(MYふりかえり⑤)京都に異動してちょっと自由になってきた

JULIE
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一カ月の山ごもり

2011年の1月は、勤めている仕事場が改装工事で1カ月休館になり、その間同じグループの別施設ということで箱根に飛ばされた。だからといって正月LIVEに行かないというわけではなく、大阪のLIVEに行くために箱根登山鉄道⇔新幹線⇔大阪(つまり日帰り)てこともやった(笑)楽の渋谷も行ったけど帰る時あの山奥に帰るのかと思うとなんか切なかったな。
関東の人にとっては有名すぎる観光地である箱根。しかし私にはなぜか合わなかった、至近距離で四方山に囲まれる環境はやはり合わないらしい。(そんなわけでなんと一度も箱根の観光地に行かず)

3月11日

何気にブログを書き始めて、2011年のことを書いてますが、偶然にもこの書いている日が3月11日。(何の計算もしていない)ちょうどジュリーは栃木県の佐野で音楽劇の公演をしているところでした。私は栃木までは・・と最初から行くことなく家でボーッとしており、半ばウトウトしていたせいなのか、揺れた瞬間はまったくもって気づきませんでした。
テレビの画面からありえない光景が目に入る。もう現実感がまったくない光景・・・
あれから9年、まだまだ課題は山積み。ガンバレ!なんて安易に言えない自分がいます。

その時のジュリーのことは、また後日書いていこう思いますが、ジュリーはこの震災をきっかけに、今後自分は震災によって傷ついた人たちに寄り添うような祈り歌を作っていこうと誓います。そしてそのとおり、今も毎年3月11日に新曲を出し続けています。

2011~2013 再結成機運

この間はわたしは京都にいて、前の職場よりも若干ハードではなくなったし、東にも西にも行ける立地からだんだん遠征も増えていったように思います。ジュリーのほうも瞳みのるさん(ピー)が音楽活動に復帰して以来、「ザ・タイガース再結成」の実現のため、我々の見えないところで奔走されます。2011年は奇しくもあと一歩のところで実現がかなわなかったけど、2013年、とうとう5人全員での再結成LIVEの実現したことはただただ「沢田研二の執念」だったと。

これくらいでしょうか、具体的な時期は忘れてしまったけれど、ジュリーに対する感情が「キャーキャーカッコカワイイ好き~💖」みたいなものに「ジュリーの親戚気分」「ジュリーの母親気分」みたいな感情が加わったのは(笑)たとえば理想の結婚したい男性とか、恋人にしたいとかそんな異性に対する気持というのはほとんどなくって。もう「ウチのジュリーが、ケンちゃんがスゴイのよ」みたいな身内気分。まあなんと失礼な感情を持つようになってしまって今に至っています。もちろん「沢田研二さんへの尊敬の念」が根底にあった上でですよ。

2014年はいわゆる勝手に「リンクしていた」年となりました(つづく)

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