ザ・スター 沢田研二17

JULIE
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第17章 派手

話した人 沢田 研二<1976年5月7日>

小さな自己主張

 買ったばかりの真っ青なスパイクシューズ、雨あがり直後にもかかわらず、これをはいて大地を走りたいばっかりにぼくらは野球グラウンドの整備を始めた。旅先の石巻市でやっとみつけたグラウンドは水はけが悪く、水たまりがあちこち、竹ボウキを手にして下水口まで泥を運ぶ。ところがかんじんの下水口がつまっているのだと知って、今度は下水そうじ。やっとプレイボール!がかかったころには、新品のスパイクは泥だらけ。
「ハデ好きなぼくらの象徴(テーマ)もこれじゃだいなしだな」
 誰かが笑いながらいった。
 ハデ好きというこの言葉は、仲間うちの誰からともなく去年の秋ぐらいから流行しだした。ハデというのとは若干ニュアンスがちがう。小さな自己主張というか、つっぱりというか、冗談というか、多少愛きょうもなくてはならない。
 ステージのソデでジュリー!と叫びながら手拍子とって踊っているぼくのマネジャーの森本氏などは、仲間うちでもハデ好きな筆頭にあげられるだろう。
 中学時代、わざとオーダーメイドの学生服を着ていたぼくもその頃はハデ好きだったのだろう。人より高いカラー、しぼったウエスト、ラッパズボン(三角の布をたして自分で針を持った)
 それらは小さな世界のちょっとしたことなのだが、本人にしてみればとても大事件であった。
 ぼくのショーを見にくるファンにもリーゼント頭にポマードを光らせて、精いっぱいのハデ好きを装っている高校生がままみられる。親から、学校から与えられたスタイルに何も疑問を感じないで過ごす高校生の中で、方法論の是非はあろうが、多少の自意識を具象化してみせてくれる彼らは、時としてかわいくぼくの目に映ることだってある。

 芸能界はハデな世界の印象が深い。確かにそうだろう。さてぼくはといえば決してハデなキャラクターの人間ではない。陽と陰にわければ陰にちがいない。精神的にも内向的でもある。
 そんなぼくと芸能界の関係は一見奇妙でもある。それはステージとプライベートを結びつける強引さでもある。
 ステージに吊られた直径2メートルのミラーボール、吹きだすドライアイス、純白のベールの衣装、すべてがハデに作られた設定のもとでぼくは歌う。これはショーアップである。ぼくがどういう意識で歌っているかとは別な次元で、観客の目にはキラキラと映るであろう。
 ステージは好きだ。けれどいつもいつも楽しい気分でやれるとは限らない。いままでそんな気分を左右するものは観客の入り具合であった。いつのまにか意識しない部分でぼくは毎回のステージにあらゆる状況(天候はどうか、休祝日であるか、交通の便はいいか・・・・)をあてはめ、それでも観客動員が自分の計算とちがって少なければ、ヒット曲がいまないからか、それとも人気が・・・・と自己を追いつめていった。ショーが始まる前に、ぼくの気分は80パーセント決まるのだった。

気になる入り

 ずいぶんと旅をした。圧倒的な観客の声に迎えられた時もあったが、ガランとした劇場もあった。他の歌手の人気も耳にした。
 やがて地域別にぼくをうけとめる反応がさまざまであることを事実として認識せねばならぬことに気がついた。しかし事実だからといって、少ない観客の時にこちらが勝手にシラケていてはショーは敗北である。強引に歌い切るのがぼくだと知った。
 ぼくはハデな状況が好きで歌っているのではない。ハデな観客の数が本当に重要なのではない。ジュリー!とたった一人でもその熱い目が必要なのだ。いっさいの手抜きは出来ない。その時ぼくはプライベートを捨てて歌手として芸能界に関係する。キラキラと光る。

 ロック、それはハデな歌のジャンルである。一般的日本人の体質には今はまだとけ込みにくい状況である。ゴージャス、これもマイホーム志向の強い日本人には関係が薄い。
 ステージに立ったぼくの歌や衣装にあらゆる反応がよせられる。いわく、もっと年を考えて紺のストライプの背広でも着ればファンになるのに・・・・・。
 しかし激しいリズムや銀ラメの衣装は渡せない。歌手としてのぼくのものだ。
 ロックファンばかりが埋めつくした観客の前で、ぼくは地味なスローナンバーも歌う。それだってぼくの歌のひとつなのだから。ぼくはファンの支持率で作られるのではない。僕の歌だと信じたものを歌い、身にまとう。


 たまに歌を作る。不思議に地味な歌が多い・・・・・。
 たまに友達が出来る。不思議に地味な人が多い。

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