2010のJULIE語録①

JULIE
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2010.1.27 大阪厚生年金会館

もうすぐ加瀬さんたちと一緒にやるということで、加瀬さんの話が多くなっています。

足を向けて寝られない

加瀬さんには「勝手にしやがれ」よりも前・・・「危険なふたり」の頃からプロデューサーとしてなんでもやってもらった。特に外国に行くなんて、自分ひとりやったら絶対行ってない。プロデューサー代わりで飛行機の手配から、レストランで食事をする段取りまですべて加瀬さんがやってくれた。

食べ物に当たって熱が出てしまって、寝込んだ時も加瀬さんが看病してくれた。
加瀬さんが常にかいがいしく看病してくれて、冷たいタオルをおでこにあててくれて、そのうち寝て・・なんかあたたかくなってきたタオルがパッと取れてまたひんやりと冷たいタオルがおでこに当てられ、あっ、加瀬さんがいるんだって。
あと、一日二日で日本に帰らないといけないのに、買い物とか行きたいでしょ。外出してくださいと言っても「いいんだよ」と横で本を読みながら。ずっといてくれて。

この話はこの後も時々お話になられましたね。よっぽど印象に残っていることなのでしょう。

加瀬さんには足を向けては寝られない

共演のはなし

きっかけは、加瀬さんが東京ドームを観に来てくれて、その時に私が「夢を見る男じゃありません」って言ったのを気にかけて「それじゃあ俺が夢を見せてやろう」って。
「なんです?」「オリコン1位をとるんだよ。沢田とワイルドワンズが組んだらできるんだよ」

私も毎年出してますけど、それはライブをやるために出しているわけで、売れる売れないは関係なくて、でも売れるのにこしたことはないけれどね。それでも60をすぎた人間にこうやって言ってくれるんだから。と引き受けられたそうです

2010.2.3 大阪厚生年金会館

ちょうど「節分」ということで、豆まきしてくれたジュリー(笑)
自分に投げた豆を自分で食べようと体を反ってしまった時に重心が後ろにいってしまい後ろ向きに倒れてしまったハプニングがありましたが、お怪我をされてないようでホッ。

2月になりまして、今日で厄が終わりましたと。数え年で62、後厄も明けたということで🌟
これで70にちょこちょこってあって越えたら不老長寿!
(本当に70でちょこちょこありましたし(笑)

そして、今まで人気が出てきたことの嬉しさを正面切って表しておられませんでしたが、

人気が出てきてうれしいんやけどな

と白状(笑)

人気なんかなくなったってええねん。来るな!って言っても来るやつは来るし
それでも今日はこの厚生年金にたくさん来ていただいて・・・涙なんかでーへんで!


可愛らしいジュリーでした🌷

2010.3.13 朝日新聞

「還暦過ぎても走るジュリー」ということで記事&インタビューに答えておられます。そのインタビュー部をそのまま引用させていただきます。

夢を追いかけるタイプじゃない

——ザ・ワイルドワンズと組むきっかけは何だったのですか。

加瀬(邦彦)さんに「オリコンで1位をとらせてやる」と誘われました(笑)。加瀬さんは、僕がよく売れていたころのプロデューサー。長年、作曲のほか、衣装やパフォーマンスなどビジュアル全般で助言をくれ、引っ張ってもらった。言ってみれば、恩師のような存在。加瀬さんでなければ、他の誰からのお誘いでもやってなかったでしょう。

——音楽劇で「センセイの鞄(かばん)」を演じるのは2度目ですね。

前回(05年)の演出は久世光彦さん。テレビドラマの演出や作詞などでもお世話になっていた人です。その久世さんが、最終日の打ち上げのあいさつで、「さっき沢田くんに再演をお願いしました」と唐突に言ったんです。冗談とも本気ともつかず「聞いてないぞ」と思いながら受け流していたんですが、それからしばらくして久世さんは亡くなった。あの言葉がまるで遺言のように心に残ったので、改めてやってみようと思ったわけです。

——最近の活動からは、「恩返し」のような印象を受けます。

恩返しになるかどうかは分かりませんが、そんな気持ちですよね。僕はタイガース時代から、どこか冷めていました。他のメンバーに「日本一のバンドになるぞ」と言われても、「そんなん無理やろ」と。与えられた仕事は一生懸命やるけど、自分から夢を追いかけるタイプじゃない。みんながワーッと競争すると、むしろ一歩引いちゃう。いろんな人にお世話になったおかげで、がんばれたのだと思っています。

ぶざまでも走る

——還暦を過ぎても、ステージを全速力で走り回っていますね。

本当は60歳を過ぎたら、バンドでなく、ギター一本で静かにバラードを歌うスタイルにするつもりだったんです。でも、6時間で80曲を演奏した還暦公演が成功し、僕もスタッフも、たぶんファンの人も元気になっちゃった。そもそもお金を払って見てもらう以上、ラクしちゃいかんと思うんです。芝居でも、少ない出番で目立つような「おいしいとこ取り」は嫌。みんなに「セリフも多くて大変ね」と言われたい。そして、「そうでもないですよ」と言いたい(笑)。そういう性分なんです。

かつて(米国人歌手の)ダイアナ・ロスの公演を見たとき、終盤に彼女が疲れ、だんだんあられもなくなってくるんです。もう声も絶え絶え。でも、そこで初めて生身の人間が見える。「がんばってるなあ」と引き込まれ、僕もそうありたいと思いました。そりゃ体は重いですよ。走っても、きっと格好はよくない。でも、ぶざまでもがんばっている姿は感動を呼ぶと思うんです。

いずれは体力的にがんばれなくなる。バラードしかできなくなる。だから今はまだがんばりたい。

——自分の中では、いつごろ「二枚目路線」と決別したのですか。

もう、かなり前です。口に出したことはないけれど、85年ごろかなあ。昔は食べても太らなかった。それが40歳を過ぎ、50になるころにはすっかり……。でも僕はね、太ったとか、やせなさいとか言われるのが一番嫌なんです。体質、遺伝なんですよ。それを問題にされるのは理不尽です。僕は天(あま)の邪鬼(じゃく)だから、太って嫌われるなら、それだけのものじゃないかと思ってしまう。「きれいなもの、要するに虚像だけを見ていれば満足なんですか? 人間を見ていないんじゃないですか?」と言いたくて仕方がない。へりくつのようでしょうが、人間は変わっていくもの。誰もが老い、朽ちていくんです。

生きるって死ぬ準備。おおざっぱに言えば

——今年は自身の新作も?

ええ。4曲入りのシングルを出します。昨年からアルバムでなくシングルを出すようにしました。持ち歌が増えすぎてライブで歌う機会がなくなってきたからです。一生懸命作った曲もあるし、人に作ってもらった曲もあるから、できれば何回でも歌いたい。曲への恩返しもあるんです。ちゃんと身の回りを整理しながら生きていかないと(笑)。やっぱり、生きるって死ぬ準備でしょ。おおざっぱにいえば。

——来年はソロデビュー40年の節目。同時にザ・タイガース解散から40年にもあたります。

うーん、タイガースの全員が集まるのは難しいかもしれない。でも今、努力はしていますよ。ピー(瞳みのるさん=タイガース脱退後、音楽活動を停止)とも久々に会っています。みんないい年齢だし、「そろそろ」という気持ちは持ってるんじゃないかな。焦る必要はないけれど、運良くいけば来年……。いずれにしても、再結成の実現はみんなの思いが一緒になったときですよ。

真に迫った御言葉が並んでいたので、すべて引用させてもらいましたが、この時は加瀬さんに、ザ・タイガースのメンバーに自分が彼らと再び一緒にやることで「恩返し」ができるのではないかと思われています。その後実際にやって「恩返しってそんな簡単にできるものではない」と悟られ、今年の新曲の歌詞の中にも“恩返しなんか死ぬまでできねえ”とあります。「持ちつ持たれつ」という言葉があるように、生まれてから死ぬまで人間は各々の助け合いによって生かされ、そして生を終えていくものだと思っているので、一生恩は返せるものではないという考えはそうだなと思うわけです。

改めて、当時のこのインタビューを読むと、60歳からギター一本でやりたかったんだなとわかりますし、2010年の正月コンサートの初日を1月24日にしたのも、いわゆる再結成への「願掛け」であったのではとわかりますね。これは想像ではありますが。

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