ジュリーがそれまでのワタシを変えてくれた
「我が名はジュリー」で堕ち(笑)ちょっとずつですけどCD・DVDを買いあさり2007年5月末には勢いで「君の笑顔が最高」とタイトルをつけブログを開設。
ちょうど翌月から大阪の松竹座で「桂春団治」をおやりになるというので、早速チケットを購入し観に行く前にテンション爆上がりでジュリーのことを書きたいという感情が爆発したものだと思われます(笑)(調べたら最初の一日で8記事も書いてありました)
で、私は元々沢田研二さんが美しい人だとかそういう容姿的な部分から入ってないので、春団治の宣伝でスマスマに出られたのを見ても、松竹座で初めて生のジュリーを見ても、LIVEで歌うジュリーを見ても何の抵抗もなく受け入れられましたね。
そういうことより、ジュリーのファンになって、ジュリーがそれまでのワタシを変えてくれたこと。
それが彼に対する一番の感謝なんです。
大学出たけど、特にやりたいこともなかったので就職活動もせず神戸に住みたいからと神戸に住んで、飲食業、旅館業とフラフラと渡り歩いていたわけです。そして30歳が目の前になって、なんだか人生の先が見えずモヤッとしていたそんな時に出逢いましたから。
そして今から思えば、それまで知っていたのにずっと興味がなくって、突然ハマった結果(笑)幸福感が増すという流れは、気持ちがどちらかというと沈んでいた20代の時期が必要だったわけで、その分、ジュリーという光が見えた時に、その光が大きくワタシの中に入ってパワーをもらって30台を精進できるようにという力が働いたのかななんて。
ファンになって、これまで発売されたCDやDVDを買っては見るたびにワクワク感が湧きあがりましたし、もちろん日々の仕事のモチベーションも上がりました。決して楽ではない仕事も前向きにこなすことができました。そして仕事の中でイライラしたり不満を持ったりすることも減りました。
生の沢田研二さんを見たいがため、田舎から京都や大阪まで車で行ったり、今考えるとスゴイことやったなと思うのは、3時間近くかけて京都まで車で行って、駅前の駐車場に止めて新幹線で名古屋のLIVEを見に行った後、その日のうちに車で田舎まで帰ったとかもやりました(笑)ファンになっていないと絶対やらない行動ですし、そうやって視野を全国に広げていったからこそ、それぞれの土地の風土を味わうことができたことが今の自分の宝物となっていったわけです。
心に響く生の歌声
2007年の9月、京都会館にて初めてジュリーのLIVEを観に行くことがかないました。
チケットぴあで買ったのが確か1カ月ほど前だったと思います。その時は1階席の後ろから5列目が買えました。(今ならありえないですよね)
そして、CDやDVDではない、実際のジュリーの歌声に感動したのは言うまでもありません。席の環境も後列ですがセンターブロックで、前の人が男性だったんですが、お立ちになることなく、立ったままでずっと対峙状態で観させていただきました。隣も来られなかったですし、「これはとんでもなく特等席じゃないか?」って、当時のブログに書いています(笑)視界を遮られることなく初めて歌うジュリーをしっかり見ることができてラッキーでした!
これは今でも変わりませんが、いろんな歌を聴いていても届かないココロのどこかに彼の歌声だけはズシンと入ってくるんです。
ブームの火が後から着いてきた
前述したように、2007年の「生きてたらシアワセ」ツアーが始まる前は京都会館を間近でもチケットを買うことができるくらいの余裕があったんですが、ツアーが始まる直前にジュリーの恩人でもある阿久悠さんがお亡くなりになられました。そして、その後阿久さんの作られた歌ということでジュリーの往年の歌っている姿を取り上げる番組が何本かありました。この頃Youtubeでも昔のジュリーが歌っている姿を見ることができるようになり、そのタイミングでファンになられた方もけっこういらっしゃると思います。
そして還暦の2008年→注目され更に人気が出るという流れになり・・・私がファンになったタイミング視点から見ると、ブームの火が後から着いてきたという風に見えるのです(笑)本当に丁度良い時にファンになることができて良かったと思ってます。
ちょっとした奇跡
当時は旅館業で毎日朝から晩まで忙しく働いていたのですが、2017年11月のある日、客室の掃除をしていて、お客様が大浴場の棚から持ってこられていた本が置かれていたのでそれを棚に戻しに行った時、ついでに本棚の整理をしてやろうという中で目に入ったのが「オブラ」という雑誌の別冊(2004年4月号)。

瞬間、疲れていたワタシの心は一気にピンとなり、すぐさま持ち去りました(笑)
(※ここの本たち、いわゆる寄付みたいなものなので、お客様が持って帰ろうが別のところから持ってきて棚に置こうが流動的なんです)本棚はわりと気にかけているのに、こんな雑誌あったっけ???まさしく偶然に手に入れた雑誌でした。しかもタイトルが「私の転機」というこれまたその時のワタシに合っているという(笑)
最後に沢田さんこうおっしゃってます。
流れのままに、逆らわず身を預けて大成された沢田さんらしい御言葉ですね。
こういうちょっとした奇跡だなと思うこともあって、ワタシにとって転機の年、2007年は終わりました。
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