2008年の事故のこと

つぶやき
10年後訪れた北海道神宮

JULIEのところで2008年の事故のことを簡単に書きましたが、その10年後の2018年9月26日、沢田研二さんの古希祝いLIVEで初めて北海道を訪れていました。初めての土地の感触、美味しい料理、そして北海道の皆さんの前で堂々と歌われる沢田さんの雄姿・・・そしてホテルに帰り、10年前のあの時生かされたから今こうやって北海道にいる喜びを味わえることができるとしみじみしたものです。細かい時系列はなんとなく当時のブログは見たくないので、今思い出すことだけ書き留めておきたいと思います。今書いておきたいのは、そういう受けた「命のありがたみ」を糧に改めてふりかえることで自分がより前進したいからという意図があります。

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右の視界に電車が入った途端・・・

当時は旅館業で朝から晩まで仕事をしていたんですが、手伝ってくれるパートさんが車通勤ができないので、運転できる人間が送り迎えしていたんですね。当日はそういう人間がわたししかおらず、朝の仕事の合間、旅館から迎えにいきました。確かそんなことしたのあの時が初めてだったんじゃないでしょうか?いつも誰かいて送迎されてましたから。

そして、パートさんがすぐに県道に抜けやすいように家から出て踏切を渡って県道側に立っておられたんですが、そこの踏切が遮断機のない踏切で、わたしはなぜかそこに踏切があるという感覚がなくって、踏切越しのパートさんの姿だけに集中しちゃったんです。パートさんがひどく慌てていたような記憶がなんとなくあります(ちょうど衝突する瞬間を見てしまったわけですから・・・)

そして、その慌てた姿と右目の視界に電車の姿が入った途端・・・記憶が飛んでいます。
(こういうときって、神様はうまく記憶が飛ぶようにおつくりになってるんだと思いましたね)
どれだけ時間がたったのかわかりませんが、気がつくと車内にいて、なぜか最初にしたことは「車レバーをPにして、自分のくくっていた髪ゴムを探すこと(笑)」落ち着いてたのか動揺していたゆえなのかわかりません。そしてかけつけた人から後ろが開いていると言われて後ろから脱出して、その時初めて状況を把握するわけですよ。。

電車が止まっているわ、乗っていた車はぶっ飛んでるわ(事故現場から20mほど)県道にはなんか飛んだ石とかちらばっているわ。

わたしはといえば、右額から血が出ているなと自覚があるくらいで、他にけがや具合が悪い感覚はなく立ちつくすのみ。この後はご想像どおり、警察は来るわ、救急車は来るわで、ひと騒動。

その後わたしは病院に入院し、3日間くらい入院していました。その後どういう処理がなされていたのか全く分かりませんでしたが、当時の関わられた方には大変ご迷惑をおかけしました。もちろん両親にも。

やっぱり奇跡でしょう


手前味噌ではありますが、客観的に見ても後の事故検証からわかったことも含めまさしく「奇跡」であると思いました。

・電車と車の接触。ほんのわずかのタイミングがずれていたらわたしの命はなかったかもしれない(車の当たりどころがよかった?)

・車はまず県道側に飛ばされたけれども、その飛ばされた先に電柱だったか棒が立っていて、その棒にぶつかって跳ね返されて線路下の草むらに落下した(つまりそのまま県道に車が落ちていたら、ちょうど通りかかった車にぶつかったりしてもっと大惨事になっていたかもしれない)

・ケガは右目横を切った程度、事故直後右上にたんこぶができてきて、そこから脳を圧迫してCTの結果「外傷性クモ膜下出血」の診断が。しかし事故からこの方まったく後遺症は残らず。

・何よりも人様をケガさせることがなかった

退院してから、はい終わりではもちろんなく、保険のこととかいろいろ処理しないといけないことがありあました。で、ここが一番不思議なことなんですけど、治療費は勤務中の事故ということで労災扱いで自己負担になりませんでしたが、別に損害保険会社との事故処理で、JR側への補償は保険会社がやってくれます。そして治療費も補填してくれたんですが、わたしの病名が「外傷性クモ膜下出血」ということで、通常の支払治療費よりも高額になるという制度が適応されたんですね。後遺症が残るかもという診断を下された時には、加算されて支払われるらしい。

そしてその支払われた治療費の金額が150万
わたしは大変驚きました。もちろん支払金額の多さもですけど、ジュリーのファンになる直前、2007年3月に買った事故で廃車となった車の金額が約150万円でしたから・・・つまり車代がそのまま戻ってきたということです。こんなことってもう奇跡というか、ここまでされると何か言われている、伝えたいことがあるとしか思えないですよね(^-^;

後は、事故当時車で、以前哲学の道散策していた時にふと入った店でふと目があって買ったクマのぬいぐるみを乗せてたんですが、事故でバラバラになってしまって、わたしの代わりになってくれたのかなあとか、こんな事故起こしたらもう自動車運転したくないとか、事故現場通りたくないとかあると思うんですがそんな心理的ショックによる後遺症も残らなかったし。

失ったものもあったけれども、得るものもあり。それ以来「わたしはなぜあの時生かされたのか」ということをたまに思い出しては考えるようになりました。これは一生をかけての命題ですね。とりあえずは特にジュリーのことで、ウレシイ瞬間を味わった時はこの事故のことが頭をよぎり、「生きててよかった!」って思えます。

それぞれの瞬間に「意味」を考えよう

これを書いている今もなお、世界中に蔓延している流行病において、人生こうなるはずが狂わされたとか、どうしていいのか分からないとか、戸惑っていらっしゃる方は大変多いと思います。わたしはあの事故&奇跡を経験しているせいなのか、元々の楽観的な性格からなのか分かりませんがそれほど悲観はしていません。むしろ人生の中のこの時にこういう状況に遭っている(わたしなら仕事を半ば失い収入が減ってしまう)「意味」を考え、自分なりに理解し受け止めて生きるということが大切じゃないかと思うんです。
時間が空いたわけだから、その「空いた時間」にフォーカスして何か新しいことをやろう。そういう自分探しに空いた時間を充てることができてうれしい!となっているわけです。

早く皆さんのココロから「恐怖」が取り除かれ、以前の何気ない日常に戻りますように。

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