がくたばりかけていたら、ぼくはおっとり刀で駆けつけるだろう。彼にはなんの借りもなければ義理もない。ただほれているという理由だけだ。逆にぼくがくたばりかけていたら、彼に助けになどきて欲しくない。ぼくはのたれ死にをしよう。

 そんな沢田、きみに話そう。ぼくがプロデュースした「サンデースペシャル・セブンスターショー」の第1回目、視聴率3.7パーセントの数字を生涯忘れるな。
 この番組の姿勢、ぼくの姿勢、歌というものはかくあるべきだという姿勢を表現するのにふさわしいきみだからこそ、初回に出演してもらった。信頼していた。3.7パーセントという数字は不当に低いものとは思っていない。やはり現実なのだ。
 ぼくは一億人を相手に商売をしている。きみもそうだろう。ごく一部の愛してくれるファンだけを対象としているなら、ぼくはきみを好きではないだろう。
 ぼくらは一億人の前にまだ無力に近かった。同情的に、裏番組が強力すぎたとか、日本の価値観がそこまでいってなかったのだという人もいるが、そんなことは関係ない。ぼくらはノーエクスキューズの商売をしているのだから。
 街を歩いている500人の人達に沢田研二を好きな人とたずねても、やはり3.7パーセントの手しかあがらないだろう。森光子さんだったらどうだろう。20パーセント以上の手があがるだろう。これが「時間ですよ」「花吹雪はしご一家」の視聴率である。
 ただしテレビの視聴率では計れない密度に関しては、きみの方がずっと熱い視線を3.7パーセントの人達から受けただろう。3.7パーセントの人達の方がすてきにみてたとしても、それをいいだしたらエクスキューズになってしまう。
 かといってその熱い視線を受けた濃度をうすめて視聴率を上げることはきみには許されない。ぼくはそのためにも「悪魔のようなあいつ」できみを追い込んだ。

君と果たし合い

 きみの「サンデースペシャル・・・・」を撮り終わった時にスタッフから温かい拍手が起こった。これはその密度の証明である。ぼくを含めたスタッフ一同はきみにプラス・アルファをみつけたからこその現れである。だがブラウン管を通じてそれがそがれたのだろう。
 あえていう。きみはもっと魅力的にならなければならない。歌手とはプラス・アルファを歌に感じさせなければならない。
 ぼくはきみと果たし合いがしたい。きみを仲間となんか思ってないし、思って欲しくない。不安と緊張の中にぼくらは遠くにいて、最後の誇りを捨てず、いつかめぐり合う。その限り最良の仕事が出来る。3.7パーセント、きみもぼくも決して忘れてはいけない。

この文章を、当時のジュリーは読んでどう捉えたのでしょうか😅
第8章の最後に書いてあった、クールと言われる人が、情熱家に見えたなあ(なんでや)的なジュリーの感想でしたが、久世さんとしては、常にドキドキな状態で、取り乱しまでではないにしろ、やけにテンションが高かったりされたのではないでしょうか?
わかりますわかります(笑)
これは・・・もう「恋」ですね💗

沢田研二を語ることはぼくにとって容易ではない。言葉にすることが切ない。一口にいって彼にほれている。ほれてしまったものに、なぜほれたか?と問われても答えはない。

これを熱烈に愛する人ができたのであれば、もう誰だって当てはまる言葉ではないでしょうか。「なぜ、好きなのか?好きになるのに理由はない」と。
結局沢田が主演であれば何でもよかった
とかというのも、完全にホれてしまっている者目線wおそらくほかの役者さんモノであればそんなことを思うはずもないと思われ
私たちファンにしても、こういうことはすっかり当てはまるわけで、

ジュリーが出演していれば何でもよい

という。ハハ・・・

不安と緊張の中にぼくらは遠くにいて、最後の誇りを捨てず、いつかめぐり合う。その限り最良の仕事が出来る。

時を経て、2000年代に入り、1年に1度と定期的に音楽劇で縁を持たれるようになった久世さん。
私はこの頃はファンではなかったので(苦笑)久世さんがどういう目で50代になられた沢田さんをご覧になられていたのかは存じ上げませんが、運命というのか、久世さんにとっては、いつか死ぬという観点で考えたら最良の最期だったんじゃないかと思うのが、亡くなられる数時間前まで、つまり最後に会われていたのが沢田さんだったということ。
亡くなられる前夜ご夫妻で久世さんにステーキハウスに招待されて、帰る時タクシーチケットまで用意してもらうのを断ろうとしたら「最後まで面倒みないと」と久世さんが仰られて、それが最期の別れだったという。(2006年の大阪でのトークショーで仰られていたことです)
亡くなられる時というのは、自身でも何か予見するものがあると聞きますが、そういう何かが久世さんにおありだったのかな?なんて考えてしまいます。本当に何か運命的なものを感じさせる出来事ですよね。

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