ザ・スター 沢田研二14

JULIE
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第14章 微熱の夢

話した人 沢田 研二<1976年4月9日>

カゼでボンヤリ

 どうやらカゼをひいたらしい。頭がぼんやりとかすんでいる。寒風をついて野球の試合をしたからだろう。春の天気は定まりにくい。四国では雪がちらついていたそうだ。
 念願だったジュリーズの第4戦は徳山市ソフトボール公園で行われた。対戦相手は同行しているPA、照明等のスタッフ・チーム。結果から報告すると9対5で勝利をおさめた。
 先発投手で登板したぼくは好投。5回中4回まで投げ続け、お後は大野克夫選手がリリーフ。打率は3打数2安打、6割6分7厘。まずまずの成績であった。マネジャーの森本氏がホームラン、この人は仕事以外でもよく協力してくれること・・・・。
 第48回選抜高校野球大会の優勝校が崇徳と知ったのは、地元広島の福山グランドホテルで、ロビーに放り込まれた号外新聞からであった。ぼくはこの旅で本大会出場校の地元に何度か出くわしたが、ここまでつきあってくると不思議な縁まで感じる。
 そう思えばステージはいつもより観客が少なかったような記憶さえ残る。ときおり雨にみまわれもした決勝戦、選手たちがぼくのようにカゼをひかなければいいが。

 京都市立岡崎中学校時代、野球部のキャプテンに選ばれたぼくは、体質改善を図った。それまで我が校は予選第1戦でいつも敗退していた。黒のアンダーシャツをあこがれの平安校と同じ紺色に変えた。

厳しかった野球部

 ユニホームの学校名も、ホックでとりはずす旧式のものから、洗たくしてもとれない流行のぬい込み型にした。年功序列の封建的レギュラー制を廃止、実力主義に徹した。当然練習はきびしく・・・・と八方破れにがんばったのだが、高校受験を理由に数人が退部を申し出る結果になった。
 次の夏、府下大会ベストフォーに初進出というわずかな記録を残して、ぼくはキャプテンの任務を終えた。あくる年に後輩は初優勝を飾ってくれた。当時何かぼくを熱くさせたのか、ふりかえってみるとさだかではない。甘い懐かしさだけが残る。

ケンカは花盛り

 疲れているのだろうか。野球の思い出からつながって、つまらなかった授業風景や懐かしい先生の顔が、ゆっくりと頭の中を下降する。
 かわかみかずこ先生はお元気だろうか。小学校4年の担当だった頃、あなたが教えて下さった「美しき天然」はぼくの耳を離れない。サーカスの歌だとばかり思っていたある日、音楽の先生でもないのに黒板にチョークで書いたその歌詞、空にさえずる鳥の声・・・。
 先生は何を教えようとしたのだろうか。歌のスケールの広さなのか、美しさか、伝統か。2年前、TBSテレビでぼくが思い出の歌に選んで歌った折も、すぐに先生から手紙が届いた。
「よくおぼえていましたね」
 先生らしい語り口はその時も変わりがなかった。
 血気盛んな中学時代は野球で燃焼していたものの、バンカラ気分を味わってみたい年でもあった。ところが部長が風紀係の先生ときているからままならない。酒の一升ビンをかかえて夜に宿直室を公然と襲い、
「まあ、かたいこといわずに、大目に見て一杯いかがですか」
 と、話のわかる先生に体当たりをする作戦に出た。先生はぼくを見つめ、ニヤリと笑った。
「沢田、キャプテンのおまえがつまらんケンカに入っちゃいかん。おれ達で始末するから」
 中学校のめんつを賭けたいわゆる番長グループの出入り、鴨の河原で千鳥が騒いだかどうかはさだかではないが、牧歌的なレクリエーションにも似たケンカは、ニキビとともに花盛り。
「大丈夫か、それならおれはいかんから、このバットを持って行け」
 親友は勇んでバットを握りしめ・・・・以来切っても切れない縁が彼と結ばれた。彼の姉さんの恋人がバンドの一員であったことが、歌の道に入るきっかけになったのだから。
 

美しき天然
小4当時の思い出をテレビ番組にて再現

歌の道もあるんだ

 野球の平安高を断念して、府立鴨沂高校に入ったものの、京大進学率を誇る進学校で、ぼくは退屈していた。
 誘われるままに空手部に入部。さっそく新入生歓迎コンパ。
「沢田は酒が強いなあ。もっといけ!」
「いただきます!」
 十数人の先輩に一人ずつ酌をして返杯を受ける。
「これは臭い酒ですね。あっ焼酎じゃないですか!?」
 その日は家にもどれずに先輩の家にひっくりかえっていた。進学校のすきま風の中でぼくは空手部にぬくもりをみつけ・・・・やがて歌にひかれて退学。
 タイガースがようやくテレビに出演になった頃、2年の担任教師が、
「進学ばかりがきみ達の生き方ではないぞ。沢田のような歌の道もあるんだ・・・・」
 と語ったそうだ。おぼえていてくれたのか・・・・。授業態度のいい方ではなかった分だけ、あたたかい言葉をもらうとよけいつらいものだ。

 カゼ熱の中で昔がゆれている。もう一度会いたい人の顔が次々に浮かんでは消える。弱気になっているのか。森本氏が風疹にかかった。まったくつきあいのいい人だ・・・・。がんばれ、ジュリーズ。
 4月7日、神戸文化ホール、8日午後1時44分、東京着。桜は知らぬままに散りかけていた。花吹雪の下でもう元気です。

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