ザ・スター 沢田研二29

JULIE
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第29章 出発

話した人 沢田 研二<1976年7月30日>

3時、渋谷公会堂

 30、31日渋谷公会堂、3日札幌厚生年金会館、4日函館市民会館、6日新潟県民会館、8日柏崎公園野外劇場、10~12日大阪フェスティバル、14日姫路文化センター、15日卯辰山、16日島田市民会館、18日佐世保市民会館、19日唐津文化会館、20日長崎市公会堂、21日福岡市民会館、22日鹿児島県文化センター、23日都城市民会館、25日防府市公会堂、26日広島郵便貯金会館、27日岡山市民会館、28日ナゴヤ球場、30日横田基地。

 本日午後3時、渋谷公会堂「ジュリー・ロックンツアー’76」の幕が上がる。長く静かだったひとつの旅が終わり、明るい日ざしに向かってもうひとつの旅が始まる。
 東京をひとたび離れると29日間出ずっぱりの旅。いままで体験したことのない長さである。旅先から一度や二度は東京にもどらなければならない仕事が出来たものだが、今回はすべてコンサート中心に展開されてゆく。大き目なトランクに二つ、はたして荷物がこれだけでたりるかどうかもさだかではない。

つま恋合宿終わる

 日光とは疲れるものだ、と感じたのは24日から合宿したつま恋で。東京を離れるとこれほど日ざしが強いものだったのかと改めて驚かされた。
 朝7時起床、駐車場前の広場でラジオ体操、続いてマラソン。朝食後9時から零時半まで練習。昼食が終わると運動時間。プールで泳ぐ者、野球をする者さまざまである。16時から19時半まで練習、夕食をとり夜はレコード鑑賞やゲームに興じる。例年の合宿スケジュールとほぼ変わりがない。
 体力が落ちてやしないかと心配したが、いたって元気だった。ただ声が本調子になるまで時間がかかった。謹慎中、マラソンや腕立てふせで体力は維持できても、大声で歌うことは出来なかったからか。
 新曲の数が多い。この歌詞を全部覚えなければいけないと思うと、おもわずあせってしまう。やたらつめ込んでもしかたがないのだが・・・。耳に新しく生ピアノの音が聞こえる。今回のステージからバックの仲間がまた一人増えたのだ。
 26日、急きょ東京にもどることになった。モーリスタジオで9月新譜のレコーディング。ステージ衣装のかりぬい。これだけははずすわけにはいかない。やはりどこかに1ヵ月やんだしわよせがある。練習は17時アップに変更。着がえるヒマもなく車に乗り込んだ。めまぐるしい東京から、深夜、つま恋にもどる。そして朝7時にやはり起床・・・・。
 27日、美術、照明、PAのスタッフと親善野球試合。28日20時からつま恋エキシビジョンホールですべて本番通りにゲネプロが行われた。
 渋谷公会堂の当日ゲネプロが不可能ゆえ、このホールに美術道具から照明器具まですべて東京から運んでの大がかりなリハーサル。星空に歌が飛んだ。
 ぼくの部屋は井上バンドの大野さん、速水さん、羽丘さん、それにマネジャーの森本さんが一緒。ただ疲れて眠った。つま恋の合宿が無事終了したつかの間の安ど感を抱いて眠った。

頭には「歌」だけ

 渋谷公会堂、11時に最後のきっかけ合わせが終了すると、本当にもう初回の出番を待つだけだ・・・・。さあどう出るか。
 この1ヵ月を心配してくれた人に対して、まっず1曲歌ったあと軽いおしゃべりをしようか。いろんなことをたくさんしゃべりたい気もするけど、いまぼくにあるのは歌うことだけ。だからそのあとすぐに歌い続けるだろう。聞いて下さい、言葉ではなく歌いっぱいのぼくを。
 楽な気持ちでやりたいと思っている。
「いつもと変わることなくふつうにやるだけです」
 といっても期待している人がたくさんいることはわかる。本当なら、
「がんばります」
 といえばいいのだろうが、ぼくのすなおな感情ではない。自分らしくないがんばり方で失敗するのもいただけない話だ。ステージに出たぼくは、どうなるのかぼくにもわからない。燃えられるかどうかは、あと数時間で決まる。
 ステージで客席に向かっているのはぼくだ。確かにスタッフはいままで以上の全力をつくしてくれるだろうが、ぼくが燃えてなくては何にもならない。わかっている。
 わかってるんだ。だから無責任に、
「がんばります」
とはいえない。すべてを賭けるのはあたり前だ。もちろん、よいステージをつとめようと思っている。
 いま、幕が上がる。燃えたい!

これを書き写しながら、まさに今の沢田さんの心境と重なるような感じてジーンとしてしまいました。
早くステージに立たせてあげたい。
言葉は少なくていい、ただただ歌を届けて、みんなに無事を伝え、こちらも手拍子をすることで無事を伝え、そういう「交流」ができる日が来ることを・・・

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