1986年 FM fan(東版)

JULIE

昨日(7月6日)にファンクラブといいますか、情報発信をしてくださる「澤會」がいったん休止となるお知らせがありましたね。

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先の見えない状況で、元となるLIVE活動の見通しも立たないとなれば、そうせざるをえなかったのでしょうね。静かに受け止めるしかないです。
しかし同時に、「キネマの神様」の撮影が再開されていたとの報道もありました。
緊急事態宣言が解除されてすぐにはじまったそうです。
何か、本当にありがたい気持ち。よかったあ・・・という。ほっとしております。

新春BIGインタビュー 沢田研二
インタビュー・湯川れい子

何をやっても、あるいは何かをやらなかったということで、この人ほど話題になる男もいないだろう。
約1年ぶりに音楽活動を再開したジュリーへの独占インタビュー。

1年ぶりに泥まみれでステージに帰ってきたワケ

湯川「私は音楽の世界にいるんですけど、洋楽のほうばかり見てきちゃったものですから、わりと芸能界を知らなくて、変な質問だったらごめんなさい。
例の「アマポーラ(※1)」から「灰とダイヤモンド(※2)」までの間というのは何だったんですか。いろいろごちゃごちゃあったのは。」

沢田「身辺の整理とですね・・・・・(笑)。」

湯川「渡辺プロをおやめになったんじゃないでしょう。」

沢田「一応は独立させてもらったということなんですけれども、けんか別れしたわけではなくて、渡辺プロの系列会社ということです。CO-Co’LOという名前で、今のところは僕だけのことに関する会社なんですけれども、いずれは発展的にしていこうとは思っているんです。」

湯川「そうすると、スタッフの方たちも、今までと代わったんですか。」

沢田「そうですね。レコード会社も変わりましたしね。とにかく人身を一新・・・自分を一新しようということで、そのために。
本当ですと、去年(84年)8月でコンサートが終わって、仕事が一段落したところで速やかにするつもりが、なかなかそうはいかなかったということなんですね。」

湯川「今度のアルバム『架空のオペラ』にはいつごろから取り掛かられたんですか?」

沢田「去年の12月ぐらいからですね。実際に(再活動に)入ったのは、今年(85年)7月のコンサートからですが、 LPの製作については、見切り製作というか、そういう形でやっていたんです。」

湯川「そうすると、今まで不燃焼で欲求不満が残ったりした部分があったと思うんだけれども、今度は見切り発車にせよ何にせよ、ご自分でやりたいことをやれたわけ?」

沢田「そうですね。今までは、わりとアイドル的な仕事の仕方というか、例えばシングルは年に3枚ないし 4枚、LPを1枚ないし2枚作らないといけないみたいな形があったし、かかわってくる人たちも多かったから、それぞれの責任分担が薄くなってたり、こっち立てればあちら立たずというようなことで、何か足もとに藻が絡まったみたいな・・・・。
で、自分が納得いくレコードを作るために足もとから軽くしようと。だから、じっくりやるつもりなんですけどね。」

湯川「なるほどね。私なんかも沢田さんのかなり熱心なファンだと思うんですけれど、それが突然、不精ひげの顔なんかが出てきたりすると、すごくとまどうんですね(笑)。それから、最近の大ショックは あの泥(※3)ですね。あれは、分からなかった。」

沢田「ああ、ステージの演出ですね。」

湯川「ええ、雨まではまだいいけど、徐々に汚れていくでしょう。そうすると、理解しようとする前に、口がポカーンとあいてしまって、これは何だろうって。けっこうそういう人、多いと思うのね。あの演出は何なんですか。」

沢田「蜷川さん(※4)のおっしゃるには、僕の意志とは別に、ファンにはいろんな心配をかけたと。で、普通に戻ってくるのはいかんと。
雨に打たれて・・・それもびしょびしょになって美しい光景だというのではいかん。泥にまみれてもやるというところを見せなきゃいかんだろうと。あったかく、華やかな雰囲気でパーッと出てくるのは、オレはファンとして許さん、と言われて、ああ、そうかもしれないなと。
僕自身は自分のことで精いっぱいだったから、ファンに対して待たせてるとか、心配させているとか思ってなくて。個人的な好みで言うと「どうしたの?」っていう感じで出てくるのが好きなんだけど。
それで結果的に1年近く間があいて、東京厚生年金会館で最初に出てきたときに、もう、すごい拍手なわけですよ。今までにこんなことがあったかなというぐらい。ファンの人たちが、僕をもう見たくて見たくてしょうがないという拍手に聞こえたし、やっと出てきたやっと見れたという拍手だったし、それは僕の想像以上だったんですね。
それまでは、あくまでも一つの演出があって、それを僕がどう演じるかの問題みたいに思っていたんだけれども、実際に拍手を聞いたときには、やっぱり蜷川さんがおっしゃったことは、なるほど、そうなのかなと思ったんですね。」

このごろようやく素直に歌を表現できるようになった

湯川「蜷川さんもあなたのファンのサイドに立ってものを見て、そういう演出をなさったと思うんだけれども、私も一ファンとして見れば「やあっ」って帰ってきてくれるのを待っているわけ。
おどろおどろしく帰ってこられるんじゃなくて、「ほら、みんないろいろなこと言ったけど、ジュリーは変わってないじゃない」っていう安心感、また夢を満たしてくれるという期待感、ジュリーだけはいつまでも輝いていてほしいとか、いろんな期待をみんな膨らませて手を叩いてるんだと思うのね。
だから、どうして泥だったんですかというのに対しての回答が欲しいわけ。」

沢田「普通だったら、ああいうことはたぶん最後の方にやって、それで口あんぐりで、あ、終わっちゃったというところかもしれないけど、蜷川さんに演出をやってもらうことを決めた時から、蜷川さんの世界というのを最初に出してしまって、それを僕がどう消し去っていくかをやればいいんだなと思って、そういう気分でやってはいたんですけどね。
だから泥んこになったりというのが、あんまり汚いとは思わないんですよね。まあ、ひげは汚いんだけど(笑)。」

湯川「ひげはまた別なのよね。不精ひげでごめんなさいなんて言われたりすると、のぞいてはいけないところを見てしまったみたいな感じがあるんですね。」

沢田「何か新しいことをやろうとか、前と違うようにしようとかいうときには、どうしても考え過ぎになって、結果的に策を弄しちゃうんですよね。自分ではスッと出てくるものが「僕自身だ」と思うんだけれども、これだけ休んだんだから、何か見せてくださいよと言われるぞ、と言う人がいるわけで、いろんなことをインプットされると、それを整理しようとしますからね。その辺は人並みなんだと思って(笑)。」

湯川「そうすると、いつまでも魔性の美しさを持っている、何をやってもジュリーだから許されるみたいな、華麗なジュリーは今後どうなるんですか。」

沢田「それはもう、いやだとかいうことでは決してなくて、ギンギラギンという表現をされるようなことを、もうしないということでもないし、今までのことを全く捨ててという気持ちもないしね。
引きずらないといけないところも、捨てないといけないところもあるんだけど、そんなに意識もしないし、執着もこだわりも何もないんですね。」

湯川「私も最初に『灰とダイヤモンド』を聴いて、今度の『架空のオペラ』というLPを買うのが怖かったんだけど、実際に買ってみたら怖くも何ともなかったのね。すごく分かりやすく、抵抗のない、肩にそんなに力の入ってないつくり方をしてらしたんで、それもわりと意外だったんですけどね。」

沢田「やっぱりもう一度、ボーカリストであるということを前面に押し出してみようと・・・。ここ3~4年は、サウンド志向でやっていたから、今度は世間でいう「アダルトっぽく」やってみようか、という感じだったんですね。
タイガースで始めたときは、もちろん向こうのコピーから始めたわけだから、日本語で歌うことにさえ抵抗を感じてた方なんだけれども、日本語で歌うということにだんだん慣れてくると、シャンソンっぽいものも歌ったし、ソロになってからしばらくの間、上手に歌えなかった歌が、今だったら心情的にも素直に歌えるし、そういうこともあって、バラードもいいなって、やりながら思ってたんですよ。」

湯川「ミック・ジャガーも同じことを言ってましたね。」

沢田「ああ、そうですか。」

湯川「ミック・ジャガーが『やっと最近、僕、声が出るようになった。こう歌いたいなと前に思ってたように歌えるようになった』って(笑)。」

沢田「そうだろうと思いますね、本当に。それも何かのきっかけがないとね。『いやいや、まだまだオレはいくで』と思ってると、気がつかなかったんだろうし。」

湯川「今度の 李花幻さん(※5)て、あれは沢田さんなんですか?」

沢田「違うんです。(笑)」

湯川「違うんですか。ちまたではそう言われてますけど。」

沢田「井上陽水じゃないかというようなウワサも出たそうですけれども。」

湯川「じゃあ、李花幻さんという人は実際に存在してて、あなたではない。」

沢田「僕ではないです。」

湯川「じゃ、今回のアルバムの中で、ご自分では詞を書いていらっしゃらないし、曲も書いていらっしゃらない?」

沢田「そうです。」

湯川「これから先『沢田研二』にしか歌えない世界というのを、まだ作っていけるんじゃないかという気がするんですけど。」

沢田「それが何かというのは、まだ分からないけど。あんまり世間の目を気にしてると、やっぱり角もとれちゃうし、丸くなって。大きくなればいいけど、どうしても小っちゃくなりそうだから。」

生のステージと芝居が自分には合っている

湯川「じゃ、がらっと話題を変えて、今後のスケジュールをうかがいます。86年のご予定は?」

沢田「中心になるのはレコードづくりとコンサートです。コンサートは1月に東京と大阪(※6)で4日間ずつやって、その後レコードに時間をかけて。7月頃から9月10日ぐらいまでに、できれば40ヶ所ぐらいツアーをやろうと。それ以前にNHKの朝のドラマ(※7)がレギュラーで。」

湯川「かっこいい役らしいじゃないですか。」

沢田「台本とかではかっこよすぎる役なんですよね。ただ本当にかっこよくなるかどうかはこれからでしょうけどね(笑)。」

湯川「二枚目の役なんでしょう。」

沢田「そうなんです。東北地方のキリストと言われた人で、実在した人なんですけれど。キリスト教に目覚めて、仙台でミッション・スクールを作ったりするんです。ところがもめごとに巻き込まれて、アメリカまで先生を訪ねていくんですけど、その人はもうウェールズに行ったっていうんで、今度はウェールズまで追いかけていく、そういう人なんですけれども。主人公の斉藤由貴さんがやる「りん」という子があこがれるという役なんです。」

湯川「俳優さんという仕事には、どのぐらい魅力を感じていらっしゃるんですか?」

沢田「すごく魅力は感じるけど。ただ、あとは自分の力がね、力を考えると、そうも言ってられんと思って。」

湯川「お芝居をやることには魅力を感じていらっしゃるんですね。」

沢田「はい。舞台というのはあまりやってないんですが、ずいぶん前に、やっぱり蜷川さんが演出して、唐十郎さんが書いた「唐版、滝の白糸」というのをやったことがあるんですけど、舞台も面白いなと思って。やっぱり生のものの方が何かやったという感じがするんですよね。その場限り、今しか見れないというのが・・・。
コンサートもそうだし。それだけに思い切りできるし、いいにつけ、悪いにつけ今日のは今日のでいいんだと思えるから。だから舞台の方が映画などより自分に合ってるかなと思ったりして。」

湯川「映画やテレビのフレームの中に切り取られて、大写しになったりすることと、その人格や魅力とかは別物でしょう。そういう意味では、舞台というのは本当に素晴らしいだろうなと思うの。」

沢田「ミュージカルは簡単にやれないと思うし。もうちょっと芝居だけの舞台に慣れてきたときに、本当にロック・オペラというか、ロック・ミュージカルというか、そういうものが楽にできるときがくるかもしれないと思ったりしてるんですけどね。」

湯川「じゃあ最後に今後のツアーについて、メンバーとか、どういうサウンドでやっていらっしゃるか、みたいなことを聞かせていただけますか?」

沢田「また少しメンバーが変わるんですよね。いわゆるオジサン・バンドになりますね、もう徹底的な(笑)。」

湯川「大野(克夫)さんとか。」

沢田「大野さんはもうライブはやらないらしいと。今やっているのはチト河内さん、石間秀機さん、あとドラムスに原田裕臣さんと篠原信彦さんというハプニングス・フォーをやってた人が加わって、あとベースがまだ決まってないんですけどね。それからほかに何を入れるかというのを、早急に決めなきゃいけないんですけど。
あまり細かい音作りではなくて、大きなね。カチッと機械に合わせたみたいなソロじゃなくて、ローリング・ストーンズみたいな迫力が伝わってくるような感じで、僕なりのものを出せたらいいなと思ってます。そんな小難しいことをやるんではなくて。
今度の東京・大阪のステージでは6・4・2・2ぐらいのストリングスも入れてみようかなと思ってるんですけれど。」

湯川「コーラスなんかはつかないんですね。」

沢田「それも、まだ・・・・。コーラスはみんなやんないから。みんな照れて、みたいな(笑)。でも篠ヤンが入ったからできそうですね。あんまり奇異に受けとられないようにしようぜって言ってるんですけどね(笑)。」

湯川「東京・大阪だけだったら、かなり視覚的にもいろいろなことができるでしょう。」

沢田「今度は自分たちで演出なんかもして。音楽寄りの演出というか、そういう具合になると思いますね。で、もう少し躍動感と華やかさを加えようという。」

湯川「そうですね。ジュリーにはやっぱり華やかでいてほしいですね。一緒に落ち込むのはいやですね(笑)。これだけはお願いを……。」

沢田「はい(笑)。」

※1 1984年9月25日発売のシングル。
   84年のNHK「紅白歌合戦」でも、鮮血が噴出す演出でこの曲を歌い、
   視聴者をドキリとさせた。日本語詞を湯川れい子さんがつけている。

※2 東芝EMI移籍後初めて発売されたシングル。85年8月8日発売。

※3 コンサート「架空のオペラ」での冒頭の演出。
   白いタキシードで登場したジュリーに雨が降り注ぐ。
   ステージ上に作られた岩穴に歌いながらジュリーが倒れこみ、
   泥まみれとなってしまうというもの。
   先日「夜のヒットスタジオ」に出演した際にも披露された。

※4 蜷川幸雄=演出家。「架空のオペラ」のステージ演出を担当。

※5 「灰とダイヤモンド」の作詞・作曲者。

※6 1月16~19日東京NKホール/1月21,22,27,28日大阪フェスティバルホールで
   行われるコンサート「正月歌劇(オペラ)」。

※7 4月7日からオンエアされるNHK-TV朝の連続ドラマ「はね駒」に、
   もと松山藩士族で、キリスト教伝道者の役で出演する。

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