第18章 お金
話した人 沢田 研二<1976年5月14日>
所得番付”10位”
先ごろ各界の昭和50年度所得番付が発表になった。ぼくは歌手の部門で第10位(3223万)だという。
これに関する限り特別ながんばり方をした結果だとは思わない。むしろ去年まで名を連ねていた他の歌手の人達がなぜか下がった印象の方が強い。とにかく10位ということは事実として受けとめておこう。
お金というものは働いて自分の肉体で稼いだという実感がないと、使い方も大事につかめないものだ。肉体といっても手足を動かす労力ばかりをいうのではない。学者も脳を動かす労働者であり、歌手も声帯ばかりでなく、フルに人間の肉体機能を必要とする仕事である。
人間はもって生まれた才能で各ジャンルを生きていいはずなのだが、その仕事が具体的な目の前の形となって現れるかどうかの現象面でとらえられることが多い。
ことさら日本人は形でないものに金を払うのがきらいな人種である。ぼくらのショーも形に現れないひとつである。才能というもののとらえ方、価値観がすべてに平等ではないように思う。ただしバク才やヤマ勘であるかどうかは問題なのだが・・・・。
次にお金は目的がないとその価値も失う。たとえば、ぼくはいつでも自由に使える音楽スタジオを持ちたちと思っている。野球場を作るのもいい。お金はそれ自体に価値があるものではなく、目的に換算して出来る価値である。いいかえれば目的への手段といってもいい。
お金で人間関係が気まずくなることがある。ぼく自身気をつけなければならないことである。
毎年はじめに年間の契約をとりかわす。この時自分の要求額、仕事の方針などは、はっきりと会社側に言っておかねばならない。自分個人を守る権利は誰にでもある。そして理解できる線が出たところで印を押す。
この場に出席するのは会社代表とぼくである。マネジャーもボウヤ(付人)もいない。これは沢田研二の個人的問題である。
よく契約書を読みもしないで、判を押したあとのトラブルが起こったとしても、これは知らなかったこちら側が悪いのである。そのためにも安易な契約は許されない。
困る高価な贈物
ぼくらはよくプレゼントをもらったり、招待をうけたりする。一ファンからの贈物が、毎回高級なスコッチであったりすると、これはただのプレゼントなのだろうかと考えてしまう。招待にしても仕事のうちと割切れるのはいいが、あちらのミエや体裁がみえたりすると困ってしまう。
もっと軽い感じで、おごる、おごられるという話がある。これもにが手である。よくお店のレジの前で友達二人が、おれが払う、いやおれが払う、ともめている場面に出会うが、ぼくの場合、じゃ払ってくれよ、と引きさがるタイプである。これですっきりすめばいい。
だが、おれが飲ませてやった、食わしてやったという意識を持たれるのは弱い。おごるというのは、こちらから誘ったのだからとか、お金がポケットに二人分あったからという理由の、もっと素朴なものであって欲しい。
一番困るのは、おれも貧乏だったころ、それでもおまえに酒を飲ませてあげたっけなあ・・・・という情話にもつれこまれることで、そんなにまでして、なぜ、あなたはぼくに飲ませたんですか?という反発心まで起こる。
野球部のキャプテンだったころ、下級生を連れてソバ屋に入っても、彼らが手下だからという理由だけでおごるようなことは絶対しなかった。物理的に自分の金しかもちあわせてなかったし、若者にお金で支配する人間関係は不要だった。
バイトの思い出
はっきり言って、ぼくはお金の苦労はしていない。幼い時に何でも買ってもらえたわけではない。それほどものを欲しがらせない子供だったといった方が正しいだろう。
だから自分のお金が必要となった高校時代は、友達とアルバイトを始めた。
牛乳配達、デパートの配達、率がよかったのは1日7000円の煙突ソウジで、春休みの学校を回り、ストーブの中に顔をつっこんで真っ黒になってたっけ。でもそんなことは苦労でもなんでもない。
お金の苦労は人によって違う。テレビに毎日出るのが苦労だと思う人がいれば、人になぐられてお金をもらって苦労だと思わない人もある。お金の価値もさまざまなように、苦労もその人にしかわからない。
親子の間にもお金は入り込む。すなわち、ぼくが大人になって親と個人、個人でむきあえる状態になってからである。いくら仕送りすれば親子と呼べて、それ以下だと薄情者と呼ばれるのか・・・・ナンセンスな話である。
親は立派に働いている。ぼくも働いている。東京と京都を行きかう金額の問題ではない。それは現金書留という一通の便りである。
コメント