ドキュメントインタビュー

JULIE

ドキュメントインタビュー●輝き続ける男のメカトロニクス
いまこそ、オレの「したたか宣言」!!

みっともなくてもいい、って思うんだよね

ターガースのボーカリストとして日本中を熱狂の渦に巻き込み、ソロになってからも次々とヒット曲を飛ばし、レコード大賞も獲得。沢田研二が日本を代表するスーパースターの一人であることは、誰もが認めるところだ。だが、最近の彼は、どうもスーパースターらしくない。CO-CóLOというバンドでの活動も地味だし、話題といえば不倫問題ばかり・・・。あのジュリーは、沢田研二はどうしてしまったのだろうか?彼は今、何を考え、何をめざして活動しているのか。その答えの中には、男の生き方に裏打ちされた、したたかさがあった。

インタビュー・文 富沢一誠

 沢田研二はどうしてしまったのだろうか?と疑問に思う人は多いはずだ。
 というのは、人気歌手、流行歌手にふさわしい華やかさが現在の彼にはないからだ。話題といえば、田中裕子との不倫ばかりで、肝心の音楽活動のほうはしばらくの間ヒット曲からも見放されてしまっている。そのうえに、現在の活動が地味だ。彼は今”CO-CóLO”というバンドを結集して、それで活動しているが、これが実に地味で渋いのだ。アルバム『CO-CóLO 1」は良い悪いは別にしてとにかく渋い仕上がりになっている。それに伴って、コンサートのほうも渋い演出となっている。
 だからこそ、「沢田研二は沢田研二らしく、もっとハデにやれ」という声も強い。
 だが、彼はいっこうに意に介していない。

「今は地味だとかいろいろいわれたりもしてるんだけど、そんなのはこっちにしてみれば大きなお世話で、自分のことは他人よりもよく考えているつもりだし・・・・・。こういう時期だからこそ、どっしりとかまえてやろうという気分なんですよね」

 そう前置きして、彼は”CO-CóLO”に対する熱い思いを語るのだ。

「これまでにレコード大賞獲ったり、シングルもたくさん売れたり・・・・そういう経験をしたけど、だからといってそういうことが、これから先やっていくとき本当に役立つことかというと、ただ過去の結果であるということでしかないから。要するに音楽をやっていくうえで一から立て直したいということなんだよね。そのためには、ヒットを飛ばすとかLPのヒットを飛ばすだとかっていう結果を出すのが一番手っ取り早いんだけど、そういうものは簡単にできるものじゃないし、みんなももちろん狙ってて・・・・。だけど、そういうのは本当にいろんな条件が重なり合わないとなかなかならないものだと思うから、自分たちが売れなくても、いずれ売れるためには本当の基礎を作っておかないと、と思ってCO-CóLOを作ったんです。まあ勝っていくための何かみたいなものじゃなくて、自分たちというものを見つけ出さないといけないから、そういう意味で、核たるものを作らないといけないということで、一から始めようという感じなんです」

 CO-CóLOのメンバーは、石間秀樹(ギター・42歳)、竹内正彦(ベース・32歳)、原田祐臣(ドラム・42歳)、ちと河内(ドラム・43歳)、篠原信彦(キーボード・40歳)で、いずれ劣らぬベテラン実力派ミュージシャンだ。彼はCO-CóLOの一員として半永久的にバンドを続けようとしている。しかも、CO-CóLOで一から始めようと考えている。
「一から始めようという感じなんです」と彼がいったとき、もったいない、と思ったのは僕だけではないだろう。確かにCO-CóLOで”ロック”を志向することも素晴らしい。だが、あまりにも渋くマニアックすぎるとマイナーになってしまう。それより、今までに築いてきた”ジュリー”というブランドがあるのだから、それをフルに活用して、これまでの延長戦上で頑張ったほうが得策だと思われる。沢田は”沢田らしく”そうすることのほうが、CO-CóLOであえて他のことをやるより、よっぽど楽なはずである。そうすれば、今のような低迷もなかっただろうし、『もっとハデやれ』といわれることもなかっただろう。
 しかし――彼はそうは考えない。ここがポイントである。

「今まで僕がやってきたことは、僕が自分で作り上げてきたものっていうことに間違いないんだけど・・・。まあ、それを玉にたとえれば、それをもっともっと光るようにすればいいんじゃないかという方法もある。この玉をどんどん磨いてやるほうが慣れてるだろうし、僕にとっては楽な方法だろうとみんな思ってると思うんだよね。だけど、こっちのほうがどんなにしんどいかって僕は思うわけ。僕が思うに、そうして玉を磨いても、けっきょく維持してるということにしかならないだろうし、保守的になることでしかないと思うわけね。だから、いったん崩して、そうやってからやることのほうが僕にとっては楽で思い切りできるということかな。
 につまるわけよ。ずっとやってると、ハデにハデにやったって限界があるからね。みんなが思っているように、僕も思っているよ、落下傘がハデさの頂点だと(笑)。パラシュートが。あれ以上になったらサドかマゾしかないという感じだし。そうなったときに、自分で守るものより捨てるものがあったほうが、またつかむものがあるだろうなと思うもんね。どこかで捨てていかないと、自分の許容量というか器というのはそんなに大きくなれるものじゃないと思うから、身につけてるものとかそういうものをどこかでポーンと捨てて、また拾いなおしてもいいし・・・・。それも確固たる自信というんじゃなくてね、へこたれんという自信はあるんだけど、絶対に勝つという自信は毛頭ないし」

 ハデなジュリーから、地味な沢田への移行――彼の話を聞いているとわかったようでわからないが、ひとつだけ確実にいえることは、彼がこれまでの延長線上では絶対にやらないということだ。では、彼にそう決意させたものはいったい何なのだろうか?それを解明するには、タイガースでデビュー以来、彼はどんなスタンス、ポリシーで20年間仕事を続けてきたのかを探る必要がありそうだ。
 彼は、はためから見ると、多少の波はあったものの順風満帆にここまできたように思える。タイガースでの異常人気に始まって、ソロになってからも、『危険なふたり』『追憶』『時のすぎゆくままに』『勝手にしやがれ』『ダーリング』と5曲もNO・1ヒットを飛ばしているし、『勝手にしやがれ』ではレコード大賞も獲っている。その意味では、彼の場合、生まれながらのスーパースターという感じがする。彼のサクセス・ストーリーを今改めてながめると、そこには歌謡界の”正統派スーパースター”としての沢田研二が浮かび上がってくる。
 ところが、彼自身は”正統派”とは思ってはいない。むしろ、歌謡界では”異端”だったという。

「よくよく考えると、いつも中途半端だったと思うわけ、僕は。ロックかというとロックじゃない。歌謡曲かというと異端であると(笑)。要するに、僕はロックかといったらロックじゃない。でも歌謡界の人から見たら、僕はロックなわけ。でも、ロック界の人から見たら、僕は歌謡曲だ。で、歌謡界の人から見たら、僕は歌謡曲じゃないわけよ。その中間なわけ。だから、いつも中途半端なわけよ(笑)」

 そういわれてみれば確かにそんな感じがする。そんな中途半端な、換言すれば”異端”な彼だからこそ、実は”正統派”に見える中で、そのやり方が独特だったのである。

「タイガースを解散したすぐ後のPYG時代は、いいんだこれで、と気分的にはすごく納得してて、何か音楽をやってるなって気分になってるわけよ。でも売れないし、渡辺プロみたいなああいう所にいると、やっぱり売り上げの成績とかそういうのですぐに、わかりやすい曲とかなってくるんですよ。で、沢田はソロでやったほうがいいんじゃないかという話が出てきたりするわけじゃない。それでも、いや、タイガースの頃のああいう異常事態なんかなかなかなるもんじゃないですよ、って悟ったようなことをいってるわけよ。その中で『君をのせて』みたいな、いかにもソロ・シンガーふうの曲を出せとかいわれて、んじゃやってみましょうか、みたいなことで、売れっこねーよとかいいながらやってて、やっぱりそんなに売れなくて、それをかえって喜んだりしたりするわけね(笑)。ほらみろ、みたいなことで。だから次に出すときは、オレたちが一番売れないと思うようなやつを出そうみたいなことをいって『許されない愛』を出したわけよね。
 そしたらこれが売れちゃったわけ(笑)。そうなったら今度はまたいい方が変わってくるわけよ。ほら他がやらないことをやんなきゃ、みたいな。そんな売れ線とかそんなことを考えているよりも、自分たちが、いい、というものを出したほうがいいみたいなことをいったり、いろんなことを、あるときはあまのじゃくになったりしながらやってきたんですよね。だから、ソロになってからというのは、だいたいがやり方としてはあまのじゃくだったんですよね。他人がこういうと、いや、いいんです、これでいきます、って・・・・・。化粧やめなさいっていわれると、いや、これでいきます、って。見てて下さい、とかいって。心配されるようなことばっかりやってきたから、これからもずっとそれでやったほうがいいんじゃないかと思っている。結果的に、それで良かったからね。
 ただその中で肌で感じてきたことは、たとえば大売れした『危険なふたり』みたいな曲があって、じゃあそれふうなやつでもっといいやつを作ろうと思っても、それを意識するとそれ以上のものには絶対にならないよね。『時のすぎゆくままに』とかっていうのが売れると、その後に『立ちどまるなふりむくな』みたいな、それはそれでいいんだけど、その路線をいくわけよね。そうすると絶対に落ちるよね。だから、みんなそうなのね。『勝手にしやがれ』ふうというとそうはいかないし、だからこそ、今まで全然なかったものを見つけ出さなければならないってこと。それは一番大変なことだけど、大変なことを見つけるとやっぱり人は喜んでくれるわけよね。それを見つけられないと、そんなに人に喜んでもらうってことはなかなかできないと思うね。いうなら、僕のやり方って、いつも他人がやってないことを探してやってきた、ってことかな」

“正統派”とはために見えた彼だが、彼は常に他人のやらないことを発見して、それをやることでたくさんの人々を喜ばせてきた。そんな彼だからこそ、今までの延長線上のことはやりたくないということはよくわかる。だとしたら、彼はCO-CóLOでどんな新しいことをやろうとしているのだろうか?

「自分では、CO-CóLOを作って、新しい事務所を作って始めたということは、やっぱり売れなくていいと思ったわけ。それっtが普通だし、そんなに甘くないと思っているから、売れなくていいと思う時期もあっていいと思うのよね。そのへんは別に計算してるとかそういうことではなくて、なんとなく今までやってきたことで、体でそう思うのね。
 そんな甘くないし、ここでまた売れたら、それはもちろん驚かれるかもしれないけど、最後になっちゃうなって気がするの。休んで充電しました。絵に描いたように次に出てきたらポーンといきましたっていうことになると、いやー、やっぱり沢田研二はすごいなっていわれるけど、なにか最後っ屁みたいな気がするんだよね(笑)。だから、そんなに甘くなくて、あっ、やっぱりなって思われながら、また、どうしたんだろうねって思われながら、その中で、あれっ、また出てきたな、って思われることのほうがきっと自然だろうし、そのときのほうが・・・・」

 
 ここで彼はことばを切った。いや、呑み込んだといったほうが正確だろう。
 インタビューを始めてから1時間半が経とうとしていた。ここまで話をしてきて、彼の考えていることが僕にはだいぶわかってきていた。
 だから、彼がことばを呑み込んだとき、すかさず「納得度が高いわけでしょう」といったのだった。

「うん、自分自身じゃそう思うね。納得度の高い仕事をしたいね、これからは」

 そういって、彼はふっと笑った。その笑いが印象的だった。その笑いの背後に、彼の自信が感じとれたからだ。

彼は今、「地味すぎる、もっとハデにやれ」といわれようが、スキャンダルでたたかれようが、決してくじけない。今の彼には、何をしたいのかが見えているので、そのためには今何をすべきかがわかっているので、自信を持ってそのこと、つまりCO-CóLOの活動に打ち込むことができるからだ。
 いうなら、彼はじっと”波”を待っているといえるだろう。

「波を待ってて、ぽっと乗ればいいだけかというとそうじゃない。まず波を見つけないといけない。たぶんいっぱいきてると思うの。でも、きてても、それを見つけられなかったりね。たとえ見つけることはできても乗れなかったり・・・・。だから、波がきたときにはいつでも乗れるように力をたくわえておかなくちゃいけないわけね。その意味では、あんまり目立たず(笑)、おとなしくしてて、それできっかけをつかんだら一気に行っちゃうと、そのためにうつむいているという感じですね、今は(笑)。怒らすと怖いよ、みたいな(笑)」

 納得度の高い仕事とは、より”リアル”に”アーティスト”として”等身大”に生きるということだろうが、どうやらそれを彼はライフワークと定めたようである。
 異端の道を歩み続けた彼は、「そんなことをして・・・」とバカにされることが多かった。そのたびに彼はへこたれるどころか、今に見ていろ、と己れ自身を奮い立たせてきた。
 だから――。沢田研二はどうしてしまったんだろうか?沢田研二もヤキがまわったな。沢田研二も女に狂ったか・・・・。
 罵詈雑言を浴びせられている今こそ、彼のマグマは燃えようとしているのだ。

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