ザ・スター 沢田研二12

JULIE
スポンサーリンク
スポンサーリンク

第12章 僕・・・エトランゼ

話した人 沢田 研二<1976年3月26日>

女先生ドミニク

 JAL441便、重い心を引きずって飛行機はパリについた。全くポリドール・パリではどんな曲を用意しているのか、ロンドンでのレコーディングは可能なのかどうか・・・・。
 2月25日午前10時からカラオケのキーチェックが行われた。心の霧が晴れていく。4曲ともすばらしい曲がそろっていた。担当ディレクターのミッシェルは、名古屋公演のぼくを見て研究していたが、成果は見事実ったようだ。あとはぼくがフランス語でどう歌い込めるかにかかっている。
 つきあいの長いミッシェルは、自分がフランス語を教えると情がからんで甘くなるのでと、ドミニクという女性をぼくの先生につけた。
 フランスとベルギーは隣国である。ベルギー・RTBスタジオでのテレビリハーサルのため列車に乗り込む。本番は明日なのだが、どうやら時間をかけて番組を作るのがこちらの国の方式らしい。
 この列車なのだが発車ベルがなるだけで、放送アナウンスが一切なし。なんとなく異国で心細い。きっとブリュッセルに着くはずだと思い込ませ、不安をとり払う。国境近くになるとフランス、過ぎるとベルギーの各税関の二度にわたる取り調べが行われた。人間が国をひとつ越えるのは大変なことだ。歌ならば心ひとつで飛べるのに。

熱狂的なキスだ

 ベルギーでは本場の小便小僧を見学。小便小僧がさまざまな洋服を着てるのは、昔この国を占領したよその国の王様が、この銅像を盗んだ謝罪のあかしとして位のついた勲章付きの服を贈ったのがゆえんだという。ベルギー・ポリドールの人が解説してくれた。なぜかこの日は小便小僧は丸裸、おしっこも出ていなかった。
 ベルギーのファンは強烈である。公開テレビショー「シャンソンアラカルト32」を埋めつくしたファンは”ケンジ”と叫びながら楽屋にまで侵入してくる。着がえ姿をカメラにおさめられたり、ほおにキスをされたりしても、防御してくれるガードマンもいないから、されるがまま。なれるしかない。

 2月29日、スイスのジュネーブであき時間が出来る。おのぼりさんよろしくハイヤーをたのみ、
「一番きれいな景色のみえる所まで」
といい、あの絵葉書に出て来るような風景を頭に描く。
「それならパスポートを持って来て下さい」
「・・・・・!?」
 その意味が分かったのはまもなく車がレマン湖の途中で停車した時だった。小さなしゃ断機が、フランスとの国境を分けていた。警備の人と運転手さんは顔なじみらしくなごやかにパスポートをとりかわすと、車はぼくの夢の風景に向かってまた走りだした。
「国境に畑がまたがっているとやっかいなんですよ。穀物ひとつにしたって種をまいたのがスイスで、実をつけたのがフランスなんてこともある。おまけにスイスはEECに加入してないから問題は大きい」
 などジョークっぽく運転手さんは話してくれた。それにしてもなんと美しい風景だろう。

ジュネーブの恥

 次の日 スイスのラジオ局で、
「わが国で一番美しかったところは?」
 と質問される。
「マッターホルンとモンブランの山です」
 するとアナウンサーは冷たく、
「あれはわが国のものではありません」
「・・・・・!?」
 だからヨーロッパはやっかいなのだ。
 同行した加瀬邦彦さんは牛若丸よろしく、ここと思えばあちらと仕事先の国に先乗りして準備を進め、ぼくを待ちかまえていた。3月4日からポリドール・パリでレコーディングが開始された。
“ELLE(彼女)”
“LAMOUR ESPERANTO(恋は世界語)”
“BELLE DAME DUCE DAME(ビューティフル・スイート・ガール)”
“LA VERITE(真実)”

 ドミニク先生の特訓の成果か、フランス語が自分でも不思議なぐらいにうまい。言葉のハンディキャップが今度こそ取れそうだ。日本人だからしかたがないと思われるのは不本意である。フランスマーケットに攻撃をかけるぼくに、そんな甘さは欲しくない。
 いくら他人がレールをきちんと敷いてくれたって、走るのはぼくだ。レコードが勝負だ。念願だったヨーロッパでのコンサートも実現しそうな話が出てきた。
 しかしぼくはパリ駐在の日本の会社員を集めて、あるいは日本人の留学生の人気にたよってコンサートは出来ない。かたちばかりのそんな簡単なコンサートのために、遠い日本からやってきているのではない。
 そうだ、圧倒的に、超満員のフランス人(もっとインターナショナルな人達であれば、もっと望ましいことだ)の前で歌わなければならない。例えばオリンピア劇場で・・・・。
 3月10日ロンドンでレコーディングがはじまる。“MY LOVE IS YOUR LOVE(僕の恋は君の恋)”他3曲、どうやらフランス語のクセが抜けないらしくフランスなまりの英語。これを直すのに半日かかってしまった。

縦断コンサート

 遠い国に来てふと思う。日本でいくらなじみの顔でも、ぼくはここでは見知らぬ外人の一人にすぎない。
 誰も知らない。しかし日本でもこれと同じようなことがありえるのではなかろうか。テレビも雑誌もみない山深い谷あたりに住んでいる人達、そんな人がきっといるはずだ。ぼくは気にかかる。そしてさらに燃える。僕の歌を聞いてください。
 JAL412便で3月15日帰国、すぐさま春の全国縦断コンサートの準備に入った。僕は今度は汽車で船で走って歩いて、ぼくの知らない人達が住んでいるもうひとつの異国日本を訪れようとしている。その距離はフランスより遠いのか近いのか。3月26日豊岡市民会館からその旅は始まる。

JULIEtalk to
スポンサーリンク
シェアする

Nasia's blog

コメント

タイトルとURLをコピーしました