ザ・スター 沢田研二13

JULIE
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第13章 ステージ・オフ

話した人 沢田 研二<1976年4月2日>

お先に高松入り

 折からの霧でスタッフをのせたANA563便は欠航になったらしい。ぼくはメンバーとともに、一足先のANA561便で高松入りしていた。まもなくスタッフは楽器材を積んで神戸からフェリーで夜遅くつくと連絡あり。
 彼らも大変だなとつくづく思う。この分では会場セッティングは明朝に延期になるだろう。旅先ではこの種のハプニングはつきものではあるが・・・・。
 午後3時に食べた中華料理がもたれて、8時を回ってもおなかがすかない。9時でホテルのレストランは閉じるという。夜中に空腹で目がさめなければいいけれど。
 シングルベッドに横たわってテレビのスイッチを入れる。旅に出ると時間があまる。どこか遊びにでも行けばいいのだろうが、ひとりでいるのが好きだし、外はさまざまなうっとうしさがつきまとう。カセットテープが唯一の友達だったりもする。13インチのテレビでは007のジェームズ・ボンドがダイナミックなアクションを展開している。たしか「パリの哀愁」で共演したクローディーヌ・オージェもこのシリーズのボンドガールだったなと、頭の中に彼女の顔がフラッシュバックする。

暇はクイズで・・・・

 机に放り投げた書きかけのメモ用紙に目をむける。Hの文字がいくつもつづられてあり・・・そうだ、このクイズはまだ解けてなかったっけ!?大野克夫さんがファンの娘に出された問題である。時間をつぶすにはもってこいなのだ。Hの文字に三本の線を引いて三角を7つ作れという問題だ。もうひとつのWの文字に三本戦を引いて9つ作れというのもある。ヒントは星型☆であるという。もしも時間があったならみんなも一緒に考えたら?

 このロックツアーは豊岡市から始まった。帰国後初めてのステージ、そして初めての場所ということで神経をつかった。多少りきみすぎたのかもしれない。カニ料理はうまかった。各地方の名物を食べるのも旅の楽しみのひとつである。
 沖縄は二度目だった。どんよりとくもった涙色の空だった。これは客の出足も悪いかなと思案する横で、土地の人が、
「風が吹いてきたから晴れるよ」
 とつぶやいた。やがて青っ青に広がり、街並みも輝きをとりもどした。その土地の中で生きて来た人のカンというものはおそろしいものだ。
 この沖縄は生活様式がアメリカナイズされているせいか、気性もカラッとしている。南国の風土に似合っている。日本人特有のジトーッとした感じがしない。
 ということはスローナンバーがうけないということでもあった。オープニングから英語のアップテンポのロックでとばしたものの、あとが続かなかった。ばかでかい沖縄市体育館にはイスがなく、観客は床に座って見ていた。スローナンバーを歌いながらなんとなく座り心地の悪さがこちらにしみてくる。
「きみたち床に座っていて窮屈ではないか」
と声をかける。
 その声を待っていたかのように、前列をしめていた数十人がステージ(高さ70センチほどの差しかない)の前面に立ち上がった。バックのギターがエキセントリックにインスツルメンタルを奏ではじめた。やがて会場の若者は次々に立ち上がってリズムをとり始めた。
 さあ立て、踊れ。金色の髪をなびかせるアメリカの娘、深く黒い瞳が美しい沖縄の若者。シャウトするんだ。
 彼らが立ち上がったのは初めての出来事だったとあとから知らされた。沖縄の青空がどこまでも高いのに比べて、床に座って聞く音楽。どこかアンバランスなこの地方、それがエキゾチックというものか、ちがうだろう・・・・。

 午後9時半、ホテル2階の「ニュー神戸」というレストランが特別に時間外の食事を引き受けてくれた。ニンニクのたっぷりきいた肉を口に運ぶ。たまにはワインもいいと赤を少しグラスに注ぐ。

中学時代は主将

「明日はここの高松商業が出場ですよ」
 カウンターの向こうでコックさんがほほえんだ。いまやセンバツ高校野球たけなわである。
「何時からですか?」
「午後1時ぐらいでしょう」
 僕の明日のステージは高松市民会館で午後2時から。またガッチリつかまったという感じ。3月28日の沖縄でも地元の豊見城高校の試合とぼくはぶつかって、街中の電気屋さんから拡声器のようなテレビの音が流れるのをよそ目に会場で歌ってたっけ。
 出身地の高校を応援するのは人情である。ぼくも京都の高校が出場するとなればかなりの熱い感情を持つだろう。ましてやぼくの中学では野球部のキャプテンだった。一度は甲子園の夢を見たくちである。
「こりゃ負けるかな」
 と観客の入りを心配しつつほほえんでしまう。
 野球といえば旅のもうひとつの楽しみでもある。見るのではなくプレーするのだ。チームをおととしの春に作った。「ジュリーズ」という。
 メンバーはバックのプレーヤーとぼく担当のスタッフのよせ集め。ぼくは監督、もちろんメンバーでもある。どこでも守る。守備感覚は当時とそれほどくるっていない。打つのがつらい。ハイティーンのパワーにかなり押され気味である。だからクリーンアップトリオの打順をはずれて6番、7番とひかえ目に打つことにしている。

真剣なプレーだ

「春の草野球か、いいね。今回の旅でぜひ実現させよう」
 マネージャーの森本氏と話が合う。実のところまだ3戦しか行っていないのだ。対戦成績は・・・・まあいいではないか。しかし、ひとたび試合が始まるとぼくはかなり真剣になる方。昔の名残りなのかぜったい勝ちたいと思う。遊びでプレーはできない、このクセはなおらない。
 午後11時、ブラックジャック。昨夜のしかえしとばかり井上堯之さんが気負い込んでいる。なあに返り討ちだ。
「みんな2時までだよ。ぜったい守ってね」
 午前2時きっかり就寝、全員えらかった。
 午前11時、ロビーのうすいコーヒーが目ざましがわり。ラジオのニュースが大阪は雨のため高校野球が中止になったと知らせた。サインを求められた指が一瞬止まる。
 正午、ホテルを出発、会場ではスタッフが早朝からセッティングに入っているはずだ。
 ・・・・・そして高松商業は3月31日に崇徳に惜敗した。ぼくは松山市民会館のステージに立っていた。

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