non-no LONG INTERVIEW

JULIE

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いつだって メインストリートのならず者

時代のトップランナーとして走り続けてきた沢田研二が、今またひとつのエポックを紡ぎはじめた。ニューバンド「CO-CoLO」のリード・ヴォーカリストとして、久々の全国ツアーに向けてパワー全開!!

’86年、沢田研二デビュー20年目の熱い夏は・・・。

撮影場所の国立競技場に現れた沢田研二さん。今日のいでたちは、黒の長そでポロニットに、同じ黒のゆったりとしたスーツ姿。
 空に向かって聳えるようなスタンドを、てっぺんまで上ってもらった。履き心地のよさそうな黒のシューズで、長い階段をリズミカルに上っていく。
 テレビで見るより、ひとまわりスリムな後ろ姿。長い髪を、風があおると、
 『風、強いなあ』
 京都弁のイントネーションで、誰にともなくつぶやいた。

CO-CoLOは、こころ。気持ちよくやりたいね。

 6月25日、沢田研二は38回目のバースデーを迎える。
「38歳にねえ、なってしもた(笑)」
 言葉はちょっぴり自嘲的でも、口調はまんざらでもなさそう。
 その誕生日には、今春結成したてのニューバンドの初アルバム「ココロファースト~夜のみだらな鳥たち」も発売される。
 「第1作目のコンセプト?うーん、あんまり決めこまずにね、自分たちの言葉で自然にやったってカンジかな。きらびやかさとか奇抜さとかは、あまり意識せんと作った。これまでみたいに“沢田研二とバックバンド”っていうんじゃなく、僕はあくまでこのバンドのヴォーカリストっていうか・・・・。まあ、無印良品みたいなもんやと思ってくれたら(笑)」
 うっすらとのびた無精ヒゲの顔をほころばせながら、観音崎にあるスタジオでのレコーディングの話をしてくれた。
 「レコーディングにかかった日数よりもね、ジャム・セッションみたいにしてたリハーサルの時間の方が長かった。みんなで、あーだこーだって言い合いながら、ワイワイ、ガヤガヤ。まるでアマチュアみたいな感じで時間かけてやれたし、すごく楽しかった」
ほとんど合宿の雰囲気だったらしい。
 三浦半島にある海の見えるスタジオで、約1ヵ月間、これまでになくのんびりとしたアルバム作りだった。
 「土・日の観音崎ってね、女の子がいっぱい来るんですよ。窓の外を可愛い女の子が通りかかったりしたら、もうタイヘン!みんなで“おおっ!”とかいって(笑)。ほんで、海辺の方を双眼鏡で眺めたりするんだけど、そいつが“あ、いい女!”って叫んだら、双眼鏡の奪い合いや(笑)。
 でも結構真面目にやってたんですけどね。ノッてくると、メシの時間も忘れてしもて。ハッと気がついたときには、おかずの刺身が干からびてたから(笑)」
 いかにも楽しそうに、喋りがはずむ。
「『CO-CoLO』はこころ。今一番大事なものって意味合いを含めてね。心をこめてやりたいという気持ちの表れ。それと“Co”のところに共同の意味も持たせたっていう」

休むことが罪悪な気がした、昔。ボーッとしてるのも必要なんだね。

 年間120ステージをこなしていた昔に比べると、最近はかなり東京にいられるようになったらしい。
 「前は、休むってことに罪悪感持ってるみたいなとこがあった。もう、ほとんどモーレツサラリーマンの世界だったよね。このごろは、休みもちゃんととる。で、何してるかといえば、ボーッとしてるだけなんだけど(笑)」
 その“ボーッとしてる”時間には、何を、どう感じるのだろうか。
 天気のこととか、そういうのが気になったりするんだよねえ。“今日はええ青空しとるなあ”とか、“そーか、風も吹かんと困るわなあ”とか・・・・。えらいオジンみたいやけど(笑)。それは、老けたっていうことじゃなしに、今までそういうもの感じる暇がなかったんやろなって思う」
 これまで気にもとめなかったものに、心が反応していく。そんな自分を自分自身で楽しんでいるのだろう。
 「だから、すごくロマンチックになってますよ、今。ハハハ。夕方になってくると、ああ日射しが黄色いなあ。ええなあって」 

あんまりいい人にはなりたない。ドラマの役でも、そう思う。

 現在、NHKの朝のテレビ小説『はね駒』では、ヒロイン・斉藤由貴のあこがれの男性を演じている。
 「キリスト教の宣教師“清く正しく”路線やからねえ(笑)。ホンマは、あんまりカッコイイ役とか、いい人役ってのは苦手ですね。誰から見てもいい人、というのには、さほど魅力を感じない」
 沢田研二語録–『オレのこと、好きやといってくれる人が50人いたら、嫌いやという人が50人いてくれていい」–という想い。
 「物わかりいい人になりたないんです。“ふんふん、そうやな。その通り”とかいったって、全てその通りなんてあるわけない」
 男と女、あるいは男同士の関係においても、スラスラとわかり合える関係、なんていうのは、確かにどこか胡散臭かったりもする。
 「それについていうならね、時間をかけてということをせえへんからと違うかな?割と一回けんかしたら“あ、そーですか。あんたはそういう人間や”みたいに決めつけてしまったりとかね。ほんで“ほな、サイナラ”じゃあね。他人なんて、好きになったり、キライになったりしながらしかわかり合えへんと思う。“短い人生で、そんな悠長なこといってられるか!”っていわれると、いいようがないけどね」

「沢田さん?あ、奥へどーぞ」あれは、カンベンしてほしい。

 最近、歌番組などに出演している彼を見ていると、どことなく大御所的存在にまつりあげられているような感じがある。
 「ポップス系だとね。僕より上(の人)がいない。すぐ下というのもいない。それで、いつの間にか大ベテラン(笑)。で、テレビ局なんかでも、大部屋でなく“個室にどーぞ”という。それで、だんだん特別扱いされて、人目に触れない隅っこの方へと・・・・(笑)」
 周囲の気づかいはうれしい。が、反面、淋しくもあり・・・というところ。
 「僕は、村田英雄サンじゃありません(笑)。ああいうトシになったら、そうしてくれてもいいけど、まだ早いっ!っていうの」
 デビュー20年という歳月の上にあるさまざまな状況。
 「失敗したっていい、って思いながら今までもやってきたんやから。これからも多分、そうしてやってくだろうな」

内気を絵に描いたような子だった。

 「信じてもらえないんだけど、ホントに内気な性格でしたね。中学校のとき、好きな子がいて、何とかその子の隣に座りたいと、席替えのたびに、ひたすら神頼みしてた(笑)。
 ほんで、ようやくその子の隣が回ってきたら、もう嬉しくて、嬉しくて、。で、僕が唯一行動を起こしたのが、その子との間の床にわざと鉛筆落とすこと。さりげなく、細心の注意を払ってコロコロッと(笑)。で、拾ってもらって「ありがとう」と、ひとこというだけが精いっぱいやった」

どちらかといえば受け身人間。NO!というのが下手でね。

 「誰に対しても、『NO!』というのが得意じゃないんですよ。『イヤだ』というもが。正確にいうと、イヤなことを『イヤだ』とはいわないけど、そう思っただけのことしかやらないっていうイヤな性格やわナ(笑)。
 でも、その分だけ強くなった。というのもおかしいけど、そう思う。イヤイヤながらやってきたことがたくさんあって、それが続くと相手を傷つけないで自分の気持ちを伝える方法を探すよね。す即座に『イヤ』っていうと、あ、ゴネとるな、と思われる。じゃ、考えて『これは、こういうことだから、次からは僕はやらんよ』と、そういう具合にね」

女性に対してはどうかって?「黙ってワシにまかしとけ」。

 「男同士だと、“俺にまかす”か“お前にまかす”かのどちらかだよね。で、『まかせた以上は俺にまかせろ』という世界。それが『あーだこーだ、お前が間違ってる』となったら、大体僕の方が折れる。ウン、折れるな。
 これが、相手が女性となると『ワシにまかせとけ!』これ一点張り(笑)。『ゴチャゴチャいうな。黙っとれ!』
 これは譲れへん。男はそういうもんやと思ってるから(笑)」

女は可愛けりゃいい。こういうと怒られたりするけど。

 「僕は、女の人に対しては、“女のくせに”っていうのをシッカリ持ってる男やから(笑)。
 女は可愛いもんだと決めつけてるとこがあるからね。『女のくせに可愛くないっ』と。見かけでなく、いうこと、することがよ。
 女は男に包容力というの求めるでしょ。その包容力っていうのは、何でもかんでも包めというもんだって思うわけ。男に包容してほしかったら、包容してほしいようにせえ!っていいたいねん、僕は(ガゼン、京都弁デス)。可愛くしてくれたら、それでもう何でも許したる!というふうになると思う。
 頼りない奴でも、頼られたら『シッカリせなイカン』と思うよ、絶対。だからね、ゆだねるっていうか、まかせるって大事なことだと思うけどな。
 『俺のこと、信じてないのか』ってきくと、『信じてる』。『信じてるなら、まかせ!』『いや、全てはまかせられない』でしょ?
 だから『ホントに信じてるというのは、俺が間違うたこというても信じるってことやで」と。このへんから屁理屈になってきて、俺が間違っていると知っても『あんたがいうんやから、(白いものでも)黒です』といっときゃ、『こないだ、白いモン黒っていうたけど、あれは悪かったな』といえるんやと。ハハハ・・・・勝手なもんや(笑)」

贅沢でない食べ物が好き。ギョーザに、魚に、お好み焼き。

 「魚が好きでね、肉よりも。だから、おいしい魚のある店が好きやね。
 そもそも、贅沢でないものが好きなんですよ(笑)。ギョーザとか、そういうの。
 誰かと食事に行ったりすると、たとえば中華料理でもバーン!と回転テーブルがある豪華な店とか連れてかれるわけでしょ。僕はレバニラ炒めとかも好きだから『レバニラ!それとギョーザ2人前!」とかっていいたいのに、いえなかったりとか(笑)。
 関西人やから、子供の頃からお好み焼きとか行って、カチャカチャ自分で作ってたからね、『これは、きっとふくらし粉入ってんねんなあ』とか探りながら、やっぱり今でも、そういうの好きやね」

酒飲んで、酔っ払うと出るクセ。“マッサージ押し売り症”。

 「最近、バンドの仲間と飲むようになって酒量は増えましたね。何でも飲むけど、日本酒が多いかな。
 酒飲みというのはね、自分の飲んだ量なんてまず計らない。だけど、何かの折に聞かれるもんだから、マッチ棒置いてやってみたの。(お銚子)1本目、2本・・・・3本・・・・って、で、5本目過ぎたら『あれえ、さっき置いたかなあ』『んーと、これ置いてもええんかなあ」とやっとるうちに、もうわからん(笑)。
 一時期、飲むとワイ談してたときがあって、得意だったんですよ、僕。
 酔っ払うと、女の子の手をとってマッサージを始めるって奇癖もあるし(笑)。『ね、ここ、ここんとこ気持ちいいだろ?』とかって、それが始まるとヤバイ!ま、バロメーターね。飲んでるときは、人のこと気にしないし、誰も気にしてもくれないもんですよ」

わりと、今まではこう素顔を見せるというよりも、隠すというか、これはウソですよ、と演じてきた部分が多かったと思うんだけど、これからはホントかもしれないと思わせる部分が多くなっていかないといけない。“実”の部分が、少しずつ多くなっていかないといけないだろうと・・・。まあ、いい人になるのはあんまり好きじゃないから。
――これは、昨年6月に出版した自叙伝『我が名は、ジュリー』の本の中で語っている、彼自身の言葉。
 西麻布にある彼のオフィスで、向かい合ってインタビューしたときには、会話のほとんどが京都弁。これまでで一番の長さだという髪の毛を、手首に巻いていた黒のゴムヒモで後ろにキュッとまとめて。
 マイルドセブンのタバコをくゆらしながら、ソファに腰かけて喋る彼は、ブラウン管のジュリーではなく、素のままだった。
 「こんなもんですよ。フツーです。昔は無口やったから“何考えてるんや、あいつ”とか思われて“生意気やで”とかね(笑)。この頃はよう喋るようになった」
 なごんだ表情。冗談っぽい話をしてして笑う声は、思いのほかに太くて大きい。
 「まあ、人が期待するほどたいしたもんでもないし、人にバカにされるほど悪くもないって思ってるよね。着てる服にしても、“普段着は地味なんですね”って受け取り方する人と、“もっと派手に、フツーの芸能人みたいにしはったらええのに”という人とね(笑)。イロイロいるわけだし、それと同じで自分は普通だと思ってても、他人から見たら異常に映ったりするかもしれんし・・・・」
 灰皿にたまってゆく吸い殻を、火のついた煙草の先っぽでキレイに隅の方に寄せていく。そんなところが、キレイ好きのA型らしい。
 「考え方がね、青春してるんですよ(笑)。いつまでたってもガキっぽいとこ持ってるしね。“この頃の若い奴は能が気が多い”とかいうけど、喋ることによって自分が追いつめられて、こぢんまりしてしまうのはマズイよね。何いってもいいと思うんですよ。間違うたナと思えば“いや違う”って、それを崩していったらええんやし。下手なこといったとしても、自分で挽回していけばいいと僕は思てる。そりゃ、しんどいことかもしれんけど」
 ミック・ジャガーが好き。ローリング・ストーンズのうたう『メインストリートのならず者』は、彼にとって単なるロックナンバーではなく、ひとつの生きざまとして、“永遠のテーマ”のようなものだという。
 「マジメに不良するっていうかね、反体制の旗を掲げるんじゃなくて、牙をむくというのでもなくて、他人とは違う生き方をしたいと思う」
“ジュリー神話”の延長線上に生きる気もないし、実業家に転身する気もサラサラない。
 「あとはもう、いい結果は人のせいにして、悪い結果は自分のせいにして。“ひと粒の米も残さず食べる”歩く倫理学やね(笑)」

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