ザ・スター 沢田研二2

JULIE
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第2章 裏切り者

話した人 沢田研二<1976年1月16日>

「パリの・・・・」試写

 あまりにも明るい銀座の青空だ。日劇のスタッフチームが開いてくれた「沢田研二ショー」打上げの酒がややぼんやりと残っていてここちよい。
 東宝第一試写室午後一時、これからここだけ夜になる。いままで休みのなかったぼくのために「パリの哀愁」の試写が行われる。昨年、演劇、映画、全国縦断リサイタルとさまざまな自分の形に挑戦してきたが、その最後の作品となった映画である。
 ふりかえることはにが手だ。しかしはっきりとこの目で昨年のフィナーレを確認せねばなるまい。灯が消える。やがてぼくはセーヌのほとりに立っていた。
 1975年10月20日、パリ・ロケは開始された。
 台本はフランス語と日本語の二通りがあって、ぼくに渡されるのはもちろん日本語である。日本語のセリフのワキにカタカナでフランス語をうめ込む。全体の三分の二以上がカタカナでうまる。まずそれを暗記して発音の違いを矯正することから始まる。つまりホテルで優雅に出演を待っている余裕などすべてそぎとられた。

“迫る”オージュ

 頭のカタカナが溶けて曲がってスペルになるころ出番となる。恋人役のクローディーヌ・オージェは仕事をよく理解しようとばかり盛んに話しかけてくるのだが、頭につめ込んだフランス語がこぼれそうになり、ぼくは急に無口になったり逃げまわったりする。ぼくにとっては彼女とのコミュニケートよりひとつのフランス語が大切。
 パリの秋は日が短い。9時半からの6時間あまりが撮影時間となる。モンマルトル広場ロケで目についたのはあふれんばかりの若い日本人の旅行者。ジュリーと声をかけられても、日本のようにほほえみかえせなかったのはなぜだろう・・・・。きみ達とは日本であいたかったのかも知れない。
 オージェとのラブシーン、カメラの姫田さんが、
「急ぐな!」
 と声をかけた。
 なにしろロマンポルノを撮りなれている彼のカメラワークはぼくをなめるように追う。こんなシーンは早くすませたい。うまく演じてもヘタに演じてもファンにとってきっとぼくらしくみえないだろう。オージェの白いハダをみつめながらぼくはファンに最低限の裏切り行為でないぼくを探しまわる。裏切り・・・もういやだ。二度といわれたくない言葉だった。

結婚発表の日・・・

 1975年6月4日羽田空港、結婚の記念会見を終えたぼくはその夜、やはりパリへレコード・プロモートのため飛び立つ便を待っていた。なぜか今日ばかりは遠まきに見送っているファンに、ぼくは幸福をかみしめる時間を与えてもらった気がしていた。そのあたたかさがつらかった。
 いつもステージでファンと生で対面するたびに、
「ウワサ通りに結婚するようなことがあったら、マスコミ関係者よりもまずはじめにファンのみなさんに報告します。裏切りはしません」
 がぼくの口ぐせだった。実際あまたのスキャンダルにもめげず、ファンはぼくの報告をひたすら待った。
 5月16日婚約・・・甘かった。気がつけばもう記者団はすべての計画を知っていた。
 ある朝開いた一冊の週刊誌にぼく達しか知らないこれからが描かれていた。それでも6月4日と決めた婚姻手続きの日は動かすわけにもいかず、朝二人は等々力出張所に向かった。報道陣のカメラが銃口のように取り囲んだ。晴れがましい日なのにぼくの背中が丸いのはなぜだ。笑わなければ・・・いい顔を向けなければ。そうさ、この幸福そうな1枚の写真に、ファンは満足してくれるかも知れない。マスコミとジュリー、のがれられない運命に約束がちがったってファンはわかってくれるにちがいない。気を楽に持てばいいんだ。笑えばいいんだ・・・。それにしてもファンが一人も目につかない。知らなさすぎる。なぜだ!!
4日午後3時帝国ホテルで正式に結婚を発表。ファンには7月20日大津の比叡山で行うコンサートに無料招待して、これを結婚披露にかえることを約束した。
 紺のペンシルストライプのスーツを着たぼくは、白のツーピースの妻とあがり気味に報告していた。

涙をためた少女

「かねがねいろんなふうに伝わってきましたが、きょうこうして、はっきりとボクの口から報告できて肩の荷がおりたというか、ホッとしたという心境です」
 確かにその時肩の荷はおりていた。記者団の質問は夢物語のように聞こえ、答えるぼくも終始笑顔が続き、甘い時が流れていった。
 4日夜、待合室のアナウンスがパリ行き便の到着を告げた。赤いジュウタンを踏んで軽い足どりで税関入口に向かうぼくに、後ろのファンが一瞬みえなくなった・・・。
「裏切り者!」
 その時背後からの一言がぼくの甘さを切り裂いた。足がピタリと押えつけられたように止まった。顔面が硬直してくるのがわかる。動きの不自由になった体を無理にかえすようにふりむけば涙をためた少女が立っていた。その目は何もかもみすえたように深く悲しんでいた。そしてもう一度つぶやくように、
「裏切り者」
 と声を落とすと、そのうすい影を消した。
「裏切りなものか、自分の幸福を自分のいいままにして何が悪い」
 背後からの一言を打ち消そうと身をゆすれば、どうにもならないむなしささけがたちこめた。
 気がつけば映画はラブシーンを過ぎてラスト近くになっていた。
「加瀬さんがふりむいている」
「生方(うぶかた)、おまえジュリーの付き人なのにくいすぎだよ」
 スタッフがチョイ役で銀幕に出るたびににぎやかなひやかしの声をかける。
 1時40分、ふたたびセーヌ河でたたずむぼくを残して「パリの哀愁」はエンドマークを写しだした。同時にぼくはいつかの裏切り者をうすれていくセーヌ河に急いで放り投げた。

「パリの哀愁」ラストの一シーン

エッ?加瀬さん映画に映ってるシーンあったっけ??なんてまず思ってしまいましたがw

今となっては45年くらい前の話なんですが、当時としてはほぼリアルタイムの自分の心境を赤裸々に語る・・・今でもあまりないですよね。ま、人によってはYouTubeを使って吐露している人もいますが、重みが違いますよね。逆に当時こんなSNSがあったら逆にジュリーはここまで語らなかったかもしれませんw

意図したわけではないのに、結果的にファンに真っ先に報告すると約束していたのにかなわなかった。それが「裏切り」なのか。いや、裏切りじゃない、そんな複雑な心境をずっと抱えておられたであろうジュリー。
空港で声をかけた少女の言葉がその一種の背信的な心境を一気に引き裂いたみたいな、そんな感じだったのかな。

これだけじゃないですしね、もう通常の人の何倍もの想いというか、経験を重ねてきたわけですから、だから、今では匿名で(笑)気ぃ長ぁ~にこの現状を受け止めましょう!という境地に立てるのかもしれませんね。
正解はないんだ。人生は。

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