(MYふりかえり②)悲喜こもごもだった2008年

JULIE
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「前夜祭」の超神席からはじまった

2007年の「生きてたらシアワセ」のフェスに行った時、一枚のチラシをもらいました。
SOGOさんからのですね。還暦時仲違いした(^-^;
私はその時は澤會(ファンクラブ)に入っていなかったので、わあ~フェスであるんだ行きたい!と思って、SOGOさん経由で申し込んだんですよ。

当時のチラシ


そして12月だったと思いますが、来たチケットを見てビックリ!!!

まさしく神席・・・


1階A列L1番・・・つまり最前列ド真ん中(正確に言えばド真ん中はL1とR1の間ですが)ですよ。もうね、無事に何事も起こらないよう、年末年始の超多忙の仕事のツラサをこれをモチベーションにして乗り越えましたよ。

9日ももちろん申し込みしたのですが、それもそれで後ろが確かミキサー席の1階席センターブロック最後列のL2番。これももうほぼど真ん中みたいなものです。

そして、1月10日を向かえ、もちろん早めに席について後ろを振り返ますれば、その時に起こった感情としてひたすら申し訳ないなあ・・というどちらかというと負の感情でした(^-^;私よりはるかに先輩方を差し置いて、こんな席につかせてもらってる、しかもセットリストはすでに知っていたので、沢田研二さんが若い頃に歌っていた洋楽ばかりという、古参のファンの方からすればもう感謝感激☔あられ的な内容・・・だからといって席を替わってほしいとは思いませんでしたが(笑)

はじまって・・・そりゃもう今まで見た中では次元が違いました。
そしてわかったこと
ジュリーと客席の間にはハッキリと見えない壁がある。

神社的に例えていえば(マイブームなので思わずたとえてしまいました)
ステージが本殿で、客席は拝殿(拝所)
そう、気の違いがハッキリあるんです。
私は神社参拝をちゃんとさせてもらうようになって、気づいたことが。実はこの頃からすでにずっと「沢田研二さんという神様(沢田さんについている歌の神様)」へ参拝してたんだと。

昔のフェスティバルホールは今と違い、1列目とステージがとても近く、ジュリーが前に出てきて歌っている時に手を伸ばして足をつかもうと思えばつかめるほどの近さでした。だからといって、そんな手を出そうとか思う間もなく完全に見えない壁があるんです。最接近距離は50cm、60cmくらい・・・とにかく1mはなかった。あの近さでないと実感できなかった貴重な体験でしたし、ファンになって最初の頃にこういう経験があってよかったと思っています。

そして、沢田研二さんはこの『前夜祭』のLIVEにおいて、自身が60歳・還暦を記念して京セラドーム、東京ドームでコンサートをやる。と宣言されるのです。

ジュリーの覚悟

そして、還暦ツアーがはじまりました。この時はスゴかった。32曲歌いMC含めたら3時間弱の公演だったでしょうか。そしてそれ以上に驚いたのは

ジュリーが痩せていた

そう、願掛けということで11月3日の「ジュリー祭り」が終わるまでお酒を一切絶たれていたんです。私がファンになったころのジュリーは正直かなりおふくよかでしたから。

スポンサーをつけず、外部への宣伝も新聞と少しだけ宣伝CMを流す程度。「自分の好きなやり方で成功させたい」ということですね。決して楽な方法を選択したくないという彼の人生観からです。

SONGS放送2日後に事故を起こしてしまう

9月に入り、NHKの「SONGS」に2週にわたって出演したジュリー。テレビで現在進行形の歌っているジュリーを観ることははじめてだったので、とても嬉しかったですね。それが17日と24日。2回目のSONGSもちゃんと録画できてご満悦だった私であっただろう2日後、自分の人生史上一番の「やらかし」をしてしまいます。
その経緯詳細についてはまた別の機会に書こうと思いますが、自分の運転している車と普通電車が衝突し、私は車ともども吹っ飛ばされてしまうという事故を起こしてしまいました。その後救急車で病院に運ばれ、数日間入院したのですが、不思議なことに目の横を切って少し縫ったくらいで、他は特にケガをすることなく(脳は外傷性クモ膜下出血を起こしてたようですがそんな自覚症状は一切なく)退院後すぐ普通の生活を送ることができました。
この時の奇跡ともいえる不思議な出来事の数々を経て以来、「なぜ自分はあの時生かされたのだろうか」ということを度々考えるようになりました。

感動の倉敷市芸文館

事故から約20日後の10月16日、事故後初めてのLIVEとして倉敷市芸文館に行きました。
LIVE観点から見ても事故で行けなくなった公演というものはなく、ちょうど空いていた間に事故が起こって入院していたことになります(これも奇跡かも)

私ももう右目横の傷口をふさぐガーゼを取ってもいいくらいにはなっていましたが、やはり遠出ですのでつけていったんですね。そういうせいなのか、いや私の強い思い込みのせいなのか?7列目で何度か目が合うような感覚がありましたし、あの時に歌われた「君をのせて」は、今までで一番心に残る歌唱です。なにか私に向けて歌ってくれたような感覚を覚えました。(勘違いでもなんでもいいので許してください(^-^;

そして、MCの中でいろいろ楽しいおしゃべりの最中に言われた「生きてたらエエんや」という言葉にも感動しましたしね。。

当時ブログにこう書いています。

ホンマ生きて
倉敷いけてヨカッタ!
生きてないと。ね。

もしかして死んでいるか、脳の後遺症で入院しているか、そうなっていてもおかしくなかった自分。事故直後もこの時も、「ああ、ジュリーのファンでいてよかった」と思えた自分。そしてその気持ちが12年近くたった今も持続できている自分。
この後もいろんな感動が、感慨が、積み重なってジュリーへの感謝になっているんです。

そして、いよいよ大感動のジュリー祭りへつづく~

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