2009年のJULIE語録①

JULIE
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奇跡元年(2009年正月LIVE)

ジュリー祭りが終わり、最初のLIVEです。

当時の新聞記事ではありますが、初日(1月10日渋谷C.C.レモンホール)からのお言葉。

2カ所のドーム公演を終えて自信がつきました。これからも道を間違えないように、自信を変なことに使わないように日々心がけて精進します

私の行かせてもらいました、大阪厚生年金会館のLIVEでも

私たちは自信を持ちました。若い人にも自信を持ってもらいたい。

ということで、ファンもひっくるめて”わたしたち”と表現してくれたことが嬉しかったですね。

東京は32000人に対し、大阪は22000人だったとか、なので京セラドームの2階?から上は誰もいなかったらしいですが💦ドーム公演やってよかったとご満悦。一時大阪でやるのやめようと思われたそうで、なかなか客入りが難しかったんでしょうね。

88曲には時間の関係でできなかったけれど

私には80曲歌いたい歌があったんや!
他にも歌いたい曲が五万とあるんや!


と、だからといって70歳では二番煎じはしないと言ってますね。また60曲くらい歌うとかやるのはしない→そのとおりでした(笑)

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きめてやる今夜

ジュリー祭りの時にフライヤーをもらい、神戸なら2月27日にあるということで即行ドーム近くのコンビニから申込書をFAXしたものです(笑)このLIVEはなぜか澤會の受付はなく、抽選になるけれども、申込書に書いてそれをFAXしてね。という珍しい方式でした。急に話が決まっていろいろ間に合わなかったのかな?

【当時の新聞記事より】

夢のステージです。奇跡のステージの証人になってくれたファンの皆さまに感謝します

(裕也さんへ)未完のロックンローラー。同じステージに立てるのは奇跡です。あなたがいなかったら今の私はいません

 

本当に夢のステージでしたね!


わたしは当選し、めでたく神戸に行くことができましたが、今から考えると本当に貴重なLIVEを見ることができたんだと。ジュリーの恩人である加瀬邦彦さん、内田裕也さんが同じステージに上がっているなんて。裕也さんの歌われた「朝日のあたる家」、その時の光景はさすがにもうあやふやになってるけど今でもとにかくあれはスゴかったというのが強烈に残っています。

単独のLIVEではないのでMCも少なめ。これは東京でも似たようなことを言われていますが

かたやロックンローラーだけどヒット曲がなく、かたやヒット曲はあるけれどただの少年。そんな二人が同じステージに立てることは奇跡です。そして皆様方がその奇跡の証人です

タイミングというものがありますが、まさにタイミングが合って実現したLIVE。再び・・・ということはありませんでしたが、ジュリーにとってもファンにとってもやって良かったものとなりました。DVDとして残していただければ言うことはなかったんですが。

産経新聞(3月30日)

ここでは来月から音楽劇「探偵」をやるということでインタビューを受けておられます。

「ジュリー祭り」をふりかえって

本当にうれしかった。好きなことだけやってきたのでもしこのコンサートが成功しなければ過去の人で終わると思ってましたから。いま、これだけの方が僕の歌を聴きに来てくれる。リスクが大きかった分、喜びも大きかった。今後の展開も見えてきました

大阪のほうは、正直もっと入ってほしかったなあ、という想いはあったでしょうがそれでも無事に終わればで御の字ということで(*^^*)「今後の展開」というのは、50周年やって古希は大きいところでやって・・・みたいなことだったんでしょうかね?

今度の「探偵」をやるにあたり

(音楽劇は)いわゆるミュージカルじゃないんです。僕の体の中から出てくるものの延長で作っている舞台。

(「探偵」~悲しきチェイサー~は)かっこ良すぎて照れてしもて、当時はライブで歌ったことがなかった。いまの年齢なら歌えるかなあと思って

ジュリーにはLIVEではどちらかというと昔の曲(30年以上前)をたくさん歌ってほしいと思っています。このように当時はその時の自分には似合わないな、実感がわかないなと思っても、今の自分なら・・・という歌はたくさんあると思うので。今のジュリーの歌声で聴きたい曲はたくさんありますね。
個人的には、好きな神戸の街を舞台として取り上げてくれたのがうれしかったです。

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