さて秋が深まるにつけ、ますますモリモリ食欲の秋でございまして、栗ご飯に松茸の土瓶蒸し、二十世紀にサンマの塩焼き、もうこの誘惑どうしてくれようか🍄
本当にもう“エニタイムダイエット”の沢田研二にとりましてはほとんどユウウツの季節の真っ只中でございます。
はちきれんばかりの食欲を抑えて、今夜もしみじみ深夜ロードでございます。
沢田研二 夜は気ままに
このやるせない秋の夜をあなたとともに禁欲の夜です。
この一週間は秋のコンサートでねあちこち行ってまいりまして、しかしあの驚きましたことにね、新幹線で名古屋の駅降り立ったんですね。豊田っていうところでね。
日産なのに豊田ってところでやりましてね、もうしっかり言うときましたよ。
「ブルーバードの沢田研二です」って言ったらね、ドーッとウけてましてね。これがおかしかったんですが本当にもう。
名古屋駅降りましてもね、なんかタイガースの当時に戻ったようなね「ワーワーキャーッ!」とか言ってエライ熱狂ぶりでね。
考えてみますればタイガースの頃は名古屋の駅で降りるのが恐怖だったですね。
ですからわざわざひかり乗らなくてこだま乗って一つ先の岐阜羽島とかあっちの方に行ったりまたその手前の所で降りたりとかそういう記憶があったんですが。
なんか最近は名古屋は非常に盛り上がるようになりましたですね。名古屋、東海地方で非常に喜んでおりますけども、しかし新幹線に乗るのがまた恐怖になってきたなという感じなんですけどね。
まあそんなこんなございました。後はテレビ出演などなのでございましてね、「ザ・ベストテン」では3位まで行きましたけど、3位まで早く行き過ぎて後が怖いという感じもいたしますが。
(結局後はユ・ウ・ウ・ツは落ちるばかりでございましたが😅)
「ウッドストックLIVE」特集
お待たせいたしました「ウッドストックLIVE特集」ということでございましてね。今聴こえておりますクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの「Woodstock」という曲でございますけども
ここにレコードジャケットがあるんですが、「ウッドストックのⅠとⅡ」というのがあるんですがね、本当に40万人というね人が集まって、そのフェスティバルが行われた最中にお産して子供産んじゃった人とか、喧嘩やもめ事もあっただろうし、なんやかんやって。
本来ならばニューヨークの近くのっていうか、郊外の森の中ですが、人が集まらないようなところに40万人から集まって、ひとつの大都市が出来上がったわけでございましてね。
僕が映画の中ですごく印象に残っているのは特設トイレがね(笑)やたら汚い風に映っていたなっていうそういう記憶がございましたけども。
まあこの中でたくさんの恋が芽生えまた恋が終わりですね。
いろんなことがあったわけでございますが、出演者の顔ぶれ見ましてもジャケットに書いてあるんですが、
ジョーン・バエズ、
ポール・バターフィールド・ブルース・バンド、
キャンド・ヒート、
ジョー・コッカー、
カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュ、
クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、
アーロ・ガスリー、
リッチー・ヘブンス、
ジミ・ヘンドリックス、
ジェファーソン・エアプレイン、
カントリー・ジョー・マクドナルド、
サンタナ、
ジョン・セバスチャン、
シャ・ナ・ナ、
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
テン・イヤーズ・アフター
ありましたなあテン・イヤーズ・アフターのギターの人、ギブソン持って
ザ・フーと、本当にこんだけの人が集まってね、
またこのレコードはアトランティックですが、そのレコード会社とかいろんなことを乗り越えてこういう具合にLIVEになって、レコードよりもやっぱりみんな映画を見た人が多かったと思いますが、映画の中の印象というのが強烈でね。
やっぱり絵と両方で見たあの印象というのは強いもので、LP聴いたっていう人は全部聴こうとすると4時間ぐらいかかっちゃうから、聴いたつもりになって「あったなあったな」なんてジャケット見てニタニタッとして「フンフンフン」なんて聴いた人結構いるんじゃないかと思うんですよ。僕も実はレコード聴いてないんだ(笑)
でね、いろんな記憶がこう入り乱れてね、間違ってることもたくさんありましたね。
ウッドストックが開かれた頃っていうのは1969年ですか。まぁその頃はまあ日本なんかでもわりとアートロックだのニューロックだのとかって、グループサウンズも下火になってましたね。13年前といいますとね。ですから映画見に行った時もちゃんと映画館行って下向いて見てると別に目立たないくらいだったから(笑)別に言われないぐらいだったから。
しかしあの映画を見た時には嬉しかったですね。出てくる人出てくる人が「この人はね」って感じでね。それまでは雑誌とか写真とかそういうのでは知ってたけれど、特にクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング・・あっ、これがそうかwとかね(笑)
考えてみたらあのクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、これがヒントになってPYGを作ろうってね、要するに名の知れた人が集まってそういうグループを作るみたいになったんですけどね。そう甘くはいかなかったですけどなあ。
しかしこの映画を見た中ですごい印象に残ったのは「フリーダム」っていうのをね生ギター一本で歌ったリッチー・ヘブンス、この人がすごく印象に残ったのと、やっぱり、ザ・フーね。「サマータイム・ブルース」ありましたね。
それからやっぱりウッドストックで忘れられないのは、ここで名を一躍有名にしたというねジョー・コッカーでしょ。
それからジミ・ヘンドリックスは本当にもうこの人すっ飛んでるなぁという感じでね。ま、王者でございますねあの頃は。既にの王様ちゅう感じでね、かっこよかったですね。
あの頃がもうみんなやっぱり一時はビートルズというのがね、一つのこうみんなのアイドルだったけれども、ギターリストにとってはやっぱりあの当時はジミ・ヘンドリックスみんなジミヘンジミヘンという感じでね。
なんでそういう人は早く死ぬんでしょ。早く死ぬのがすごいヒーローみたいな感じもしますが、そうすると僕みたいに16年やっていると(笑)
色々ね日本でも本当にこういったフリー・コンサートだの10円コンサートだの、なんやら話に聞きますと、ウッドストックを見に行ってた人がおりまして、なんか成毛 滋さんてギター弾いたり一人でオルガン弾いたりギター弾いたりつのだひろさんと組んだり高中さんと3人でトリオを組んだりなんかしておりましたけども、この間なんかはチャック・ベリーのピアノを弾いておりましたが(笑)
あの人が日本へ帰ってきてね、なんかで「10円コンサート」とかってやったりなんかしておりました。それからそれがまだ裕也さんなんかがね、みんな集めてやってたり、そういえばフラワー・トラベリン・バンドとかありましたなー
京都の円山音楽堂で飛び入りで出たこともあったし、日比谷の裕也さんがやったやつにも一人で飛び入りで出たこともあったし、その頃は缶とか投げられなかったんですけどね(笑)
PYGになってから投げられましたけど(笑)色々ありましたね。
それから富士山の麓、今みたいなジャズフェスティバルじゃなくてちゃんとロックン・コンサートがたくさんありましたがね、今は何かロックが入らなくてジャズになると入るという(笑)時代だそうでございますが。
そんなこともいっぱいありました。
まあ僕なんかはその頃はどっちかというと地味な感じでございましたからですね、ちょうどタイガースの後期並びにPYGにわたるその途中あたりだったと思いますが、このウッドストックの映画を見てね
「わあーっ!」と嬉々として喜んだのと、いざ自分の仕事だと思った時にはすごいショックだったですね。こんなこと「エソラゴトだ」なんて思ったことを覚えておりますが。
しかしながらあのあれですよ、みんな頭はロングヘアーでダラーッと肩まであるね男でもそういうヘアスタイルで、なんかあの頃は汚い恰好が流行りましたな(笑)本当に。ミュージシャンも汚い恰好が流行ったし、見に来る人も汚い恰好が流行ってたっていうね。Tシャツ、ピースマークありましたな。なんかそういうのが思い出されますが。
今はその頃に比べますとずいぶんポップになって、品も良くなって(笑)よろしいんじゃないですか。
この時代も頑張っててそれで今もやってるってのは沢田研二ぐらいしか(笑)と思ったりなんかしておるんですがね。
本当にあんまり分別臭くならないで、この時代に育った人たちもいつまでも気持ちだけは不良少年のようにですね元気に過ごしていただきたいもんだと思いつつこのコーナーを閉めさせていただきます。
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