すぎやまこういちさんをゲストに迎えて①

JULIE
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先日、ザ・タイガースのデビュー時の恩師といってもよいすぎやまこういちさんが文化功労者に選出されたということで

「世界最高齢のゲーム音楽家」すぎやまこういち氏が文化功労者に ドラクエシリーズの音楽を作曲
人気ゲームソフト「ドラゴンクエスト」シリーズの作曲で知られる、すぎやまこういち氏が2020年度の文化功労者に選出された。

1982年のTHE TIGERS同窓会コンサートをやっていた当時のジュリーとの対談です。


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1982.3.31 夜は気ままに

みなさんこんばんは。沢田研二です。
日産ミッドナイトステーション毎週火曜の夜は沢田研二が気ままにお届けする60分です。

さてもいつの間にか桜も満開でございましてね。なんかスタジオ曇っておりまして、昨日かなふと気がついたの桜満開でございましてね。
本当に春たけなわもうすぐ4月、ラジオの前の皆さんの中には新入学就職とね新しいスタートに向かって期待に胸を膨らませて興奮して眠れないでこの番組を聴いてるという方もいらっしゃるのではないかと思いますが。

新しいスタートというと無事スタートした「ザ・タイガース同窓会」
今夜はその「タイガース同窓会」の先生とも言えるタイガースの名付け親でもございますゲストをお招きしております。
何が飛び出すや、隅から隅までずずずいっとお楽しみくださいませ。

んなわけでございまして本当にね桜が満開でございますよ東京は。あっちこっちで。桜が満開になるとね雨降らなければいいなと思うんですよね。雨降ると散るのが早いでしょ。
ですからね、やっぱり桜が合うのは青空が合います(笑)はいそんな感じで。
それから僕の方はですね、今5月1日に出すシングルのレコーディングが終わりまして、LPのレコーディングに突入したと。
それからTBSの2時間ドラマ ザ・サスペンス「陽のあたる場所」というのは、今日1日寝て起きてね今日1日撮影してUPするんです。
このO.A.は4月10日ですけど、楽しみにしていただきたいと思います。


ちなみにこういうものでございますね。私ちゃんと見たことありませんが😅

ザ・サスペンス「陽のあたる場所」|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS
沢田研二主演、上流社会を夢見る青年の野心と愛の葛藤を描くサスペンス!共演は夏目雅子、森下愛子ほか。

えーっとですねまず本日1枚目のお便りを紹介させて頂きますが、

「今年もハワイ旅行はあるのでしょうか?毎年今年こそはと思いつつまだ一度も行っていないのです。今年こそ今年こそは行きたいと思っているのですが、
一つ困ったことがあるんですよね。「銭」「ぜに」っていうの(笑)まあなんとか貯金おろせば仕事は一応休みが取れると思う。問題は便秘・・・

よぉこんなハガキジュリーに出すわ、ジュリー思わず吹き出してるやないのwww

「(つづき)環境が変わるとダメなんだわ私。旅行には向かない体質なもんで。ジュリーはそういう事ってないですか?」

じゃあ行かなくていいじゃん👿というツッこみは置いといてw

ないですね本当に食べ物に困らないし。そういうの順応性があるっていうのかな。
でもまあいいじゃないですか。
今年やりますよハワイ旅行。今年はね9月の連休何か連休挟んでとかっていってましたから、9月に入ってからある予定ですが、詳しいことは追ってこの番組でもお知らせしようかなと思っておりますけれど。

はい、それでは本日の一曲目リクエストにお答えしたいと思います。

今度日本にもやって来るというね、後楽園で3回もやるというすごいね最近そういうなんかすごいの流行っておりますな。オフコースが武道館で10日間やるとかね、すごいもんでございます。

タイガースは2回だけでございますけど。はい、リクエストいただきましたサイモン&ガーファンクルで「I Am a Rock」です。

すぎやまこういちさんを迎えて

さて、今夜のゲストをご紹介したいと思いますが、タイガースの名付け親、そしてタイガースの音楽面でのまさに頭脳だったすぎやまこういちさんをお迎えしております。こんばんは

こんばんは あ、これは作曲家の沢田研二先生(笑)

いきなりそんなカウンターパンチは(笑) 

ありでいこう(笑)

タイガースをずっとデビューの当時から、そしてまたこの今回同窓会のアルバムのアレンジなんかもすべてやって頂きまして。ま、でも僕たち自身がね、こうやって同窓会、まあこんなに晴れがましくねやれるなんて思ってなくて、それが実現して、何回かステージもやったし、この前なんかテレビなんかでも放送があったんですけど、あのーご覧くださったと思うんですが。

ええ、もちろん

どういう感じですか?

あのね、びっくりしたのはね、君らのさ、あの武道館でバーンてやってるの、テレビなんかで特に、ステージを見ると遠いでしょ。テレビで見るとわりと近くにパーンと見えるじゃない。
その見た印象がね、同窓会って感じしなかったよ。現役っていう感じがしてた。
この現役っていう感じがね、とってもねすごいなと思ったの。やっぱさすがスーパーグループという感じだね。

でも昔だったらステージでね、お互いに顔を見合わせてにっこり笑うなんていうのはね、思い起こせば全然なかったんですよね。違うところといえばそのくらいかなーっていう感じですね。
お互いにこう冗談を言ってね

現役でやってる頃より今の方が仲良しでやっている感じが(笑)

そうですね。大人にもなりましたしね。
で、けっこう武道館の初日なんかは、かつみが久しぶりに「トッポ💗」なんてお客さんに言われるとね、「ドキッ💗とする」なんて言うから、僕が冗談でね「あんまり刺激しないでください」と。
「また逃げられたら困るから。4月18日までは・・」昔はこんな冗談言えなかったですよ。

とんでもないな

こんなこと言ったら本当に逃げられちゃう

本当に揉めてね

「今の冗談か?」っていう話になるんだけど

ゆとりができたんだね。

そうですよね。

だからね歌聞いててねそういう部分があったよ。やっぱり同じ歌を歌っててもね、昔より大人としてね歌に小慣れた部分がね。だから本当は今から現役でやってもいいんだね。
だってさ、ビージーズだって、ヒットバーンと出してから、ずっとしばらくたってから「Saturday Night Fever」ってヒット出したわけでしょ。ずいぶん、やっぱり10年ぐらいたってからじゃない?

そうですね。

それでちょうど「Saturday Night Fever」のヒットを出した頃はさ、今の君たちの年齢よりもっと上をいっているかもしれないでしょ?

そうですね

ねえ

僕たちよりも上ですね。

だから、本当はねぇ君ぐらい達の年齢からなんか現役でやってて、そろそろ大人で本物と。
ビートルズだって相当皆さんお年だったですよ。しまいのほうは

そうですね

それで現役で。だから、決してねこの間の武道館のを見ていてね、現役の雰囲気がしていてもおかしくないんだと思うね。

今日はですねすぎやまさんだから知ってる話とか、そういう話を。ま、僕らもかなり記憶があやふやになってましてね、忘れてることもたくさんあるんです。

最初の頃さ京都でねコンサートやったのを覚えてんだよね。で、僕がコンサートの企画頼まれてね、一番最初にやったのはね、ブルコメのコンサートをやって、それの前座でねワイルドワンズ連れて行ったの。そしたらワイルドワンズの方がね拍手が多くなっちゃった。
ありゃと思ったらワイルドワンズ「想い出の渚」でボーンといって。

それで京都で同じところから頼まれて、ワイルドワンズのコンサートやったんですよ。
それで前座に君ら連れて行ったのよ。デビューしたてのタイガース。それでやったらタイガースの方がワアーッとなっちゃった。なんかそういう時代だったね。
それで君らのほうがウけちゃって。

それでポリドールのスタジオ覚えてるでしょ?

はい

木造の。音が漏れちゃうのね。

搬入口なんかから簡単に人が出入りできて(笑)

でもまだ「僕のマリー」の頃はまだ無事だったよね。2、30人だったかなあ女の子が

ジャズ喫茶でまだちょこちょこっとしかまだ出てなかったですからね。

で、「シーサイド・バウンド」の時になったらもう大変で、ウワーッと来ちゃって。
今言った搬入口から侵入してくるわけだよね。

録音してると「ゴソゴソ」なんてノイズが入って(笑)

必死になって防いで。で、もういっそのこと行こうって「シーサイド・バウンド」の時にさ、ワアーッと来てた女の子全部スタジオに呼び込んで、「ゴー バウンド!」って言ってもらって。
あれでね、君がノリまくって。ジャズ喫茶ではさ、「ワンスアゲイン!」とか「ワンモアタイム!」って言ってたのがさ「もう一丁!」ってのが出たんだよ。

もう一丁(笑)

あのフェードアウトの部分で「もう一丁!」
そいで女の子たちが「ゴーバウンド!」って一斉に言ってさ、
あれが今のね、聖子ちゃんが歌うと「聖子!」って言ったりね、秀樹が歌うと「ヒデキ!」なんて言ったりするハシリみたいなもんだね。

この曲でドンといきましたからね「シーサイド・バウンド」

当時のジャーナリズムがね、「僕のマリー」みたいな静かな曲じゃなくて、こういうグループは激しくてギャーギャーワーワー言うのがこういうグループだっていうジャーナリズム、イメージがあったから、ジャーナリズムがこういうのを待っていたって感じがあるね。

じゃあちょっとその曲を聴いてみたいと思いますが、タイガースで「シーサイド・バウンド」




すぎやま先生には最初の「僕のマリー」の時から曲を書いていただいたり、リハーサルにも来ていただいて、色々教えてもらったりしましたけど、下手だったでしょ(笑)僕らは(笑)

そら上手くはないわな。最初の頃はね。
でもね一番の魅力はいつも言うようだけどさ、ヴァリトン、ちょうど中音域の君の魅力のある声を
中心にしてさ、両側にも典型的なテノールの加橋君がいてさ、それからバスの岸部君がいて、音域的にすごい幅があったし、響きが良かったからすごい楽しめたよ。
だけど最初の曲を作った頃にさ、ハーモニーパートなんかそれぞれ一人一人のパートごとに全部ピアノでメロディーに入れて覚えてもらったのを覚えている。だから一つ曲のね練習用のカセットテープね、作るのにいちいち4回ずつ全部違ったパートを弾いてもう1回入れなきゃなんないっていうね。
こりゃ大変だったけどね。

僕らはビートルズとかストーンズとかそのままコピーしたりなんかしてたけど、全然違うハーモニーですよね

まるで違うからね

それぞれのパートがとってもメロディックで、それに比べて僕らは割と棒状のやつが得意だったから(笑)

「シーサイド・バウンド」はやりやすかったね

そうですね

ローリングストーンズにしてもビートルズにしてもハーモニーパートが全員一斉に同じ方向へ向くわけだよな。
タイガースは各パートが上行ったり下行ったり逆に動いたり、ていうことはね、各パートの動き方がクラシック的なのね。だから一つ一つのパートは全く別に、別々に一人一人が覚えなきゃいけないみたいなね、そういう部分があるからね。

曲作る時なんかでも、わりとこうしたいんだけどこのへんで止めとかないとっていうこと、たくさんあったじゃないですか?(笑)もっといろいろやりたいけど

そうね・・・まあでもあのタイガースの曲をずっと作ろうと思った時はさ「僕のマリー」から先まで計画的に。次は遅いの、次は早いのとかね、次は遅いのとか、組曲作るつもりで作っていたし、その全体の基本線をクラシック音楽の考え方で作っていこうみたいな方針を自分で立てたでしょ。それはまた自分自身の好きなことだからね、曲を作っていく上で精神的な苦労とかなかった。
むしろ自分が好きな音楽を書いていける。好きな音楽とそのスタッフの考えているシングル盤の企画とどういうふうにマッチさせていくかという、そういうことが一番苦労の種だったけどね。
ま、だいたいうまくいったんじゃないかと思うね、最初の頃は。
「モナリザの微笑」を作った時なんかは、ホテルに橋本淳と約一週間缶詰になって、プロデューサーの中井君が「まだですか?」っていう感じで大缶詰で作ったの覚えているな。

「シーサイド・バウンド」でこれはいけると、で、次のやつが大事だ、という時ですからね。

そう。だから渡辺プロとしてもさ、「僕のマリー」から「シーサイド・バウンド」を作るまではね、割と当たるも八卦当たらぬも八卦だから割とほったらかしなわけ。
こっちは好き勝手にできる。
当たった途端に、いろんな人がいろんなこと言い出すもんなのよ世の中は。

社長まで出てきたりなんかして(笑)

そうそう。まあ大体えてしてそうだよなどこでも。
それから大騒ぎになっちゃって、でも「モナリザの微笑」はむしろ歌よりも(前奏♪)ができた時にね、これで方針がいっぺんに決まってね、メンバーに何か他の楽器やらせたい。できそうなもの・・・ハーモニカ!この辺で大体決まったみたいね。パッとできるしね。
その前に「シーサイド・バウンド」のティンバレス

あれは苦労しました(笑)

そのうち上手になったね

いろいろと工夫して、金物屋さんで売っている竹の菜箸っていうんですか、あっちのほうがいい音がするとかいって(笑)

それとあれ軽いから叩きやすいね

そうですね。時々あれやってると歌が次遅れるんですけどね(笑)今でも

今でも(笑)

しばらくやってなかったですから。
そういえばね、昔タンバリンとかもしょっ中やってたでしょ、で、また最近ターガースでやって、右の太ももがもう一面ミミズ腫れ

ミミズ腫れ?

もうあざだらけ

ああ、あれぶつけるからね

いろいろと、いろんな話が出てまいりますけども、このへんで一曲「モナリザの微笑」を聴いてみたいと思います。

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